シシリアの旅
シシリアの旅 (その7)
エンナ
D.H.ロレンスが滞在した住宅 |
エンナは「シシリアの臍」といわれ、島の中心にあって、アグリジェントからパレルモへ行くにも、カタニアへ行くにも、この街の麓を通らねばなりません。それにも拘わらずバスはエンナを素通りしてしまいます。ところがパレルモからも、カタニアからも、エンナへの直通バスが運行されているのです。シシリアでは空港をもつこの二つの街が交通の中心だ、ということを思い知らされました。
私も仕方なく一旦カタニアに戻ってからエンナへの日帰りバス旅行を試みました。往復で18500リラ、千円強という安さです。
エンナの町は948mの山頂にあります。エリチェの町と似ているとも言えるでしょう。バス・ターミナルは町の西外れにあって、東西にローマ通りが走っています。町の西南にあって今工事中のフェデリコ二世の塔を除くと、他の見るべき建物はこの通りに散在しています。ドゥオモ、ロンバルディア城、考古学博物館、アレッシ博物館が主なものです。
町の西端にあるお城から北を見下ろすと、かすかに光るのがペルグーサ湖です。街中の公園には、この湖でペルセフォネが冥界の王ハデスに誘拐される様を刻んだ彫像が建てられています。私はギリシャ神話の世界に浸りました。ゲーテもこの神話に惹かれてこの地を訪れましたが、雨に悩まされて不満を漏らします。
「こうして私たちは、神話の名前に引かれて行く先を定めるようなことは、今後決して二度としないという厳格な誓いをたてた。」
タオルミーナの広場 |
タオルミーナ
エトナ山に登るには少しでも暖かになってからがよいだろう、と考えて、エンナから帰ると、直ぐタオルミーナに向かいました。生憎と日曜日でインフォーメーションは閉まっており、メッシーナ門の外側で、海の見える一つ星のホテルで50000リラから値切りはじめ、八泊を条件に40000リラで手を打ちました。シャワー、トイレ付朝食込みで海が見える部屋でした。このホテルで気に入ったことは、朝食のコーヒーが温かいミルクと一緒に出されて、朝からミルクコーヒーが四杯も飲めたことでした。皆さんご存知のように、これはスイスの朝食の習慣です。このホテルは例外ですが、一般論でいうと、イタリアのホテルの朝食は遅くて、割高なので、外のバーやカフェで取るほうがよいでしょう。
この街のホテルでは、海が見えるのは当り前で、エトナ山が見えないとよい部屋とは言えません。第一次大戦後(1920~1922年)にD.H.ロレンス夫妻がこの町の北にあるヴィラ・フォンタナ・ヴェッキアに住みましたが、その家からもエトナは見えません。名作「海とサルディーニャ」の旅はここを起点としています。ただこの家も健康のすぐれなかったロレンスの配慮によるのか、ガルダ湖畔のガルニャーノのヴィラ・イジェアと同様に東に水を臨んだ建物でした。
エトナ山を望む |
「・・・・(ギリシャ)劇場の見物人として、これほどの景色を眼前に眺めた者は外にあるものではない、・・・・。右手の小高い岩の上には城塞が峙立し、その遥か下方には町が横たわっている。・・・・・見渡せばエトナ山脈の山背は全部眼界におさまり、左方にはカタニア、否シラクサまでも伸びている海岸線が見え、この広大渺茫たる一幅の絵の尽きるところに、煙を吐くエトナの巨姿が見えるが、温和な大気がこの山を実際よりも遠くかつ和らげて見せるので、その姿は決して恐ろしくはない。・・・・」
カタニアからのバスは町の反対側、北東にあるメッシーナ門の下、歩いて五分ほどのバス・ターミナルに着きます。町はこのメッシーナ門から南西端のカタニア門までを貫いて走るウンベルト一世大通りの両側の広がっています。
この大通りの中ほどにある四月九日広場にはカフェの椅子が並べられ、ゆっくりと休みながらエトナ山を眺めることができます。
この町で最も眺めのよいところを選ぶとすれば、やはり先ほどのゲーテの言葉通りに、ギリシャ劇場の最上段辺りからのエトナ山の眺めです。私は毎日火を噴くエトナを一目見たいと念じましたが、その機会に恵まれませんでした。
ペルセフォネがハデスに 誘拐される彫像 |
町の裏山には、マドンナ・デラ・ロッカ礼拝堂とそのさらに上にカステロ・サラチェーノと呼ばれるお城がそびえ立っています。礼拝堂は閉じられ、お城は危険ということで立入り禁止でした。イタリアの教会は盗難を防ぐ意味もあって普段は閉まっていることが多いのですが、私はこんな時は土地の人々がお参りをする日曜日に教会を訪れることにしています。今回も日曜日にこの礼拝堂へ登りました。岩盤をくり抜いて教会が作られ、パレルモのサンタ・ロザリオ礼拝堂に何となく雰囲気が似通っていました。メッシーナ門の下にあるサン・パンクラチオ教会も開いていました。
この街で面白い体験をしました。大通りに面した旅行会社の受付嬢が、下手な英語で話す私に向かって、「この店はドイツ語を話す客しか受け付けない」と言うではありませんか。やはりゲーテ以来のドイツ観光客の伝統があるのでしょうか。久しぶりにドイツ語が話せて楽しい思い出になりました。
(2002年5月号)