シシリアの旅

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - シシリアの旅
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed



シシリアの旅 (その3)

パレルモ


サン・ジョヴァンニ・デリ・
エレミーティ教会キオストロ
シラクサまで来れば、時計周りにノート、ラグーサからアグリジェントへ向かうことも考えました。しかし、四週間という限られた期間に有名な観光地を一応カバーしようとすると、ノート、ラグーサは次の機会か、時間があまれば、と後回しにせざるをえませんでした。

一旦カタニアに戻ってアグリジェントを先にするという、和辻哲郎と同じ選択もありましたが、なるべくゲーテの選んだルートに近づけようとパレルモ行きのバスに乗りました。
バスは一度カタニアの近くまで戻ってから島の中央にあるエンナの麓を通ってパレルモまでハイウエイを走ります。

パレルモの第一印象は、私にとって、強烈なものでした。
中央駅の案内所で「地球の歩き方」に出ている、数軒のホテルが入っている「Divisi 99」という番地を聞くと、「Divisi通りには行ってはいけない」という返事が返ってきました。「目抜き通りのマキエダ通りの角にあるはずですが」と私が言うと、「Divisi通りには入っては駄目ですよ」と念を押されました。

この建物の一番安いホテルは満員で、二つ星の「シシリィ」に60000リラ(約3500円)でシャワー付の部屋を取りました。ここのフロントの第一声が「引ったくりが危険なので、バッグは持ち歩くな」という言葉でした。中央駅からも近い目抜き通りを歩くのに、こんな心配をしなければならないとは、全くの驚きでした。

通りに出ると、まだ午後八時だと言うのに店仕舞いをはじめていました。中央駅の近くでレストランを見つけて入りました。後で分かったことですが、タオルミーナでは、スパゲッティは10000リラ前後しますが、パレルモとアグリジェントでは、5000リラで食べられます。ワインについては、面白いことに気づきました。バーでは、ワインを飲むのが目的のためか、安いテーブル・ワインは出さないようです。一方、レストランでは、食事が目的なので安いテーブル・ワインも出しています。勿論高いワインも出しますが。

パレルモの街は、ほぼ南北に走るマクエダ通りと直角に交わるヴィットリオ・エマヌエーレ大通りに沿って有名な建物が並んでいます。二つの通りが交わる交差点がクアットロ・カンティ(四隅)と呼ばれ、四隅がそれぞれ四分の一円形の、下から四季を表す噴水、歴代のスペイン総督、町の守護聖女像のある17世紀スペイン・バロック様式の建造物になっています。今では車の排気ガスが立ち込め、煤けていました。夏はどんなかと想像するだけでうんざりします。

パレルモヌオーヴァ門
D.H.ロレンスは『海とサルデーニャ』の中で、やはり「パレルモには二つ、大きな通りがある。マクエーダ通りとコルソがそれで、たがいに直角に交わっている。マクエーダ通りは小さな歩道のあるせまい通りで、いつも馬車や歩行者でいっぱいだ」と紹介しています。1921年1月のことで、ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りは「コルソ」と呼ばれていました。

クアットロ・カンティについては、「あのはなやかな大渦巻、四つ辻クヮットロ・カンティの死の落とし穴で、表通り(コルソ)をわたった。もちろん、はね飛ばされて死ぬところだった。二分ごとにだれかがはねられ死にそうになる。しかし、まあ、馬車は軽馬車だし、馬はふしぎな注意力を備えた動物なので、人を踏むことはけっしてない」

クアットロ・カンティの東に隣接して、プレトーリア広場がありますが、その中心にある噴水は残念ながらテントで覆われ、修理中でした。ゲーテが「建築様式は大体ナポリのそれと似ているが、公共の記念物、例えば噴水などはどうもよい趣味とはいわれない」と切って捨てた噴水です。

その東南に隣接してアラブ・ノルマン風のたたずまいの二つの教会をもつベッリーニ広場があります。ラ・マルトラーナ教会の内部は、後で述べるパラティーナ礼拝堂と並ぶ、シシリア最古のビザンティン・モザイクです。もう一つのサン・カタルド教会は12世紀のノルマン時代に建てられたもので、三つの赤い円屋根にアラブ支配の影響を感じさせます。

四つ辻に戻って大通りを西に進むと、右手にカテドラーレがそびえ立っています。12世紀の終り頃にシシリア・ノルマン様式で建てられましたが、後の時代にいろいろの様式での増改築が行われ、後陣の幾何学装飾紋にわずかに最初の様式を残しています。

さらに西に行くと左手にノルマン王宮が拡がり、前方のヌオーヴァ門で大通りも終りとなります。この王宮の二階にあるパラティーナ礼拝堂はアラブ・ノルマン様式で、そのモザイクはコンスタンティノーブプル、ラヴェンナと並んでキリスト教モザイクの三大傑作の一つといわれています。三階のルッジェーロの間も12世紀のもので狩のモザイクで飾られています。

和辻は「その(王宮)中にモザイックで有名な礼拝堂カペラ・パラチナが残っている。モザイックはこのほかにマルトラナという小さな寺にもあり、またパレルモの郊外にあるモン・レアーレの寺院にも非常に立派なのが残っている。これはよほどおもしろいものであるが、しかしモザイックの感じはどうも写真には出ないようである。それはたぶんモザイックの方が絵画よりも一層光の複雑な役目を必要としているからであろう。薄くガラスをかけた、きらきら光る色石を使って、画面を構成して行くと、その光が画面に重大な役目をつとめることになる。・・・・・・ローマでもモザイックというものはだいぶ見たのであるが、そのおもしろみはよくわからなかった。パレルモに来て、わりによく残っている三つの寺のモザイックを見て、初めてなるほどと思った」と述べています。

モン・レアーレ寺院については、次回に触れるとして、王宮の南にあるサン・ジョヴァンニ・デリ・エレミーティ教会について、和辻は「・・・小さいノルマンの寺に行った。十二世紀にできたもので、よほどサラセン式である。おわんを伏せたような円屋根の寺と、そのそばのキオストロとが有名であるが、キオストロは非常に小さなもので、柱の高さはちょうど私の背たけぐらいであった。モザイックはもはや少しも残っておらず、柱も円柱ばかりでねじりん棒などはなく、あっさりしていて、なかなかしゃれたいい感じであった」と1928年3月2日に書き留めています。

(2002年新春号)


PREVNEXT 1 2 3 4 5 6 7 8


このページの先頭へ