アイゼナハ自動車博物館でBMWの土台を見る

 バッハやヴァルトブルク城という人文的史跡に象徴されるアイゼナハの、もう一つの顔が「自動車産業の町」だ。

 実はアイゼナハの自動車産業は、ドイツ国内では3番目に始まったもので100年以上の歴史を持つ。あの世界を代表する高級車BMWの土台を築いたのも、アイゼナハの自動車工場だった。東ドイツ時代は同国の自動車産業の中心地となり、そして壁が崩壊してからはオペルのアイゼナハ工場として製造を行っている。

 その旧アイゼナハ工場の跡地建つのが「アイゼナハ自動車博物館(Automobile Welt Eisenach; AWE)」。ここには1896年に工場が創立されてからBMWのアイゼナハ工場となり、大戦後はEMWとして東ドイツの自動車産業を担っていた時代、現在のオペルに至るまでの歴史が見て取れる。
特に東ドイツ時代のものは当時のライフスタイルなどが想像でき、自動車ファンならずとも訪れる価値がある場所だろう。

 建物はどことなく社会主義時代を彷彿とさせる、一見無機質な煉瓦造りの工場だ。
かつて、そこでノルマに従いもくもくと自動車製造が行われていたであろう場所には、年代物のクラッシックカーや「マッハGO!GO!GO!」か「スピードレーサー」を思い出すようなアンティークなスポーツカー、二つの大戦の間にそれぞれ使われていたバイク、銃弾の跡が生々しいジープ、東独時代のファミリーカーやトラバントなどが年代順に、所狭しと並んでいる。

 最初に展示されているのは、かつてのプロシア帝国皇帝ヴィルヘルム2世が乗ったクラッシックカー。屋根のない、レバーハンドルで操作するような車で、だがこれが当時いかに高級で画期的な発明だったかがともに展示されている当時の写真から見て取れる。次第に車には屋根が付き、おなじみのクラッシックカーらしい黒塗りの様相を呈するとともに、軍事用のバイクやジープなどが増えてくる。

 中でも第一次大戦時に使われていたという車は、その古さやガラス窓の銃弾の跡が生々しく残っている。聞けば「壁崩壊後に倉庫の奥から発見された」のだという。

 第一次大戦の敗戦から平和的思想と理想を掲げつつテロが頻発していたワイマール共和国時代、そして第二次大戦へとドイツが向かっていくその時代の車は、まるで唯一生き残った白虎隊士か赤穂浪士のように、切々と時代を訴えているような静かな亡霊のような迫力がある。

 第二次大戦後、東ドイツの国営自動車工場として稼働を始めたBMWアイゼナハ工場は、その名をEMWと変えた。

 「やはりあった!」となぜかうれしくなるのが、東ドイツの国産車として今でも有名なトラバントだ。 「紙でできた車」といわれるこのトラバント、通称「トラビ」は、実際は紙ではなく、繊維強化プラスチックで造られている。ただその質が紙のように低質なため、こう呼ばれたのだとか。

 ベルリンでは旧西側の観光客からのリクエストもあり、トラバントに乗って街中を巡る「トラビツアー」が催行されるというほど、その人気が不思議と高いトラバント。社会主義時代の遺物の中で、依然“愛されている”ものの一つになっている。

 「ヴァルトブルク」というブランドで始まったアイゼナハの自動車は、Dixy、BMW、EMWとブランド名を変え、1953年には設立当初の「ヴァルトブルク」へと戻った。

 ロゴマークに使われていたのはヴァルトブルクの古城のシルエットで、この城がいかにアイゼナハ市民の支えになっていたかが伺える。こうしたエンブレムを掲げた自動車の数々を見ていると、近代ドイツから東ドイツ、現代ドイツの波乱の歴史に思いをはせずにはいられない。だが、子供のおもちゃを積んだキャンピングカーを見ると、少しだけホッとする。


19世紀末の自動車
 
痛々しい時代の証人
Dixyの軍用車

 
戦時中に使われたバイク
BMWのエンブレムは赤

 
城をあしらったエンブレム
 
SFに出てきそうな
スポーツカー

 
オペルブランドの一号車
 

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