ゲーテ終焉の地、ワイマール

更新日 : 2014年07月15日

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - ゲーテ終焉の地、ワイマール
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed



ゲーテの家フラウエンプラン1番地にあるゲーテが晩年を過ごした家



ダブル世界遺産の都市、ワイマール

国民劇場

ワイマール共和国誕生の舞台、ドイツ国民劇場

知見を広げるため、ヨーロッパ各地を積極的に旅したゲーテ。だが、ゲーテの人生において、最も長い時間を過ごしたのがイエナの西20キロにあるワイマールである。ゲーテはワイマールについて、「これほど小さいにもかかわらず、これほど素晴らしいもののあるところが、一体どこにあるだろう」という言葉を残している。

ワイマール公国のカール・アウグスト大公に招かれ、ゲーテが客人としてワイマールへやって来たのは1775年11月初旬のこと。翌1776年には同大公からイルム公園にある東屋を与えられ、そこで暮らし始めた。
そして、1802年にはゲーテの招きを受けシラーが、その他にもニーチェやバッハなど多くの文化人がこの地に集い、ワイマールはドイツ古典主義の文化都市として大輪の花を咲かせた。

ワイマールはまた、バウハウス発祥の地でもある。これを受けワイマールは1996年、デッサウと共に「バウハウスとその関連遺産群」として、また1998年には「古典主義の都」として、2つの世界遺産に登録されている。
小さいながらも、見どころがギッシリと詰まったワイマール。そこで今回は、ワイマールにあるゲーテゆかりの場所を中心にご紹介することにしよう。


ゲーテの理想世界に佇むガーデンハウス

宮殿のすぐ近く、イルム川の畔に面積50ヘクタールの広大な敷地を誇る公園がある。それがゲーテが造園に深く関わったイルム公園である。ここは、ゲーテの理想的な風景が創り出されている場所。天気が良い日には、この公園でバイオリンを弾くアーティストの姿が見られることもある。

イルム公園のガーデンハウス

書斎にゲーテが立ち座りしたイスが残されている

このイルム公園の敷地内にある小さな東屋は、ゲーテが1776年にカール・アウグスト大公から贈られた「ガーデンハウス」。ここはゲーテがワイマールに来て暮らした初めての家で、1782年にフラウエンプラン1番地にある邸宅に移り住むまで暮らした家である。簡素な東屋の庭には花壇や果樹園があり、その一角に小さなテラスもある。

建物は2階建てになっていて、1階にキッチン、2階にゲーテの寝室や居間、仕事場として使っていた書斎がある。キッチンは温もりが感じられる控えめなローズピンク、2階の壁は植物を愛したゲーテらしく淡いグリーンやイエローが基調になっていて、そこに窓から柔らかな春の日差しが差し込んでいる。
ホットチョコレートが大好物だったというゲーテ。寒い日には、よくホットチョコレートを口にして暖をとったという。ぼんやりと静かに室内を見つめていると、両手でギュッとカップを握りしめ、窓から外の様子をうかがうゲーテの姿が見え隠れするようである。

ゲーテは事務的な仕事をこなす時はいつも座っていたが、「はかどるから・・・」という理由で、小説は立って書いていたそうだ。でも、さすがに立ちっぱなしは辛かったのだろうか。書斎には鞍馬のような珍し形をしたイスが残されている。ゲーテはこのイスに背もたれのように立った部分を前にし、馬のようにまたがって書き物をした。このイスの高さからみると、ゲーテの足は結構長かった(?)ようだ。ゲーテはこのイスを愛用し、旅に出る時も持ち歩いたと言われている。当然のことながら、机もそれに合わせた高さとなっている。

簡素だが、狭すぎず、広すぎもしない手頃な大きさのこのガーデンハウスは、静寂に包まれ、創作活動には最適な環境だったのだろう。ゲーテがこのガーデンハウスやそこからの景色を好み、晩年もわざわざフラウエンプランの邸宅からここに足を運んで過ごしていたというのがうなずける。


次へ 1 2




このページの先頭へ