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オーストリア物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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インスブルックにある「フェルディナンデウム」は、1823年の創立以来、チロル州の文化や芸術の研究の中心となってきた州立博物館だ。 同博物館に収集されている石器時代から青銅時代や鉄器時代を経て、ローマ時代、中世、そして近世に至るまでの遺物が、チロルの文化の多様なルーツを生き生きと感じさせてくれる。 さらにフェルディナンデウムでは、遺跡の探検やコンサートといった様々なイベントが催され、展示品を眺めるだけの博物館ではなく五感を使って文化が感じられる場所になっている。(2009年5月)
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1991年9月19日、オーストリアとイタリアの国境付近、チロル地方のアルプス山中標高3210メートルの氷河で、ハイキング中であったある夫婦が、男性の凍結遺体を発見した。発見当初は、最近の遭難した遺体だと思われていたが、その後の考古学者の調査によってその遺体は紀元前3300〜3200年あたりのものと推定された。 5200年という長い年月を経た人間が、衣服や弓矢などの所持品と共にほぼ完全な形で発見されたのは初めてのことで、その多くの謎とロマンは瞬く間に世界中の人々をとりこにし、正に世紀の大発見となった。 その遺体(アイスマン)は、発見されたエッツタール渓谷の地名にちなんで「エッツィ」と呼ばれているが、彼がなぜこのような高山に一人で入ったのか、どうして命を失うことになったのかなどの詳細は今だ明らかにはなっていないが、体内から検出された花粉により、死因は凍死ではなく春から初夏にかけて死亡したことが判明した。また、2001年にはレントゲン撮影によって、左肩を貫通した矢尻が発見され、その他にも右ひざに刺青と針治療の痕が発見され、これにより針や灸、刺青などの起源が覆され、歴史的に重要な発見となっている。 エッツィが生きた新石器時代のアルプスの生活を再現されたのが、エッツタール渓谷を入ったすぐのエッツィ村に作られた野外博物館の「エッツィ村」だ。尚、現在エッツィは、イタリアの「南チロル考古学博物館」で、発見当時の環境(マイナス6度、湿度98%の状態)を再現した冷凍庫の中に保存され、展示公開されている。 (2007年3月)
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◇ 掲載の内容は予告なしに変更されることがありますのでご注意下さい ◇ 情報提供:オーストリア政府観光局 最終更新日:2009年3月2日 |
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