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オーストリア物語



 
チロル州立博物館「フェルディナンデウム」


 インスブルックにある「フェルディナンデウム」は、1823年の創立以来、チロル州の文化や芸術の研究の中心となってきた州立博物館だ。

 同博物館に収集されている石器時代から青銅時代や鉄器時代を経て、ローマ時代、中世、そして近世に至るまでの遺物が、チロルの文化の多様なルーツを生き生きと感じさせてくれる。

 さらにフェルディナンデウムでは、遺跡の探検やコンサートといった様々なイベントが催され、展示品を眺めるだけの博物館ではなく五感を使って文化が感じられる場所になっている。(2009年5月)

 
Tiroler Landesmuseum Ferdinandeum
開館時間 火〜日  9:00〜18:00
所在地  Museumstrasse 15, 6020 Innsbruck
URL  www.tiroler-landesmuseen.at
問い合わせ先  Tel:+43-512-59489 Fax:+43-512-59489-109


 

 
バロックの街、サンクト・ペルテン


 ニーダーエーステライヒの州都であるサンクト・ペルテンは、見事なバロック建築の町並みで知られている。
特に市庁舎前広場から眺める家並みは美しく、周辺には「英国夫人教会」といった傑出した建築も多く集まっていまる。また、ドーム広場にある華麗なバロック様式の「ドーム教会」も、町の象徴として人々に愛されている。

古き良きヨーロッパの魅力を感じさせてくれるサンクト・ペルテンへは、ウィーンから列車でわずか45分でアクセス可能。ウィーン観光と合わせてオーストリアの地方都市の良さを実感してみてほしい。(2009年3月)

 

 

 
ハイドンとモーツァルト


 2006年に「モーツァルトの生誕250周年」が盛大に祝されてから3年経った今年、オーストリアでは「ヨーゼフ・ハイドン・イヤー」と銘打って、ヨーゼフ・ハイドンの没後200周年を記念するイベントが各地で開催される。

 古典主義を代表するこの2人の音楽家は、互いを認め合い、プライベートでも親しかったと言われ、2人の交流は多くの成果を生み出した。モーツァルトがハイドンに捧げた『弦楽四重奏曲集(ハイドン・セット)』は、モーツァルトの代表作に数えられている傑作だ。

 ハイドンは77歳で没するまで、若きベートーヴェンを弟子とするなど、モーツァルト以外にも多くの音楽家と親交があったという。今もなお人々に愛されるその音色は、彼らの偉大な才能の響き合いでもある。(2009年1月)

 

 

 
「音楽の都」で生まれたピアノ、ベーゼンドルファー


 1869年、日本の明治政府とオーストリアの間で国交が正式に開かれた。その時オーストリアから日本へ贈られたもののひとつに、ベーゼンドルファーのピアノがある。

 ベーゼンドルファーは、1828年に音楽の都ウィーンで創業されたピアノ製造会社。「音楽の都」に生きた名ピアニストたちの声も聞き、研かれたその美しい音色は「ウィンナートーン」と呼ばれ、創業当初から品質の高さで名声を得ており、1830年にはオーストリア皇帝から初めて「宮廷及び会議所ご用達のピアノ製造者」の称号を授けられた。
ベーゼンドルファーのピアノは、現在でも職人たちの手により、十分な時間をかけて作られており、1台の製造に約62週間、その後約8週間かけて調律や整音などの最終調整が行われている。

 オーストリアから世界に発するピアノの響きは、こうして創業から180年かけて育てられてきている。 (2008年9月)

 

 

 
バロック建築の至宝、メルク修道院


 全長約2800キロ及ぶドナウ川だが、中でもウィーンの西に位置するメルクからクレムスまでの「ヴァッハウ渓谷」一帯が最も景観が美しい流域とされ、ユネスコの世界遺産にも登録されている。特に、ドナウクルーズの起点となるメルクにある「メルク修道院」は、ヴァッハウ渓谷のシンボルになっている。

