オーストリアの田舎から

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マドレーナーハウスからシルベレッタ・ダム湖の上にアルプスの峰峰を望む

オーストリアの田舎から(その1)

へミングウエイの二度と帰らないパラダイス


ノーベル賞作家アーネスト・へミングウエイの死後に出版された『移動祝祭日』をご存知でしょうか。

この本には、彼のパリでの青春が描かれています。
しかし、その最終章「パリに終わりなし」を読むと、彼が二度目の妻パオリンと出会い、最初の妻ハドレイと別れた経緯が、痛恨の思いで記されています。
その街こそ、今、私が皆様にお便りしているシュルンスです。

夏のジルベレッタ湖
へミングウエイは1924年から25年そして25年から26年にかけての二冬を、この街を拠点として付近の山小屋でスキーをして過ごしました。

シュルンスの街はヘミングウエイの文章を借りればこんなところにあります。
「私たちは、オーストリアのフォラールベルク地方のシュルンズへ行った。スイスを通過すると、フェルトキルヒというところで、オーストリアの国境に達する。汽車はリヒテンシュタインを通って走り、ブルーデンツで止った。

そこには小さな支線があり、小石の多いマスのいる河に沿って走り、農場や森林のある谷を越して行くと、シュルンズに達するのだ。そこは、日光に恵まれた、市の開かれる町で、製材所や、店や、旅館や、一年中営業しているタウベという良いホテルがあり、私たちはそこで暮した。」(『移動祝祭日』岩波同時代ライブラリーより引用)

この短い文章の中にも、彼らしく、間違いがあります。フェルトキルヒからリヒテンシュタインへ行く列車はありますが、ブルーデンツへ来るにはそこは通りません。
ヘミングウェイも山スキーの基地とした
マドレーナーハウス
シュルンスのあるモンタフォンの谷には、当時まだリフトはありませんでした。彼はシールを着けて山小屋に登り、時には一月以上もそこで過ごしました。その一つがここに写真のあるマドレーナー・ハウスです。

この山小屋は、今では、ジルヴェレッタ湖という人造湖の直ぐ下にあります。夏はバスが通っていますが、冬はゴンドラで途中まで上がり、ダム建設に使われたトンネルを車で抜けて行きます。その為、今年は2月3日まで閉められていました。

ここから眺めると、スイスとイタリアの国境の山々が眼前にそびえ立っています。昔はここからシールを着けてあの山々の頂を目指して登ったのでしょう。


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