Ⅲ カムチャツカのツアーについて
◆ ツアー会社システム
今回のツアーは「ロシア旅行社」にビザの取得や現地旅行社とのやりとりを依頼した。ロシア旅行社がコンタクトをとったのは、「バオインツーリスト」いう旅行会社である。ハバロスク、カムチャツカ、ウラジオストックでの通訳、移動手段、ホテル、食事の予約等、旅行に必要な人的、物的コーディネイトをしてくれた。ロシア旅行社から私たちに渡されたのはバウチャーをいう書類で、予約状況が明記されたこの書類が現地担当者との確認事項の橋渡しとなる。ロシアのビザは、このバウチャーまたは現地の人の紹介状がないと取れない。
ツアーの中の登山の部分は「バオインツーリスト」から「カムチャツカアドベンチャーズ」という冒険旅行を専門とした会社におろしたかたちになっていた。「カムチャツカアドベンチャーズ」は、通常登山のプログラムとラフテイングのプログラムを中心に活動をしている。ベースキャンプでの活動を含めた3日間、登山ガイド2名、炊事スタッフ2名、通訳1名が同行してくれ、また炊事用と食事用の大きなテントを持参で同行してくれた。
ロシア旅行社からの事前情報では、どこでベースキャンプ張れるのか、スタッフは何人つくのか、装備はどれ位まで現地で調達できるのか、というような情報は得られず、最悪の事態を考えて装備をそろえた。現時点では、ロシアを専門に扱っている旅行会社でも、まだまだ情報不足の状態で、市販の書籍からも情報は得にくい。(三好)
カムチャツカの自然体験型ツア-ガイドには、「カムチャツカインツ-ル」のような大手独占型旅行社が元請けとなって手配をする場合が多い。しかし、零細な自然体験型事業体もなかなか魅力的なプランを待っている。私たちはそのうちの、「カムチャツカアドベンチャ-ズ」の世話になった。こうした零細な旅行社に、直接依頼することも可能だ。
このカムチャツカアドベンチャ-ズ(KT)の場合を述べてみよう。
今回は安価な費用であげるため、カムチャッカの首都ペトロパブロフスクカムチャツキ-を拠点に、車でいける範囲の旅を行なった。その内のひとつ、アバチャ火山の登山は地元では一般的なツア-として知られている。もちろんその他に、ラフティング(3日間・100km)というコ-スや、フィッシング(川を埋め尽くす鮭の群れを狙う)などや、火山の麓でのキャンプあるいは氷河を滑りおりるスキ-(初心者コ-スももちろんある)といったプランが、首都から車でいける範囲で可能である。(広瀬)
◆ 人材
ガイドと通訳について
ハバロフスクとウラジオストックでついてくれた(別の人)日本語ガイドたちの日本語も高レベルで、市中のガイドには充分であった。旅行者の目的と能力によって、ガイドを選択できるという地は世界に目を広げても稀である。こちらが何を求めているのかをまず「聞こう」とする協力態勢についても満足できた。(片山)
◆ 交通
現在、新潟→ハバロフスク、新潟→ウラジオストック共に週3便が出ている。飛行時間はどちらも約2時間。そこから多い時で日に2便出ている国内線に乗りかえてカムチャツカまで、約3時間。国内線の夜行便があり、無理をすれば日本を出発して翌朝にはカムチャツカ入りすることも可能である。今回のツアーでは都市の比較もしたい、ということで行き帰りの2都市に1泊ずつした。
アエロフロートは国際線、国内線ともに居住性は悪い。離着陸に関しては安心していられる。大型犬が口輪もせず座席を占めているのには驚いた。(片山)
現地の足は、市内では10人乗り程度のワゴン車で、今回のツアーではどれも快適だった。市内には路面電車(ウラジオ、ハバロフスク)やバスがあるが、フリーの時間がない限り乗らないだろう。こちらは現地価格でそのまま乗れる。(森)
◆ ホテル
カムチャツカで宿泊したペトロパブロフスク(ホテル)は、エリゾボ空港より車で小1時間、市内にある。1階のフロントでチェックインし、2台あるエレベーターで指定階へ。ポーターはいない。各階にいるジュジュールナヤ(階担当の女性)より鍵をもらう。
室内は、日本のシングルベッドとほぼ同じ幅、長さのベッドに清潔なシーツ、毛布が用意されている。バスルームは、バスタブはなくシャワーのみ、時間でお湯が出る。スチーム管が露出しており、バスルームは暖かい。ここで洗濯ものを乾かすことができる。テレビ、机、家庭用の冷蔵庫が私たちの部屋にはあった。窓は二重窓、室内はたいへん暖かい。地階にステージ付バンド付のレストラン、1階に朝食用のコーヒーショップ、4階に日用品、ビール、ジュースなどを売っているショップがある。
今回宿泊した3都市(ハバロフスク、ペトロパブロフスク、ウラジオストック)のホテルはどれも“高級”であったが、ロシア人の国内旅行用に作られているためか、日本のビジネスホテル的質素感が共通していた。
カムチャツカとの違いとして、ハバロフスクのインツーリスト(ホテル)では、11階に日露合弁の日本食レストランやヌードダンサーのショーがあるバーがあったり、24時間両替可能だった。ウラジオストックのウラジオストック(ホテル)にもアイスクリームショップや日本食レストランがあり、ビジネスセンターで国際通話ができた。
ホテルの各階にいるジュジュールナヤの働きと笑顔にホッとさせられたのは3都市とも共通であった。(片山)