 ドナウ川を見下ろす丘に建つ同修道院は10世紀に建てられた壮麗な建物で、18世紀に改築されたバロック様式の修道院の内部には、約10万冊の蔵書を持つ図書館や豪華な装飾の礼拝堂などがある。まるで宮殿のような華やかさだ。女帝マリア・テレジアの時代には、マリー・アントワネットがフランスへの輿入れの際に宿泊したことでも知られている。(2008年6月)

 

 

 
オットー・ワーグナーとユーゲントシュティール建築


 ハプスブルクの王宮など歴史的建造物が多く残されているウィーンだが、近代や現代の建築にも素晴らしいものが沢山ある。中でも代表的な建築家といえば、オットー・ワーグナーだ。

 19世紀末のこと、ヨーロッパ各地では過去のスタイルに反した新たな芸術を求める運動が起こった。この運動を「アールヌーボー」という言葉で良く知られているが、ドイツ語圏では「ユーゲントシュティール」と呼ばれている。ウィーンでは画家グスタフ・クリムトなどが中心だったが、その建築分野で最も成果を収めたのがオットー・ワーグナーだった。

 代表作は、マヨルカ焼のタイルで外壁にバラの木を描いたマヨルカハウスや、工芸家コロマン・モーザーの金細工で壁面を装飾したメダイヨン・マンション、そしてアルミ、ガラスなどの新素材を多用した郵便貯金局などだ。ユーゲントシュティールの特徴である装飾への拘りを持ちつつ、近代的な機能性をあわせ持つ作風が、多くの建築家たちに影響を与えた。

 もうひとつの代表作は、やはり新素材だった鉄とガラスを使った一対の駅舎、カールスプラッツ駅だ。現在は一方が「オットー・ワーグナー・パビリオン」として、もう一方はカフェ「カール・オットー」として利用され、当時のウィーンを偲ばせている。

 オットー・ワーグナーのような新たな才能が花開き作り上げられてきた、芸術の都ウィーン。当時新奇なものだった彼らの建築も、現在ではウィーンの街並みに欠かせない要素になった。カフェ「カール・オットー」から眺めるウィーンの姿は、そんなドラマをも感じさせてくれる。 (2008年5月)

 

 

 
宮廷の香り漂う、プチ・ポワン


 18世紀、マリア・テレジアの時代から受け継がれている伝統刺繍工芸品が「プチ・ポワン」だ。現代でも職人が1針ずつ手作業で丁寧に作りあげていく芸術的な刺繍は、1平方センチ辺りに刺す針目数が121〜225とくほどの細かく、完成までには多くの時間と手間を費やす。だが、この針目の細かさが絵画のような美しい絵柄を生み出す。

 刺繍のモチーフには花や昔の宮廷の様子などが多く、ハンドバッグや財布、ブローチなどから額に入れられたものまで作られている。ハプスブルク家の女性たちも好んだという、その華やかな「プチ・ポワン」の魅力に触れてみてほしい。 (2008年4月)

 

 

 
観光馬車「フィアカー」


 ウィーンで良く目にする2頭立ての馬車「フィアカー」。その歴史は17世紀にまで遡り、当時は現在のタクシーに相当する乗り物だったと見られている。当時はかなり乱暴な運転だったらしいが、それでも19世紀半ばには700台近くのファイカーが活躍していた。

 やがて自動車の時代が訪れ、役目を終えようとしたフィアカーだが、観光客の増加とともに、再び蹄と車輪の音を石畳に響かせながら市内を走るようになった。ファイカーの乗り場は、聖シュテファン大寺院前、王宮前など数ヶ所設けられている。(2008年3月)

 

 

 
皇帝も愛した温泉地「バードガスタイン」


 ザルツブルク州のガスタイン渓谷に位置するバードガスタインは、多くの王侯や君主が訪れた場所と言われるオーストリア国内でも有数の温泉保養地。1865年には、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とドイツ皇帝ヴィルヘルム1世との間で、領有地の分割統治に関する「ガスタイン条約」が結ばれた歴史的な場所でもある。

 この周辺は、夏にはトレッキングや登山鉄道などが、また冬にはスキーやスノーボードが楽しめるとあって、バカンスを楽しむ人々や温泉での保養を目当てにやってくる人々で通年にぎわう人気のリゾート地となっている。(2008年1月)

 

 

