Part 7: ルーアン

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周りにレストランやカフェの並ぶ旧市場広場



セーヌに架かる橋を渡った列車は地下に入り、ルーアン右岸駅に着く。まずは、駅近くに手頃な宿を探す。2泊の予約をして表の鍵の開閉について指示を受ける。今日は大晦日なので、今晩から2日の朝までは管理人が居なくなる。宿泊者は各々部屋の鍵と玄関の鍵を持たされる。

ホテルを出て大晦日の街へ。駅からジャンヌ・ダルク通りをセーヌ河の方角に下る。大聖堂の近くに観光案内所があり、ルーアンの地図と上ノルマンジーの鉄道・バスの時刻表を貰う。
この時刻表はなかなか良くできており、西はカン、北はル・アーブル、エトルタ、フェカン、南はパリまでの都市間交通を網羅している。また、各ページには往年のノルマンディーを舞台とした映画のスナップと説明が入っている。
明日訪ねるガイヤール城への交通を訊いたが、最寄りの駅までの鉄道しか判らなかった。あとは現地で訊けとのことである。

  

ルーアンの大聖堂(左)、ルーアン名物の大時計(中央)
と周囲と調和したクレディ・リヨネ銀行の店構え(右)


案内所を出て大聖堂へ。正面右の塔は工事中で、足場が組まれている。尖塔は 135mもあり、フランスの全教会一の高さを誇っている。モネが朝景から夕景までの連作を描いた大聖堂正面は、冬の日溜まりの中で輝いていたが、左半分と工事中の右半分がくっきりと分れてしまって、別の教会のように見えた。

聖ジャンヌ・ダルク教会と十字架

内部の堂々たる内陣とステンドグラスを見て回る。ステンドグラスは13~15世紀のものであるが、パリのノートルダムやシャルトルに比べるのはちょっと気の毒である。この大聖堂で印象に残っているのは、やはり正面の堂々たる陣容である。

大聖堂から有名店が並ぶグロゾロージュ通りへ。ルーアン一の目抜き通りであるこの通りの両側には、見事な木組みの建物が並ぶ。大きなデパートも雰囲気を壊さないように周りとの調和を充分考慮した建物になっている。右側の写真のクレディ・リヨンは特に念入りに造ってあり、銀行を探していた私はその前を何度か通り過ぎてしまった。
通りをまたぐように立つ鐘楼の正面に、ひときわ目立つのがルーアンのシンボルの大時計。アーチをくぐった逆側にもう一つ同型の大時計が備え付けられている。

1月2日の朝に旧市場広場に再度立ち寄り、広場の一角にある聖ジャンヌ・ダルク教会へ。意外なほどモダンな建物に驚く。残念ながら時間が早かったのか建物の内部へは入れなかった。右手の十字架がジャンヌ・ダルクの処刑された場所を示す。教会の建物は1979年に建てられたが、ステンドグラスは16世紀の作品で他の教会から移設されたものという。

セーヌ河から望むルーアン市街と
大聖堂の尖塔

旧市場広場(一番上の写真参照)は朝から野菜や果物や花の市が立つ。広場に面してジャンヌ・ダルク博物館、少し入ったところにコルネイユ博物館がある。

セーヌ河はこのルーアンで大きく蛇行し、左岸はセーヌの作るヘアピンカーブに包まれるような形で位置し、新しい市街が広がっている。

右岸の旧市街はそのヘアピンカーブの外側、カーブの曲がりかけの部分に位置している。もっとも、蛇行の半径は3kmほどに及ぶので、セーヌ河はゆったりと曲がりながら豊かな水をたたえている。


【ミニ・メモ】  Rouen (ルーアン)


ルーアンは上ノルマンディーの中心で、セーヌ川に沿って広がる北フランス有数の都市である。

9世紀末以来、北方よりフランスに侵入したノルマン人は、セーヌ河畔を根城にしてしばしば略奪を繰り返す。これに手を焼いた西フランク国王は、西暦 911年に族長ロロをノルマンディー公に封じる。これがノルマンディー公国の起こりである。ルーアンはその公国の首都として栄えた。

1066年にイングランドを征服したノルマンディー公ウィリアムが、英王ウィリアム一世となって以降、ノルマンディー公は英王が兼ねることとなるが、1204年にルーアンを陥落させた仏王フィリップ2世によって仏領に帰す。
 百年戦争時の1417年に再び英領となるが、1450年以降仏領となって現在に至っている。

英仏の百年戦争の最中の1429年、敗勢濃厚な仏軍に少女ジャンヌ・ダルクが現れ、オルレアンの戦いで英軍を破る。以降、仏軍は快進撃を続けるが、ジャンヌ自身は英軍に捕らえられ、1431年に魔女裁判の末、ここルーアンで火焙りの刑に処される。
処刑されたのは現在の「旧市場広場」で、1979年にジャンヌ・ダルク教会が建てられた。教会入口の高い十字架は、ジャンヌが処刑された場所を示している。

ルーアンの見所はまずは大聖堂。創建は11世紀であるが古くから戦火に会っては修復を繰り返し、現在も第二次大戦で壊された部分の補修中という。モネの「ルーアン大聖堂」の連作は有名。
町一番のにぎわいを見せるのはグロゾロージュ通り。木組みの建物の中に店舗が並び、金色に輝く1本針の大時計は町のシンボルとなっている。他に市役所、美術館、サン・トゥーアン教会などが見所。

ルーアンの主な見所はセーヌ右岸の一辺1km四方ほどの旧市街にあり、歩いてゆっくり回るに適した町である。
旧市街の至るところで木組みの建物が見られる。銀行やデパートやファーストフードの店も景観を壊さないように、よく配慮されている。


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