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「ありがとう、そして、さようなら、おせあにっくぐれいす」

日本のクルーズ時代をリードした、名船の撤退


レインボーブリッジを通過した
おせあにっくぐれいす

 日本のクルーズ元年といわれる平成元年。その先陣をきったのが同年4月22日に颯爽とデビューした昭和海運の「おせあにっくぐれいす」だった。キメ細やかな極上のサービス、ユニークなクルーズコース等、これ迄日本にはなかった小型高級プライベートタイプのクルーズ船として活躍した「おせあにっくぐれいす」だが、残念なことに、平成9年6月1日をもって、日本のクルーズ界から撤退することに決まった。そこで、今回は日本のクルーズ新時代を飾ったこの名船を振り返ってみよう。    

 「これで見収めになるかも知れない」。4月25日午前9時、東京港晴海客船ターミナルで、入港してくる「おせあにっくぐれいす」を待ち受けた。やがて、レインボーブリッジの向こうに懐かしい船体が見え始めた。髪をなびかせる乙女の横顔のファンネルマーク。純白のボディーを引き締める、ディ−プブルーのライン。機能的で斬新なその姿は大都会の摩天楼群をバックにひときわ映える。カメラのシャッターを切りながら、いつも夢見心地にさせてくれた「おせあにっくぐれいす」の思い出が、次から次へと溢れ出してきた。



メインレストラン
 私が、初めて「おせあにっくぐれいす」に乗船したのは、平成元年6月の長崎〜金沢クルーズだった。
 乗船翌日は良い天気。キャビンにこもっていてはもったいないと、一人でトップデッキに上がり、シャッフルボードに興じた。シャッフルボードとは、長い三股のような棒で、円盤を得点板に付き入れる、船上ではポピュラーなゲームである。
 他には誰もいないデッキには波音だけが響き、目を外に転じれば広がる青い海。「なんて爽やかなクルーズなんだろう!」、「まるで船のオーナーになったみたい」。シャッフルボードを続けながら何度も甘いため息が漏れた。
 小一時間も経ち、休憩しようかなと思った調度その時、突然背後から声がかかった。「上田様、お飲物は如何ですか?」びっくりして振り向くと、飲物を掲げた男性が立っていた。余りに絶妙なタイミング。加えて「どうしてこの人は、昨日乗ったばかりの客の名前を知っているのだろう?」「誰も通らなかったのに、何故ここでゲームをしていることが分かったのだろう?」。程よく冷えたコーラをのみながら私の頭は「???」マークではち切れんばかり。
 「それにしても大した気配りだ。日本にもすごいクルーズ客船ができたぞ」とゾクゾクしたのが、つい昨日のことのように蘇る。そしてこの時、飲物を持ってきてくれたのは、その後「おせあにっくぐれいす」のホテルマネージャーとなった上野さんだった。
 クルーズ船は「大きいことが良いことだ」とばかりは言えない。「船客1人1人の名前と好みを覚え、王様、お姫様気分を味合せてくれるクルーズ」が実現できたのも、乗客定員120名に対し、乗組員数約70名の「おせあにっくぐれいす」ならではのことだったのだ。
 加えて、5218総トンの小柄な「おせあにっくぐれいす」が得意としたのは、大型客船ではいけないような、小島や河川を巡るクルーズ。例えば、ミクロネシアのウルシー環礁クルーズなどは、その最たるものだろう。


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