 
ハイドンの生家


 フランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、1732年、ハンガリー国境に近いオーストリア東部のローラウという小さな村に生まれた。

 車大工職人だった父親のマティアス・ハイドンは歌が好きでハープなども演奏し、妻のマリアとは、彼女が伯爵家の台所で働いていたときに、「働き者で気立ての良い娘がいる」と勧められて結婚したと伝えられている。

 決して裕福ではないなかで、偉大な作曲家となったハイドンの生家の質素なたたずまいには、生まれ持った才能だけではなく、その後の努力を感じさせる感慨深いものがある。今も残るハイドンの生家は茅葺の平屋で、各部屋にはハイドンゆかりの家具や資料などが展示されている。 (2008年1月)

 

 

 
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の大好物「カイザーシュマレン」


 ウィーンの宮廷料理や宮廷菓子には、「カイザー・グーゲルフプフ」「カイザーシュマレン」「カイザー・メランジェ」「カイザー・グラーシュ」「カイザー・シュニッツェル」など、「カイザー」という名の付いた料理が数多くある。

 その中でも特に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の大好物だった料理が、レーズンの入ったホットケーキ風のパンケーキ「カイザーシュマレン」だ。デザートとしてはもちろん、主食としても食べられていたこの宮廷菓子を、ご自宅でも是非お試しあれ。 (2007年11月)

 

【材料(4人分)】

レーズン:70g、ラム酒(好みに応じて):小さじ1杯、卵:3個、牛乳:250cc、砂糖:40g、薄力粉:200g、塩:少々、バター:40g、粉砂糖:小さじ2杯

【作り方】

1. レーズンを熱い湯で洗い、布巾で軽く水気をとる。好みでラム酒を振りかける。

2. 生地を作る。卵を割って卵白と卵黄に分け、牛乳、砂糖、卵黄を一緒に泡立てる。そこに薄力粉を入れてよくかき混ぜる。

3. 卵白に塩を入れてしっかりと泡立て、(2)の生地をそっと混ぜ合わせる。

4. 大きめのフライパンにバターを溶かしたら(3)の生地を入れ、上にレーズンを散らす。生地の下のほうが焼けてきたら、すぐにひっくり返し、全体が少し固くなってきたら2本のフォークを使って生地をひとくち大に細かく分け、あとは弱火で焼き上げる。最後に火を止め、少し蒸らす。

5. 温めておいた皿に盛り付け、粉砂糖を振りかけて完成。好みでリンゴやブルーベリー、プラムなどのジャムを添える。

 

 

 
スペイン式馬術学校


 ウィーンの王宮の一角で白馬たちが華麗な演技を披露するスペイン式馬術学校は、1572年にハプスブルク家のマキシミリアン2世によって設立された馬術学校。ルネサンス期の古典馬術の最高技術を今に伝える世界唯一の馬術学校だ。

 名前の由来は、スペインの馬を繁殖して訓練したためと言われている。当初は様々な色の毛並みを持つ馬だったが、後に白馬だけが繁殖されるようになった。

 第一次世界大戦後に廃校の危機もあったが、存続を求める人々の熱意によって救われた。かつては貴族の子弟たちが学んだ馬場で、白馬たちが音楽に乗せて難度の高い技術を優雅に演じる姿は、見るものの心に深い感動を与える。 (2007年10月)

 

 

 
ハプスブルク家の埋葬法


 ハプスブルク家の人々や歴代の皇帝たちは、市民とは一風変わった方法で埋葬されていた。

 これは、遺骸と心臓と内臓を別々に教会に納めるしきたりがあったためで、ハプスブルク家の人が亡くなると遺骸は棺に納められ、カプツィーナー教会のカタコンベと呼ばれる地下墓所に納められた。ここには、エリザベートとフランツ・ヨーゼフ、そして皇太子ルドルフの並んだ棺や、マリア・テレジアとフランツ1世がともに眠る一際大きなダブルサイズの棺など140人の棺が安置されていて、現在でも花が絶えることはない。

 また、心臓は銀製の壺に入れられ、ハプスブルク家の結婚式を代々行っていたアウグスティーナー教会へ、銅製の壺に納められた内臓は、ウィーンのシンボルともいえるシュテファン大寺院のカタコンベに保管されている。

