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日本人に海の素晴らしさを伝えた名船長の引退


ふじ丸黄葉の白神山地・神津船長勇退記念クルーズ



七里長浜港歓迎セレモニー
 船で最も有名な人物と言えば「船長さん」。しかも、クルーズ船に船長さんともなれば、安全航海はもとより、「お客様にすこしでも良い景色を見せよう」等々、日夜航海サービスに心を砕き、寄港地の歓迎式典では気の利いたスピーチの1つも披露し、キャプテンズパーテイーをはじめとする社交面をも担う、クルーズのおもての顔である。
 なかでも、長年日本のクルーズの牽引者として活躍された商船三井客船の神津定剛船長は、おおくの人から慕われ、敬愛されてきた名船長であった。長野県で生まれ、神戸商船大学航海課を卒業し、運輸省の練習船教官を勤め、その後、コンテナ船貨物船等々の船長をはじめ、本格的外航クルーズ客船「ふじ丸」の初代船長に就任。実業之日本社から上梓された書籍「船長」では、海事のスペシャリストとして、若者の進路選択に役立つ熱いメッセージも綴った。

 こんな輝かしい経歴から、さぞ優等生畑を突き進んできたのかと思いきや、幼少時代は、喧嘩はするわ教科書は川に捨ててしまうわ、他人の弁当は食べてしまうわ、という相当な気かん坊。しかし、そんな腕白少年が、中学の修学旅行で初めて見た海に憧れ、一念発起。家出までして猛勉強に取り組み、見事念願を叶えた、現代版ジャパニーズドリームの実現者でもあった。

津軽民謡ショー
 しかし、神津船長もついに41年間に渡る船乗り生活に別れを告げるときがやってきてしまった。
 その有終の美を飾ったのが昨秋行われた「ふじ丸・黄葉の白神山地神津船長勇退記念クルーズ」。初代船長をつとめたふじ丸がラストステージとなったわけである。
 ふじ丸は、秋晴れの東京港から青森県鯵ヶ沢の七里長浜港へむけて船出した。乗客のなかには「神津船長の追っかけ」を自称する熱烈なファンもいれば、過去1度だけ神津船長のクルーズに乗船し船長の暖かな人柄が忘れられず、お孫さんとともにお別れクルーズに駆けつけた人もいた。しかし、勿論今回が初めてのクルーズというお客様も大勢いらした。そんな人々も疎外感なく過ごせるよう、さよなら企画は少なめに押さえ、レジャークルーズとしての催し物がふんだんに盛り込まれていたのもこのクルーズの特徴であった。
 たとえば、民謡歌手・坂本明央さんの「津軽民謡の夕べ」。迫力ある歌声とお国訛りを交えたショーが東北旅情を引き立てる。クラシック音楽コンサートは「おいしい歌はいかが」と題し、バスバリトン歌手池田直樹さんがコックさんの衣装で登場。前菜は「菩提樹」。メインコースは「魔笛」とフルコースメニューに見立てたプログラム構成で、芸術と味覚の秋を謳歌した。柳家はん治師匠による船上落語。航海士さん直伝のロープワーク教室等々お楽しみを満載し、ふじ丸は大海原を進んだ。
 クルーズ2日目、最後のインタビューのため神津船長を訪ねた。「上田さん、ご苦労さんです」と迎えてくれた変わらぬ笑顔に、8年前ふじ丸の札幌雪祭りクルーズで初めて神津船長に出会った時の思い出が蘇る。偶然にも、その雪祭りクルーズで、小樽港の水先人は、神津船長が1等航海士時代にホンコン風邪にやられたときの船長さんだったのだ。苦労を共にした先輩と後輩の十数年ぶりの再会に、きっと抱き合わんばかりの光景が展開されるのではと予想し、その場に立ち会わせてもらったのだが、甘い絵物語のような私の考えは見事に外れた。水先人さんが操舵室にやって来ると、まず「お久しぶりです」と、深く頭を下げた神津船長。その後、両者が交わした私語はほんの2言3言だけ。しかし、その場には目に見えぬ連帯感と、荘厳なまでの雰囲気が漂い、かえって多くを語らずとも分かり合える、日本の海の男の強い絆を教えられた思いがした。それ以来、言葉を通してはもとより、後ろ姿からでさえ幾つの事を神津船長から学ばせてもらったことだろう。個人的にも感謝の念でいっぱいである。

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