香港観光の一大イメージ転換作戦を成功させた

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元香港観光協会日本局長
荒川 一郎さん

「旅コム」創刊号から連載を開始している「中国返還と香港観光の未来」は、22万字原稿用紙550枚に及ぶ大作の一部である。しかも、もともとその3倍もの分量に及んだ元原稿を圧縮しての結果というから、「香港」への入れ込みようは中途半端でない。筋金入りである。

日本交通公社から世界旅行会社アメリカンエキプレスの日本支社創設と共に、日本人社員第一号として入社、在日米国人やその家族の渡航業務に連日泊まり込みの激務を経験して、旅行業の何たるかを骨の髄まで学ぶことになった。わが国の旅行産業を育ててきた立役者のひとりである。

縁あって香港観光協会の日本支局長として10年間、大衆海外旅行時代の象徴である香港のイメージ転換に獅子奮迅の活躍をしてきた。その結果、危険な海外旅行の象徴であり、夜景とショッピングの魅力しかないといわれていた香港を、若い女性が気軽に訪れ、リピーターが何度でも足を運ぶ磁力の高いデスティネーションにものの見事に転換させることに成功した。22万字の大作はそれをドキュメンタリー・タッチでまとめた日本における香港観光のマーケティングの記録であり、「観光マーケティング」のあり方を説いたケーススタディの書である。

それだけに、中国への返還で香港観光の明日がどうなるかは、わが子の行く末を案じる親の気持ちに似て並大抵ではない。むしろ、香港観光への思い入れを綴っていったら、後生に伝える大作になったと言った方が正確なのかも知れない。

「一応、中国政府は返還後50年間はこれまでと変わらぬ香港特別行政区として扱っていくことを約束しているが、それはあくまで建て前。選挙で選ばれた立法評議会の民主派に対し大陸系の臨時立法会は7月からの正式発足に向け着々と布石を打っている。天安門事件の残党を巡り国家反乱罪の適用など何時きな臭い煙が立ちのぼるかもしれない」

「そうは言っても、香港の中国人は生きるためには極めて打算的でもあるので、本心は別として主義主張にこだわらず旨く泳いで行くだろうし、中国政府も民主派を一挙に押さえつけるようなことはしまい。ただ、対処策を一歩誤ると治安は確実に悪くなるだろう」 考えようによっては、一触即発の状況を迎えるだけに、ふたつ3つと大きな事件が起きれば、「営々と積み上げられてきたイメージはあっと言う間にひっくりかえってしまう」と心配しつつも、「余程のことがない限り昔の暗いイメージの香港に戻ることは最早あるまい」とも言葉をつなぐ。
それだけ、当時のイメージ転換作戦は苦労の連続であった証拠なのでもあろう。

「どうしたら遠大な課題を潰していったらいいか、そのひとつひとつを壁に貼りつぶしていった」

最近、香港観光協会の元仲間と情報交換をする機会があって、「中国返還によって傑出した魅力を売ることが出来なくなっても香港の持つバラエティの豊かさで売れる」という楽観論を聞き、何故か釈然としないものを感じたという。
「傑出したものがないから多様な魅力を売りものにして行くということになるのだろうが、何でもあるということはまかり間違うと何にも特徴がないということにつながる」

これからの香港観光で必要なことは、香港、マカオ、広州の三角地帯の中心的な存在としてグレーター香港を目指すことであるとアドバイスする。

「中国政府にとっても香港が培ってきた観光立国としの価値やノウハウは十分分かっているはず。これに将来、桂林や処女地・海南島を含めた華南経済・観光圏形成につなげてゆけばシンガポールを中心とするアセアン経済圏に並ぶ、アジアの新しい顔ができる」

協会の内部にいるとなかなか口にしにくい無理な発想だが、それが外に出たOBの役割でもあるという。
根っからの「香港観光協会マン」である。

「華南から海南、そしてやがてベトナムへとつながれば一大観光ベルトができる。余りにも広大無辺すぎる夢と笑われるかも知れませんがね」
香港観光協会の日本支局長として大きな成果を挙げられたのも、それをバックで支えてくれた当時のジョン・ペイン理事長が居たからだというのが、荒川さんの口癖だ。

「イメージ転換だといって次々と打ち出す新たな戦略に、時には香港サイドの猛烈な反発があったにもかかわらず、一言も文句を言わずまかせてくれたのがジョン・ペインだった。本部の面子もあったろうに、日本の市場に合わせて思った通りのマーケティングを展開でき、旅行業界人としてやり甲斐のあることをさせていただいたことに、頭が下がる。彼が居なかったら、香港のイメージ転換作戦は成功しなかっただろう」

アメリカンエキスプレス時代、猛烈な仕事ぶりと部下に対する指導監督の厳しさで鬼軍曹とまで恐れられたこともあった気骨の人が、心から惚れ込んだ今日の香港観光の立役者である。

まだ自宅でのパソコン装備はないが、インターネットに原稿を掲載してびっくりしたのは、その地球規模のネットワークの威力と即時性だった。
当時スイスに在住していた銀行員の息子さんが、早速、中国料理に関するアドバイスをくれたり、ロサンゼルスのUCLAで地球物理の教鞭をとる弟さん夫婦が、お得意のパソコンを駆使して連載記事を読み出した。そして、ニュージーランドからは偶然ホームページで荒川さんの名前を見つけた協会時代の仲間が感想を寄せてくれた。ニューヨークへ転勤した息子さんとはEメールの世界だ。

「一瞬にして世界が小さくなった」。

「旅コム」の連載記事は今後も続くが、電子の世界に加え活字として一冊の本になり、より多くの人に香港観光のイメージ転換作戦を活きた観光マーケティングのケーススタディとして読んでいただくのが、荒川さんの大きな夢である。

(構成:高梨 洋一郎)


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