 これらの教会を訪れた際には、様々な運命に翻弄され、散っていったハプスブルク家の人々へ思いを募せてみてはどうだろうか。 (2007年9月)

 

 

 
アルムアプトリープ 〜牛たちの里帰り


 山々に秋の気配が訪れる9月中旬、アルプスに広がる町や村を訪れると、華やかな飾りを付けた牛たちの行列に遭遇することがある。これは、夏の間高原に放牧されていた牛たちが、里帰りのため山を下りるというこの地方恒例の行事だ。文化的にも宗教的にも重要な意味を持つ伝統的な行事で、農夫たちはこの祭りで牛を病や事故から守ってくれた神に感謝の祈りを捧げる。

 放牧期間である3ヶ月の間、たった一人で暮らしてきた牧夫や牧婦たちは、この祭りのために木の枝で作られた冠に薄紙を巻きつけ、レースや星を付けた「アウフビッシェン」と呼ばれる飾りで、牛を華やかに飾り付ける。これらはすべて手作りで、作成には40時間も要する。そのため、この頭飾りは優秀な牛にしか与えられない。だが、もしその年に牛が死んだり、牧夫の家に不幸があったりした場合は、その家の牛たちは飾りを付けずに里に下ろされる。

 この祭りで牛たちに付けられる飾りの中で、もうひとつ重要なものが「カウベル」。牛たちの歩みとともに鳴り響くカウベルの音色は、はるか遠くまで響き渡る。
 牛たちの行列は、昼頃に町や村に到着する。主役の牛たちが到着した後は、飲んで、食べて、踊って楽しむ祭りがスタートする。また、ほとんどの町や村では、祭りの他に農家主催の市場も開かれる。 (2007年8月)

 

 

 
夏に楽しめる氷河スキー


 春が来て、夏が近づくに連れ、『スキーシーズンが終わってしまった・・・』と、お嘆きのウインター・スポーツ愛好者に朗報。オーストリアには、四季を通じてスキーが楽しめるスキー場が8ヶ所ある。氷河スキーと呼ばれるこれらのスキー場では、冬場とは一味違ったエキサイティングなスキーが楽しめる。この夏は、オーストリアで氷河スキーを体験してみよう!(2007年6月)

≪カウナータール氷河スキー場≫

 チロル州の最西端にあるスキー場。インスブルックからランデックまで、車もしくは列車で約1時間、ここからイン川沿いを走り、プルッツの町をカウナー渓谷に入ると約20キロでスキー場に到着する。 標高2,750メートルの地点まで車でアクセス可能。

≪エッツタール≫

 レッテンバッハー氷河スキー場と、ティーフェンバッハー氷河スキー場の2つに分かれているスキー場。セルデンから車で約30分。途中、有料道路がある。冬季は閉鎖されていて、春から夏にかけてが最高だ。

≪ピッツタール≫

 通年滑走可能なスキー場。ミッテルベルグ(1,734メートル)までインスブルックから車で2時間30分。そこから山頂(2841メートル)までは、地下登山電車で登る。

≪シュトゥーバイタール≫

 インスブルックから一番近く、ヨーロッパアルプス東部で一番面積が広い氷河スキー場。無料シャトルバスが運行している。 レストラン、レンタルショップ、スキーショップがあるアイスグラード(2,900メートル)へは、ゴンドラで約20分ほどで到着する。

≪ヒンタートゥックス≫

 インスブルックから車で1時間半、ツィラタールの奥トゥックサー渓谷の行き止まりにある年間を通じて営業しているスキー場。 ハイシーズンは7月と8月。夏のスキー場としてはチロル最高の氷河スキー場だ。麓の駅周辺にはホテルも多い。

 

 

 
春の楽しみ「ヴァイサー・シュパーゲル料理」


 春が近づいてくると、オーストリアの人々はある食べ物に心浮き立つようになる。それが、4月下旬になると出荷されてくる「ヴァイサー・シュパーゲル(ホワイト・アスパラガス)」だ。

