協会は一夜にしてならず

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協会ができるまでの道のりは長かった。足掛け20年近くかかった。設立までの経緯を簡単にご紹介すると、ざっと次の通り、ほぼ4期に分けられる。

◆ 1975~1980年:シマおこしと「西表島研究会」のスタート

復帰後の西表島の開発のすさまじさと島を離れる若者の多さに危機感を感じた若者達が、シマおこしのあり方をさぐる活動(工芸村運動)を始め、東京の研究者らと共に「西表島研究会」をスタートさせる。そこで出された結論は、「島の自然資源を守りながら、外から人を呼ぶ、環境保全型の観光の開発を行うこと」。
今のエコツーリズムはこの頃から見えていた方向性ではないか!?

◆ 1980~1990年:暗中模索期

シマおこしを実地に移すべく島での暗中模索の試行錯誤が始まる。アイガモ農法による無農薬米「ヤマネコ印西表安心米」の開発や、島で一度途絶えた染織の復活、陶芸窯の建設など、西表島の自然を素材としたシマならではの個性づくりを行う。

◆ 1990~1992年:資源調査始まる

環境庁は、国立公園を核に人と自然のふれあい活動を促進して、国立公園の利用を高めるためのプログラムづくりのための調査を行い、西表島をモデル地域の一つに選び、エコツーリズムの基本となる資源調査を行った。そのころ、旅行者の大半が石垣島発着のツアーで島を訪れる現状を見て歯がゆい思いをしていた島人達は、エコツーリズムの概念に共感し、「島の自然や文化を守り・育てつつ、西表島の美味しさ・楽しさ・良さ・素晴らしさを自分たちの言葉で紹介する観光を育てようではないか」、という話し合いを始めたのだ。資源調査は島人が多数参加し、アウトプットは島に残されてエコツーリズムガイドブックの下地となる。

◆ 1993~1996年:島人の思いはエコツーリズムへと向かう

1994年5月に西表島初のガイドブック、『ヤマナ・カーラ・スナ・ピトゥ(山・川・海・人)-西表島エコツーリズムガイドブック』が出版され、島に届いた1994年5月24日、島の中でエコツーリズムの主旨に賛同する人々が中心となって「西表島エコツーリズム協会準備会」が発足。

1995年7月には環境庁の野生生物保護センターが古見集落にオープンし、動植物情報の収集拠点となる。この一室を協会準備会が使用する許可を得、メンバーが定期的な集まりを持つ基盤と情報拠点が得られた。研究者との交流もしやすくなった。専用の電話回線も環境庁の協力で引いてもらい、協会の事務局を構える基盤が次々と整っていく。

2回の島民対象の研修ツアーの実施、島民への説明会の実施、西表島に調査に訪れる生物学者やエコツーリズム研究者、オーストラリアの国立公園レンジャー等を招いてレクチャーを開いたり、と島内におけるエコツーリズムの導入の下地づくりに努めた。こうして機運が高まり、準備会発足から2年を経て1996年5月14日、「西表島エコツーリズム協会」は会員30名弱の組織として、正式に発足したのである。

第2期を除いて常に島民が主導でここまで歩いてきていることがおわかりいただけるだろう。今後の課題は、エコツーリズムをいかに島民に浸透させていくかということと、人材育成、資金源の確保、町や県・国とのタイアップをいかに図っていくか、等活動を維持し発展させていくための努力である。
日本で初めてのエコツーリズム協会であるが、彼らは気負わずにペースを創っていこうとしている。暖かく応援していただければ、と願っている。


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