アドリア・アルペンの旅目次


ゲーテ 悪魔の家

 ここでゲーテに登場願いましょう。

 ゲーテは今のEU内の旅では想像もできない失敗をしています。スパイと間違えられたのです。1786年9月3日、まさに突如として、誰にも行く先を告げずに、ボヘミアのカールスバートを出発したゲーテは、日夜兼行の強行軍でガルダ湖畔の街 Malcesine までやってきました。フランス革命直前のこの時代には、ガルダ湖の中ほどが、ハプスブルク帝国とヴェネチア共和国の境界で、この街からゲーテにとって憧れのイタリアが始まります。

 やっとイタリアに入ったという安心感からでしょうか、ガルダ湖の美しい風景に魅せられて、Skaligerburg というお城のスケッチを始めました。この現場を見たヴェネチアの役人から不審尋問を受けます。容疑は真っ黒です。ワイマールの宰相が、商人と偽り、偽名まで使っていました。国境の要塞の写真を撮れば、今でも写真は没収されるでしょうから、それを200年以上前にやれば、監獄行きは間違いなしです。お後の結果に興味のある方は『イタリア紀行』をお読み下さい。


インスブルック
 冒頭に引用したD,H,ローレンスが、ブレナー峠を越えて、落ち着いた先もガルダ湖畔でした。1912年8月5日、ミュンヘン近郊のイッキングを出発したローレンス夫妻は、9月初めガルダ湖北端のリーヴァに着き、この月の18日に西岸のガルニャーノのヴィラ・イジェアに入って、三月まで滞在しています。当時も第一次大戦の直前で、リーヴァはオーストリア領で、ガルニャーノからイタリア領となっていました。

 もう一人ゲーテに啓発されて『1817年ローマ、ナポリ、フィレンツエ』を書いた人にスタンダールがいます。

 スタンダールは1800年、ナポレオンの第二次イタリア遠征に従って、始めてイタリアの土を踏みますが、以来この国の魅力に捕らえられてしまいます。1816年から発行されたゲーテの『イタリア紀行』を英文のエジンバラ誌で知ったスタンダールが、1811年からの旅行を基に書いたのが、この本だといわれています。

 北ヨーロッパの人々の南の国、イタリアへの憧れは、あの寒く、一冬中日の目を見なかった頃のヨーロッパを知る人にしか分からない気持ちです。





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