 ホワイト・アスパラガスといっても、一般的に日本で食されている缶詰とは異なり、メインディッシュにもなるような太さのあるアスパラガスで、それをたっぷり茹でてシンプルなソースと一緒に食せば、ほんのりとした甘さと、やわらかい食感が残る春の味覚を楽しむことができる。

 こういったシンプルな食べ方以外にも、サラダやスープ、フライにグラタンにするなどの様々な調理法があり、オーストリアのレストランでは、色々なアレンジを施したヴァイサー シュパーゲル料理で客をもてなす。他の野菜と比較しても少々高価な食材ではあるが、オーストリアや周辺諸国では6月下旬頃までしか味わえない貴重な春の味覚だ。 (2007年5月)

 

 

 
オーストリアのイースター


 キリスト教を国教としている国では、イースターを祝う習慣がある。クリスマスはキリストの降誕祭(誕生を祝う日)である一方、その復活と昇天を祝うのがイースター(復活祭)であり、イースターはクリスマスよりも重要な日とされている。

 月の満ち欠けによってイースターは毎年異なるが、2007年は4月8日がイースターに当たる。オーストリアでは、イースター翌日の月曜も「イースター・マンデー」として祝日になり、連休は家族揃ってイースターを祝う。

 イースターが近づくと、街には様々なイースター・エッグが並ぶ。このイースター・エッグとは、とりどりに彩色をした卵のことで、茹でた卵にペイントをした食べられるものもあれば、中身を抜いた生卵の殻に細かく美しい絵を描いたものもあり、どれも美しく店頭を彩っている。また、オーストリアでは、この時期になるとウサギの形をしたチョコレートも店頭に並ぶ。これは、ウサギが成長と多産の象徴とされているもので、卵同様イースターには欠かせないものとされている。

 これらのイースター・エッグやウサギのチョコレートは、バスケットに入れられて家のどこかに隠される。それを子供たちや訪ねてきた人たちが「ウサギの卵はどこなの?」と言って、卵を探す遊びをするのもオーストリアならではの楽しい風習となっている。 (2007年4月)

 

 

 
5200年前のアイスマン「エッツィ」の謎に迫る


 1991年9月19日、オーストリアとイタリアの国境付近、チロル地方のアルプス山中標高3210メートルの氷河で、ハイキング中であったある夫婦が、男性の凍結遺体を発見した。発見当初は、最近の遭難した遺体だと思われていたが、その後の考古学者の調査によってその遺体は紀元前3300〜3200年あたりのものと推定された。

 5200年という長い年月を経た人間が、衣服や弓矢などの所持品と共にほぼ完全な形で発見されたのは初めてのことで、その多くの謎とロマンは瞬く間に世界中の人々をとりこにし、正に世紀の大発見となった。

 その遺体(アイスマン)は、発見されたエッツタール渓谷の地名にちなんで「エッツィ」と呼ばれているが、彼がなぜこのような高山に一人で入ったのか、どうして命を失うことになったのかなどの詳細は今だ明らかにはなっていないが、体内から検出された花粉により、死因は凍死ではなく春から初夏にかけて死亡したことが判明した。また、2001年にはレントゲン撮影によって、左肩を貫通した矢尻が発見され、その他にも右ひざに刺青と針治療の痕が発見され、これにより針や灸、刺青などの起源が覆され、歴史的に重要な発見となっている。

 エッツィが生きた新石器時代のアルプスの生活を再現されたのが、エッツタール渓谷を入ったすぐのエッツィ村に作られた野外博物館の「エッツィ村」だ。尚、現在エッツィは、イタリアの「南チロル考古学博物館」で、発見当時の環境(マイナス6度、湿度98%の状態)を再現した冷凍庫の中に保存され、展示公開されている。 (2007年3月)

 
Ötzi Dorf
開園時間 5/5〜10/26  9:30〜17:30
入館料  € 5.90
所在地  6441 Umhausen, Ötztal
URL  www.oetzi-dorf.at
問い合わせ先  Tel:+43-5255-50022 Fax:+43-5255-50033
 E-mail:office@oetzi-dorf.at