今回宿泊したホテル
● ハバロフスク
インツーリスト(ИНТУРИСТ)
Амурский бульвар TEL.33-76-34
● ペトロパブロフスクカムチャツキー
ペトロパブロフスク(ПЕТРОПАВЛОВСК)
Просп. Карла Маркса TEL.5-03-74
● ウラジオストック ウラジオストック
(ВЛАДИВОСТОК)
Ул. Набережная 10 TEL.22-22-46
◆ 現地でのインフォメーション
未整備なる情報サービス
旅行に不可欠なものに情報がある。今回のツアーで最も苦慮したのが、カムチャツカについての的確な情報が思うように集められなかったことだった。世界中のどこへ行っても日本人に会うとさえ言われる今日、旅行可能なほとんどの地域のガイドブックが出版されているのも関わらず、旧ソ連特に極東地域の情報は極めて少ない。それにも増してカムチャツカは、さずがに軍事重要地らしく、ツーリストへの情報発信に関してもほとんどされていないに等しかった。
こうした情報の少なさは、まず誤解を生む。カムチャツカに行くと聞いて友人の多くは、あたかも無法地帯に行くかのように、飛行機はちゃんと飛ばないは、荷物は盗まれるは、役人は皆ぼってきて、ホテルなんてお湯はおろかちゃんと泊まれるかどうか分からないって言うよ、と口々言った。確かにロシアは治安がいいとは言えない。ホテルのサービスだって全て整っていたわけではないけれど、実際に行ってみての現実は聞くほどひどくはなかった。
そうまでなる原因に、現地でさえもまっとうなガイドブックやマップ類がないことが上げられよう。バックパッカーが旅行するような地域は、たいていその地域の地図が普通の本屋や露店で安く売っている。ビジターセンターや観光案内所があるところなど、タダで地図からガイドブックまでもらえたりもする。コスタリカなどエコツーリズム先進地は、そのあたり実によくできていて、ツーリストがほしい情報やあったらさぞ便利だろうというものがちゃんと準備されていた。
今回カムチャツカを旅行して、まずろくな地図が手に入らなかったこと、おみやげにできるようなガイドブックやポストカード、写真集などがほとんどないことがわかった。ホテルに売りにきた兄ちゃんが持ってきたのは、印刷も悪い何年か前に作られてそれっきりという地図やポストカードだけだった。
唯一の掘り出し物は、郷土誌博物館で売っていた「KAMCHATKA THE BEAUTIFUL」という写真集だったが、これでさえ物足りなさが感じられた。今後の情報ツールづくりと情報化の下地づくりを期待したい。(森)
◆ 食事
旅行前は食事についてはまったく予想がつかず、毎日黒パンとボルシチでもウエルカムだという気持ちでのぞんだ。また、登山中の食事も乾物やラーメン、カロリーメイトなどをそろえ、何があっても困らないように準備した。しかし、予想以上に食べ物はよかった。常にテーブルに出てくるのはサーモンとカニ。逆にほかの海産物はほとんど出てこなかった。赤かぶのスープもおいしかった。コーヒーや紅茶は、ホテルの各階に常駐しているおばさん(わたしたちが泊った3つのホテルのどれにもエレベーター前の受付に座っていた)にチップを払って頼むと、すぐに部屋までもってきてくれた。
何よりうれしかったのは、登山のためのベースキャンプにクッキングスタッフが同伴してくれて、毎回心のこもった食事を作ってくれたことだ。中でも、アバチャ火山に1日かけて登ったあとに、ベースキャンプで用意してくれていたボルシチは破格の味わいで、メンバーは「これはすごい」「たまらない」「信じられない」などと口走りながら食べていた。
街の中の食事は、どちらかというと高級なレストランが事前にセットされていた。どこも清潔で、味もよかった。しかし、できれば数回は予約を入れずフリーにして、街の人がごく日常的にはいる大衆食堂や青空市場の立ち食いなどができると、カムチャツカの人々の日常をより身近に感じることができるだろう。
お酒はウォッカ。食事中何度も乾杯しては一気に飲み干す。そして、街角のアイスクリームスタンドのアイスクリームは絶品。おみやげに買ってかえりたいほどだった。サーモンやイクラは山ほど市場で売っているが、かなり塩気が強い。味見をしてから購入すること。(三好)
◆ 病気
今回のツアー中、3名が病気にかかった。最初にかかった者は、ツアー開始3日目の夜から突然嘔吐に襲われ、ひどい腹痛と嘔吐で数日間何も食べられないような状態が続いた。1日目が最も症状が重かったが、翌朝より抗生物質を飲み、何も食べずにいたところ、2日後には登山ができるほどに回復した。水道水は飲まないようにしており、また、特にこれが原因だと思われる食べ物も思い当たらない。食堂も清潔であった。また、アバチャ山登山後も2名が熱と腹痛でダウンした。
原因ははっきりわからないが、この種の病気にかかる可能性は高いであろう。病人が出たときの対策(薬の準備、ゆっくり休める場所、スタッフ体制など)を考えておく必要があるだろう。また、水については合わないことが考えられるので、日本から各自1リットルぐらいは持参し、なくなったら湯ざましを入れるようにするとよいであろう。(三好)