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1960年8月9日の日記


 1960年8月9日

 今日やっと落ち着きました。

7日にスプリットからここまで日本以上の悪路と戦って240キロを丸々1日掛かりでやっと走りきり目的地に到着しました。

 取りあえず泊まった個人の家が景色こそ良かったものの、薮蚊で窓が開けられず、おまけに高台にあるので夜になると給水中止になるなど、日本の終戦直後のような状態で、早速プトニック(当地の官製交通公社)に苦情を申し込みました。ここの係の若い衆が 実にいい男で、11時から6時までというウソのように長いお昼休みを利用して、実にいい家族を紹介してくれました。

 昔のユーゴの金持ちの別荘で、手入れが足りず庭は荒れていますが、きれいな花々に昔の面影を偲ぶことができます。この家には電気冷蔵庫があり、きれいな台所もついています。しかし一般にいうと日本の戦後5年位、苦しかった頃の生活程度といってよいでしょう。道路、建物と着々と工事は進んでいるものの、やはり5年後、10年後の未来の国家です。

 昨日はやっとこの家に落ち着いて、午後海水浴。このドブロブニクは旧市がアドリア海に城壁に囲まれて丸く突き出し、その両側に海岸線に沿って曲がりくねって市街が伸びています。海水浴場というのが、この海岸線到る所の岩の上に着物を脱ぎ捨て、切り立った岩だらけの海へ入るわけです。遠浅でないので初心者には大変ですが、緑の満々たる海原へ忽ち飛び込む気持ちは爽快です。

 砂地でなく岩石なので危険も多く、日本でいえば日本海側の地勢ではないかと思います。日本の如く白砂青松とはいかず、椰子の木陰をバックに岩山を伝って波打ち際から急傾斜に千尋の海と男性的な海岸です。


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