Museo Archeologico dell'Alto Adige
開館時間 火〜日  10:00〜17:30
入館料  € 8.00
所在地  Via Museo 43, 39100 Bolzano
URL  www.iceman.it
問い合わせ先  Tel:+39-0471-320100 Fax:+39-0471-320122
 E-mail:museum@iceman.it

 

 

 
チロル州の華麗な舞踏会


 チロルでは、インスブルック・コングレスハウスで開かれる華麗な会をはじめ、チロルならではの素朴な団体による会まで多岐にわたる舞踏会が開催される。チロルの小さな舞踏会の魅力は、なんといっても家族的なところ。 親から子へと受け継がれているアットホームな雰囲気が、人々に楽しみと安らぎのひとときを与えている。今回は、それぞれの特徴を生かしたユニークな舞踏会の数々を紹介しよう。(2007年3月)

 
≪商工会議所の舞踏会≫

 インスブルックで開かれる舞踏会。様々な分野で活躍するVIPが揃う。4つのホールで好きなジャンルの音楽が楽しめるよう工夫された舞踏会。

≪皇帝舞踏会≫

 2003年に始まった夏の舞踏会。市内のいたるところでショーや踊りが行われる。オーケストラによる素晴らしい生演奏と、ハプスブルク帝国時代を思わせる華やかな雰囲気が存分に味わえる。

≪高校卒業生の舞踏会≫

 オーストリアの高校では、卒業を控えた生徒たちが盛大な舞踏会を開く。チロルでは、この「高校卒業生の舞踏会」が数十年前から開催されていて、卒業生達への素晴らしいプレゼントとなっている。

≪整体師の舞踏会≫

 チロルでもユニークな舞踏会のひとつ。募金で成り立っているこの会は、タキシード姿の人から普段着姿の人まで参加でき、様々なイベントが楽しめる。中でも、整体ショーは大人気だ。 入場無料。

≪民族衣装組合の舞踏会≫

 各地の代表的な衣装や軍服を目にすることが出来る舞踏会で、幅広い年代に楽しまれる。 民族衣装を着ていない人でも参加できる。

≪ケルンテン・山岳団体の舞踏会≫

 アルプスの山岳会の人々が集まり、仮装をして楽しむカーニバルパーティー。女装をしたり、カウボーイ、シスター、アラビアン、ペンギンなどの扮装をした人々が宝くじや音楽を楽しむ。
 

 

 
オーストリア各地の公現節


 年の明けた1月6日の公現祭(エピファニー)は、キリストの誕生を「東方の三博士」が訪れ祝うという祝日で、オーストリアの各地では様々なお祭が行われる。

 ザルツブルクのザンクト・ヨハン・イム・ポンガウ村では、美しく飾り立てた春を象徴するペルヒテンが新年の繁栄を祈り、角をつけ恐ろしい仮面をつけた冬のペルヒテンが人々を叩いて回る「ペルヒトの行列(ペルヒテンラウフェン)」が4年毎に行われている。この冬のペルヒテンに叩かれると、病気にならないと伝えられている。

 また、チロルのタウアーでは、3〜5年毎に「ムーラーラウフェン」と呼ばれる行事が行われ、孔雀の羽や色とりどりのガラス玉などをつけた美しいアルタートゥクサーという仮面をつけた者が豊穣の踊りを舞う。この仮面の頭飾りについた鏡には、あらゆる悪魔を追い払うという意味合いがある。ヒュットルトゥクサーと呼ばれる仮面の者は、見物人の背中を叩いて回る。

 インスブルックのイグルスにも春を象徴する青い服を着たツォトラーと、冬を象徴する茶色い服を着たツォトラーが村の中を走り回り、春のツォトラーは、冬のツォトラーを踏みつけて見せることで、太陽の復活を祈るという同様の行事がある。 オーストリアの山岳地帯の新年は、こうした賑やかな祭りで幕を開けている。 (2007年1月)

 

 

 
オーストリアが誇る家庭的なお菓子「アプフェルシュトゥルーデル」


 オーストリアのケーキといえばザッハートルテが有名だが、地元の人々の根強い人気を博しているというスイーツに「アプフェルシュトゥルーデル」がある。これは、裏側が透けて見えるくらい薄くのばした生地を何層にも重ね、柔らかく煮たリンゴを包み、しっとりと焼き上げた家庭的なお菓子。 空中で生地を薄く大きくのばす様は職人の技を感じさせる見事なもので、シェーンブルン宮殿のスイーツショップではショーとして実演されることもある。

