|
旅コムの目次へ
|
サンチャゴ目次
|
川魚グージョンについて
ヘミングウェイが好んで通った
「ル・セレクト」のテラス
荷風の「ふらんす物語」の中の『蛇つかい』に、リヨン郊外のクーゾンという村でヴォーグ(ジプシイの見世物師の群れ)に出会う場面があります。
「通り過ぎる居酒屋にはいって、土地で自慢の川魚グージョンの天麩羅で晩餐をととのえる時、・・・・」
実は、私も、クーゾンのソーヌ河畔のひなびたレストランで、グージョンを注文したが、さっぱり通じなくて、川魚のフライの定食を食べた苦い思い出があります。そんな折りに、ヘミングウエイの「移動祝祭日」の『セーヌの人びと』の中に次のような文章を見つけました。
「・・・・かれらはいつも何匹かの魚をとり、グージョンと呼ばれるウグイのような魚のすばらしい獲物のあることがしばしばだった。この魚は丸ごとフライにするとおいしく、私は一皿一杯でも食べられた。新しいイワシとくらべたって、それ以上のこまやかな 味がし、ふっくらして、肉はくさみがなかった。それにちっとも油っこくなく、私たちは骨ごと食べた。
それを食べるのに一番良い場所の一つは、バ・ムードンで、河にさしかけるようにして建てられた戸外のレストランだった。・・・・そのレストランは「奇跡の釣り」という名前で、ミュスカデに類するすばらしい白ぶどう酒を出した。モーパッサンの物語に出てくる場所で、シスレーが絵に描いたような、河の眺めをもっていた。グージョンを食べるだけなら、そんなところまで行く必要はなかった。サンルイ島でだって、とても旨い魚のフライ(フリチュール)が食べられた。」
第一次大戦をはさんだ時期には、グージョンはなかなか人気のある川魚だったようです。
ベデカを持って旅行した荷風と藤村
藤村の「エトランゼ」十七に話をもどします。
「君はそれでも感心だ。何処へ行くにも左様してベデカを持って出掛けて行く。巴里へ来たばかりの大抵の旅行者はそれをしない。独逸人の感心なことには、気まりの悪いような顔もせずベデカを持って、公園なぞを歩いてるのによく逢うよ。」
こう言って大寺君は私を励ますようにして呉れた。私のベデカは国を出る時に長谷川天渓君から餞別にと贈られた巴里案内記で、外出でもする時には殆どそれが手放せなかった。
一方荷風の方は、「橡の落葉」の『墓詣』の中で、次のように記しています。 「・・・・君はよきもの持ち給えり。吾等は先ず、三人して案内記の地図を見るべしとて、左右よりわがベデカアを打ちひろげ、首さし伸して論ぜり。論争は制服着たる墓守の歩み過るに及びて、初めて決定せられぬ。」
二人の未知の世界に取り組む時の、そのひたむきな態度に心を打たれます。藤村はフランスへ着くまでの時間をむだにしないようにフランス船を利用しています。さらにこのベデカの案内記をもって外出したようです。ここで藤村が何語のベデカを持っていたのかも興味のある点です。そのヒントとして荷風の文章が役立つのではないでしょうか。偶然にモンマルトルの墓地であった二人の女性と一緒にベデカを見ていますからやはりフランス語だったようです。
ベデカは今でもドイツではもっとも権威のあるガイド・ブックです。
-9-
|
旅コムの目次へ
|
サンチャゴ目次
|