偉大な史跡と名作を生んだヴァルトブルク城

 ドイツのバイエルン州にあるノイシュヴァンシュタイン城、そしてワーグナーの名作「タンホイザー」。いずれも19世紀末に生まれたドイツを代表する古城であり、また世界中に名を知られたオペラの名作である。この名所・名作を生み出すきっかけとなったのが、チューリンゲン州のアイゼナハにある世界遺産、ヴァルトブルク城だ。

 アイゼナハ郊外の丘に建つヴァルトブルク城の基礎が置かれたのは1067年のこと。チューリンゲン伯ルードヴィッヒ・デア・シュプリンガーによるものと言われている。巧みな結婚政策によりチューリンゲン伯爵領は拡大し、13世紀には現在のヘッセン州を含む広大な地域にまで広がる。神聖ローマ帝国チューリンゲン伯領として、帝国内でも一、二を争う領国としてその名をとどろかせた。

 “重要政策”であった婚礼などによる数多の貴人を迎えるため城内には祝宴の大広間が造られ、欧州各地から宮廷歌人や吟遊詩人が集まり、歌合戦が開かれた。この現在でも城内に残る華麗な祝宴の大広間が後世、バイエルン王ルードヴィッヒ2世を魅了しノイシュヴァンシュタイン城を造らせ、また歌合戦の間を飾る当時の様子を描いた壁画がワーグナーにインスピレーションを与え、名曲「タンホイザー」を生み出したのである。

 城の内部に入ってみよう。

 結婚による領地拡大ゆえだろうか、この城には「城塞」「攻防戦」という血なまぐさといったものが全くない。
19〜20世紀の文化復興運動時代に整備されたせいもあるのか、城内は当時の面影を残しつつも、中世の衣装を着た貴婦人達や19世紀のフロックコートを着て、せわしく手帳に何かを書きつけているようなインテリ達がふっと目の前を横切るようなリアリティさえ感じられる。 騎士の間、食事の間などはどっしりとした低い天井が当時の面影を、エリザベートの間には20世紀初頭に飾られた金色のモザイク画が聖エリザベートの生涯を伝える。この城には、華麗な文化の香りが漂っている。

 「タンホイザー」ゆかりの歌合戦の大広間は、これもまた19世紀末の修復に基づき華麗な彩色がなされた眩い部屋だ。
往時とは様相は違うであろうが、中世の歌人たちがこの部屋でリュートを爪弾きながら歌で競い合ったという風雅さに、アイゼナハやワイマールを含むチューリンゲン州の精神文化の源を見るような思いである。

 石壁に反射するやわらかな日差しの中、祝宴の大広間へと向かう。
木造の妻切り天井や壁からは、その年代とともに深い琥珀色に変化した風合いが威厳と品位が感じられる。

 壁に施された赤と緑と金色の色彩はエキゾチックな文様を描きだし、その間にヴァルトブルク城ゆかりの人物が描かれている。バロック様式の宮殿のような白壁に鏡、ヴェネチアン・グラスのシャンデリア…といった華麗さとは違う、年代という重みと価値を伴った美しさは「中世の夢」とでも言おうか、後世の時代の人間にとっては幻想世界やファンタジーの世界をも彷彿させる。夢想の狂王・ルードヴィッヒ2世が魅了されたのも、まさにこの広間が抱く「華麗なる夢の日々」だったのかも知れない。

 歌合戦、聖エリザベート、華やかな音色が響く中世時代の祝宴。
そしてこの城には、先にも記した宗教改革者であるマルティン・ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳した部屋も残されている。
まさに精神文化に重きを置くチューリンゲンのシンボルにふさわしい城と言えよう。


初代城主ルードヴィッヒ・デア・シュプリンガー伯爵
 
エリザベートの間
 
聖女エリザベートの生涯が描かれている
 
歌合戦の大広間にある歌合戦の様子を描いた壁画
 
祝宴の大広間
 
歌合戦の大広間
当時の様子を記した歌謡集が飾られる

 

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