音楽家バッハと並んでもう一人、この町を語るに欠かせない人物がマルティン・ルターである。「ルターの宗教改革」として、誰もが一度は耳にしたことのある名であろう。アイゼナハのカールス広場には、ルターの銅像が建っている。
ルターの活躍の場はザクセン州やチューリンゲン州など旧東ドイツを中心にドイツ各地に及ぶが、アイゼナハに残るのはラテン語学生時代に住んだ家と聖書のドイツ語訳に勤しんだ、現在世界遺産となっているヴァルトブルク城の小部屋である。
1483年にザクセン州のアイスレーベンで生まれたルターは、ラテン語学生時代の1498年から1501年まで現在「ルターハウス」と呼ばれる木組みの家に住み、聖ゲオルグ教会の聖歌隊で歌っていた。
この「ルターハウス」は博物館になっている。内部にはルターの肖像画と共に当時の家具の複製が飾られており、その功績をひっそりと伝えている。展示物自体は数少ないものの、この堂々たるもかわいらしい木組みの家自体が町のシンボルの一つとなっており、ドイツらしい光景を楽しませてくれる。
世界遺産に登録されているヴァルトブルク城は、アイゼナハ郊外約2キロほどの小高い丘の上に聳える中世の古城だ。この城の起源は11世紀にまで遡り、バイエルン王ルードヴィッヒ2世が造ったノイシュヴァンシュタイン城のモデルとして、またワーグナーの「ローエングリン」の舞台となった大広間など、見どころが詰まった華麗で見事な城である。
詳細は後日に譲り、ここではルターが翻訳作業をしたという小部屋を覗いてみる。想像通り質素で粗末な部屋には椅子とテーブル、ストーブが置かれているだけだ。
ルターがこの城へ来たのは、カトリックに疑問を抱いたルターが聖職者の金満的生活を弾劾し、宗教論争を行った結果、破門されたことによる。
時の城主にかくまわれたルターは、常々「よりわかりやすい形で、農民たちにキリストの教えを広めたい」という考えを実行に移すべく、当時ラテン語で書かれること以外は禁じられていた聖書を、1年間で庶民の言葉であるドイツ語に翻訳したという。
ドイツ語訳聖書が完成したのは1534年のことで、ルターによる聖書のドイツ語翻訳は後世、近代ドイツ語の確立にも寄与したと言われている。
ルターは自らが聖歌隊で歌っていたため、宗教改革時にはコラールを奨励し、自らもリュートを引き作詞・作曲にも携わったという。
近代音楽の父・バッハと宗教改革者でありながら近代ドイツ語の確立に寄与したというルター。ドイツはもとより世界に多大な影響を与えた二人がこの町で何を感じ、呼吸していたのか。
史跡を見るだけでなく、そんなことを考えながら町の小道や石畳の道を歩き、壁にさり気に埋もれた古い彫刻らしきものを眺めてみてはどうだろうか。決してパンフレットやガイドブックに書かれていない何かが感じられることだろう。