 シュトゥルーデル自体がオーストリアの家庭ではよく作られるもので、中身はリンゴに限らず、プラムやバナナ、クリーム、時にはおかずになるようなものまで包んでしまう。その中身に何を用いても、しっかり美味しさが詰まった魅力的な一品となる。しかし、やはり王道はリンゴを使った「アプフェルシュトゥルーデル」。フォークを入れれば温かいリンゴがとろり。、生クリームを添えると、より一層おいしくなる。オーストリアの家庭の味「アプフェルシュトゥルーデル」を一度ご賞味あれ! (2006年12月)

 

 

 
シュヴァーツの銀鉱山


 中世末期に「ハプスブルク帝国のお財布」と呼ばれたチロル州。その名の最大の由縁が、当時のヨーロッパで最大の産出量を誇った「シュヴァーツの銀鉱山」だった。その鉱山跡が、1990年に整備され、現在は一般公開されている。

 ヘルメットを被って上着をはおり、坑道入口からトロッコに乗って出発すると約8分で地下800メートルに到着。そこには、手で掘り抜かれた横坑、縦坑など全長582キロメートルに及ぶ坑道が広がっている。そこから徒歩でのガイドツアーがスタート。専門ガイドが随所で映像を用いながら、採掘当時の苦労や中世チロルにおける鉱山の重要性などの説明をしてくれる。

 最古の坑道、最も美しい坑道をぬけて歴史を感じる約80分のツアーは終了。その後は、展示コーナーでシュヴァーツ鉱山の歩んだ道のりやかつての栄華、中世におけるシュヴァーツ銀山の重要さなどを楽しく学ぼう。500年以上前の人々の息吹と、華やかに栄えた文化の裏側を体感できる銀鉱山ツアーだ。 (2006年11月)

 

 

 
オリンピックの街の大パノラマジャンプ台


 アルプスに抱かれた小さな古都インスブルックは、さまざまな歴史遺産を有するこの静かな山間の街。1964年と1976年の二度にわたって冬季オリンピックが開催され、日本からも64年の大会に48名、76年の大会には59名の選手が参加した。現在でも冬になると多くの人が訪れ、良質の雪や氷でのウィンタースポーツを楽しんでいる。

 また、雪のない季節にも、ケーブルカーやエレベーターを乗り継ぎ、実際にオリンピックで使用されたベルクイーゼル・ジャンプ台からジャンパーの目線を楽しむことができる。ゆるやかな弧を描くデザインが背後の山々とマッチして美しいこのジャンプ台は、2002年に新たに改装されたもの。地上50メートルの高さに作られたレストランや屋上テラスからは、インスブルックの360度の大パノラマが楽しむことができる。 (2006年11月)

 

 

 
世界最古のシェーンブルン動物園


 広大な敷地を持つ、ハプスブルク家の夏の離宮として知られる荘厳なシェーンブルン宮殿の一角に、界最古のバロック式動物園がある。宮殿の南西に位置するこの動物園が、マリア・テレジアの夫であり、自然科学を深く愛した神聖ローマ皇帝フランツ1世によって設立されたのは1752年のことだ。

 開設当初の基本施設は中心の八角形のパビリオンとそれを取り巻く獣舎からなるもので、パビリオンから動物たちを眺めるというスタイルだった。皇帝一家はこのパビリオンで窓からの景色を楽しみながら取る朝食を好み、現在も中央のパビリオンはレストランとして開放されている。

 また、同動物園は1906年7月14日に世界で初めて動物園における象の出産が成功したことで注目を浴び、その後もオーストリアの国内種だけでなく世界的に稀少となった種についての保存努力も進められている。現在もパンダをはじめ800種にものぼる貴重な動物が飼育されている。 (2006年11月)

 


◇ 掲載の内容は予告なしに変更されることがありますのでご注意下さい ◇
情報提供:オーストリア政府観光局
最終更新日:2009年3月2日
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