南極観光 --今昔

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南極大陸とのそもそもの出会は、中学時代に読んだノルウエイのアムンゼン隊と英国のスコット隊の南極点一番乗り競争だった。

 「俺も将来は南極へ行くんだ」と、子供心に秘めた夢が後年思いもかけず実現することになったのは、1967年になってからだった。「一度は南極に行ってみたい」という同じような夢を持つ世界の仲間52名が、研究調査ではなく、観光を目的としたごく普通の民間人としてはじめて南極大陸に降り立つことになったのは、当時驚異的な出来事だった。

 私達の夢を実現させてくれたのは、米国の旅行会社で、社長のラース・エリック・リンドブラッド氏が、アルゼンチン海軍の軍艦ラパタイア号をチャーターして始めた、世界初の南極観光だった。 それが「南極探検グルーズ」の始まりだった。

 数年後、本格的な探険船リンドブラッド・エキスプローラ号が建造され、南極探検クルーズは定期的に運航されるようになり、本格的な南極観光がスタートすることになる。
加えて近年になって、東西冷戦の緩和により用済みとなったロシア船籍の砕氷船が米国の旅行会社にチャーターされて商用として利用されるようになり、価格も大幅に低下、行きにくい南極がいっぺんに大衆旅行商品となった。

 リンドブラッド・エキスプローラ号はその後、ソセテイ・エキスプローラーと改名され日本生まれの探検船であるフロンティア・スピリット号もブレーメンと名を変えた。これに英国の大型客船マルコポーロなども加わり、今では南極半島とロス海を中心に6-7隻の探険クルーズが運航されている。

 今年の11月には、13年前に極地探険のベテラン船長達と夢を語り合っていた「南極大陸一周クルーズ」も、ようやく実現する運びとなった。米国のクルーズ会社が66日間、これまで多くの探検家たちが果たし得なかった夢の南極一周を運航する。長年の豊富な経験を持つエキスペディション・リーダーの確保をはじめ、各国南極科学基地への訪問許可やその他南極に関するありとあらゆる資料が整い、実現の運びとなったものである。

 行きやすくなったといっても、決して南極旅行は安くない。その南極に通算13回も足を運ぶことになったのは、一体何なのであろうか? 私自身しかとした理由を持ち合わせていない。ただ何よりも南極でしか体験できない、自然が好きだ。

 島々の山ひだを氷河が静かに海に流れ込む大自然のドラマは何度みても圧巻である。
何千年何万年もの雪が積もり、圧縮され、大陸の奥地より長い旅を続けた氷河は、海に押し出されたように注ぎ込む。強大な豆腐を思わせる四角い氷塊から女体のような美しい曲線を描くものまで形状は実にいろいろだ。ドーム型の屋根を支える大理石のような氷の柱は、宮殿を想像させる。

 切り立った城壁やピラミッドもある。通称20マイル氷山と呼ばれるテーブル型の平たい氷の島は、飛行機が離着陸出来るくらいの長ささえ有する。個性派揃いの氷塊が、美を競うように私の心を挑発する。氷山の一つ一つは、神様が風と波を使って創り出した氷の芸術品である。南極海クルーズはこれらの作品を船上から観賞する、自然の一大ギャラリーなのである。
氷山の形は実にさまざまだ。四角形から多角形までそれぞれの形が個性を競う。一日中デッキに立っていても、次から次へと思いもよらぬ美しさをみせてくれるから、飽きることがない。

 南極の観光シーズンは、11月から2月まえの南半球が日本と反対の夏の間である。
この間、南極では24時間沈むことがない。夜中の12時半から1時半頃になると、太陽は水平線近くまで下りて、黄金のように光彩を放つ。神々しい一瞬だ。薄い雲がかかると、空や氷山はピンク色に照りかえる、また別の世界だ。

 職業柄片時もカメラを放すことはないが、この時ばかりは仕事もそこそこに、それこそ南極生まれの氷の一片拾って来て、水割りをつくりデッキに立つ。大自然の光のスペクタルを眺めながら、氷に閉じ込められた気泡が放つプチ、プチという可愛い音は、数百数千年前の南極の出来事を、耳元で囁いてくれているようだ。

 白夜の海は、氷山が次々と現れては去って行く。グラスを手に人間の力の及ばない大自然の美しさに酔う心地よさはまた格別である。何度、南極に足を運んでも幸福感に浸れる一瞬だ。この感動は、世界中の美術館を束にしても決して味わうことはできまい。

 もちろん、探険クルーズは氷山との語らいやデッキでの祝杯をあげているだけではない上陸に備え毎日のように、学習のカリキュラムが用意されている。
講師陣は世界の名だたる大学や研究所、そして各国の南極科学基地で越冬経験を持つ研究者たちである。地質、氷学、宇宙、動物、鳥類、植物、魚類、探検史など専門は実に多岐にわたっている。

船内の教室だけではなく、船のデッキも上陸地でも何かを発見するとそこがたちどころにそこが学習の場となる移動教室形式だから、分かりがいい。
参加者たちも南極に関する本は最低でも十冊くらいは読んで乗船してくるから、講義中でも講師や参加者同士で賑やかに活発に質疑が交わされる。ジョークを飛ばしながらの学習は、楽しく時間の経つのもつい忘れてしまう。

 最近は日本人の参加者が増えたこともあって、この講義を完全に理解し意義深いあるものにしようと、いろいろが試みが行われているが、私の知っている限り最初に同時通訳のサービスを始めたのは、リンドブラッド社社長夫人のるり子さんである。

 彼女のノート・ブックは各テーマ毎に実によく整理され、学術用語から一般名称、日本語名の中のでの地方別の呼び名などまで、ぎっしりと書き込まれている。単なる講義の通訳ではなく、学術用語と日本語のギャップを埋める役割も果たしているから、恐れ入る。 一流の専門家による講義は、南極大陸にとどまらず、しばしば地球全体にスケールが広がることが多いから、知らず知らず自然環境の保全保護が如何に大切なものであるか、参加者は問わず語りに教えられることになる。同行した日本人参加者の中から、そういった感想がしばしば聞かれるようになったのも、こういった地道な努力の積み上げがあってはじめて成し遂げられてきたものである。

「白い氷の大陸南極」は、ざっと日本の36倍もの広さを持つ。そして大陸の95%は氷に覆われている。その厚さは最高 4,000mにも及び、まさに氷の大陸である。万一、この大陸の氷が全部溶けたとすると、地球上の海の水位が今よりも75mも上がることになる計算というから、世界の主な都市は海中都市と化してしまう。

 近年地球の温暖化がいろいろと取りざたされているが、それでもせいぜい水位が1ー2cmほど上がる程度というから、南極大陸の話はこの面でも桁が違う。南極観光の実際を報告しながら、地球における環境問題の象徴としての南極大陸のあれこれを考えてみたい。


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