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 1996年9月、突如、例の尖閣諸島(中国名:釣魚島)防衛問題が香港・台湾にわき起こった。

 ある日、その関連記事と共に「香港」の若者が大きな中国の国旗(五星紅旗)を翻しながら高速艇で走り回っている写真が紙面で紹介された(毎日新聞)。   

 その写真を見た私は、いささかショックを受けた。返還までにまで10ケ月近くもある、まだ「英国植民地」香港の若者が「五星紅旗」を振りかざしながら尖閣防衛の先頭に立っているのを知り、私は「香港人」から「中国人」への意識転換が意外に早く進んでいるのに驚いた。                   香港人の尖閣防衛活動の盛り上がりの背景には香港マスコミの異常な関心の影響があったといわれるが、とはいえ、私はそこに「旧英国植民地の香港人」という、今や何のプラスももたらさない過去の正体を見事に捨て去り、現実に香港人の将来を左右する存在となる新しい主権者に早々と身も心も傾倒していく香港人のすばやい変身ぶりをみたのである。

 私はここで、すべてが返還後の何らかのプラスを期待する意図的な行動だと決めてかかるつもりはないが、いずれにしても一部の香港人が返還前に早々と中国人になりきり、激しい愛国主義の発露を世界に見せつけたことは確かである。

 その過程で活動家の一人が海に飛び込んで水死してしまったのは残念の極みである。命を失っては元も子もないのだから・・。中国側は彼の棺を中国国旗『五星紅旗』で包み、香港での慰霊祭では多くの香港人が集まり彼の英雄的行為を称えたという。

 全く同じ頃、こんなハプニングもあった。

 香港島のビクトリア公園にビクトリア女王の巨大なブロンズ像が立っているが、香港の友人の話によると、その像に頭からべっとりと大量の赤ペンキをかけた者がいたという。1996年の9月の話である。           

 理由は「中国に返還される香港にこんなブロンズ像はいらない」ということらしいが、ペンキの色が『赤』というのも象徴的である。

 赤いペンキをべっとりとかけただけではなく、その男はビクトリア女王の鼻まで何かで叩いて曲げてしまったらしい。

 香港政庁にしてみれば残念の極みであろう。何故ならば、いずれ英国本国に移そうと考えていた矢先だったからである。実にタッチの差でビクトリア女王が傷められるという英国にとっては痛恨の事態を招いてしまった。           

 こうなっては本国に移しても、この中国返還にからむ後味の悪い痕跡は何時までも消えることはないのである。

 さて、問題は、こんなことをしでかした者は1体どんな素性の人間か、また、彼の本当の目的は何だったのか、単純に、「返還される香港には相応しくない植民地時代の遺物」として赤ペンキをかけ鼻を潰したのか、それとも、その他に何か目的があったのか・・・ということである。

 話によれば、その男は1989年の天安門事件にかかわった反体制の者だったらしい。当時天安門広場に立てられた、いわゆる「民主の女神像」の制作にも参加したという。

 天安門事件後、多くの反体制活動家が非合法的に香港に逃げ込んだが、その後香港の『居留権』を獲得して香港に住んでいる。7年間居留すれば香港の『永住権』もとれる。

 彼等にとって不安なことは、中国返還後も今までどうり香港に住んでいられるかどうか、ということである。

 嘘か本当か、永住権をとっていようと、いなかろうと、非合法的に中国を抜け出し香港に住んでいる反体制分子は、返還後みな中国本国に送還されるという噂が流れている。                

 ここで、この赤ペンキ事件を私流に勘繰ると、これも、ひょっとしたら何かを期待した、1つのたくまれたジェスチャーだったのかも知れないと思うのである。つまり、この赤ペンキ男は1人よがりの発想のもとに、本国送還をまぬがれようと反英(反植民地)デモンストレーションによる1か8かの賭にでたのではないかと思えるのである。



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