Ⅱ カムチャツカはどんな所か
◆ 国土
近くて彼方の国
北海道から東北方向に1,000km。面積は日本の1.3倍、472,000平方kmをもち、南北に1,600kmに渡ってのびている。その広大な地域に、32万人(47万~32万人説がある)という日本の縄文時代並みの人口密度しかない。
その人々は大部分が首都であるペトロパブロフスクカムチャツキ-に住み、残りは北部のコリヤーク自治区、他の2つの都市、6つの民族地区を含む11の地区からなっている。火山と山脈、ツンドラとタイガ、肥沃な土地、渓谷と温泉、こうしたイメ-ジで語られるカムチャツカだが、一般の日本人には、「北海道の北のどこかの島」ぐらいにしか認識はないようだ。
道路網はほとんどなく、海路かヘリによる移動に頼るしかなく、内陸部は神秘につつまれている。このWILDERNESSの大地が、ソ連邦崩壊後の社会経済システムの混乱のなかで、ヒグマの密猟ハンティングをはじめ、豊富な地下資源をめぐる開発プロジェクトや、商業ツア-の熱い視線を浴びるなど、混乱を反映した形で、にわかに注目されはじめている。
◆ 資源
地下資源の宝庫カムチャツカ
地下資源は金、錫、水銀、銅、非鉄金属、黒曜石や、天然硫黄苣ホ炭などのほか、天然ガスが豊富に埋蔵していることが確認されている。
しかし、旧ソ連時代には漁業を保護する目的のため、環境破壊をともなう地下資源の開発は、厳しく規制されてきた。そのため、現在にいたるもわずかな採掘がはじめられているにすぎない。
だが、言うまでもなく地熱を含めた地下資源は今後のカムチャッカ経済に与える影響が極めて多いもののうちのひとつになる。現在、漁業関係者が大半をしめる日本人も、地下資源をめぐる動きのなかで、商社、政府関係者などが増えつつある。
漁業立国
カムチャツカ漁業は、旧ソ連邦の漁獲高にも、大きなシェアを持ってきただけに、現在も主要産業である。就労人口も多く、半島の海岸線には小集落が点在して、漁業中心の暮らしを営んでいる。カムチャツカに来る日本人は漁業関連のビジネスマンしかいないと言われたこともあるらしい。
火山・温泉や、フィッシングなど、観光資源は、州政府当局が今後最も力を入れるひとつだ。地元としても、自然が資源なだけに、その自然を損なわない仕組みが最も望ましいし、その方法として「エコツアー」に期待をかけている。だが、経済の破綻は、こうした期待とは裏腹に、見境の無い自然浪費型観光へと行きつつある懸念が出ている。
◆ 経済
カムチャツカは正式には、ロシア共和国カムチャツカ州だ。カムチャツカの人々は、ペレストロイカ以前と以後というように物事を語る。州の経済をみるうえで見落とせないのがこの点である。
ソ連邦の崩壊(1991年)によって、カムチャツカ州の経済は、もっとも大きな影響をこうむった。それまで、ロシア連邦の漁獲量の17%をしめ、極東地域全体でも30%をしめるシェアの漁獲水揚げ高や、カムチャツカ州の全生産高の70%をしめていた。
反面、日用品その他の食料は、本国からの輸入に頼らざるえない経済構造をもっていた。現在にいたっても基本的にこの構造は変わらず、主な物品を輸入に頼るがゆえの社会的な混乱は極めて深刻なものとなっている。
狩猟(毛皮・皮革)も主要産業として広く行なわれている。また范ム業も重要な産業である。私たちがカムチャッカの港で見たものは、山と積まれた輸出材木の船積みだった。その他、船舶修理、地熱開発、農業、土木建設そして商業文化活動が起こりつつある。
インフレーションの国で
すでに新聞紙上などで知られておるとおり、ル-ブルの下落は極めて深刻な状態をもたらしている。私たちがカムチャツカに行く前年には、絵はがきの切手代が2ル-ブルだったが、それが一年後には、275ル-ブルとなり、そしてわずか二ヵ月後の現在、それはすでに10倍以上になっている。急激な貨幣の下落は、国内経済と社会生活をおおいに脅かし、ますます人口の流出に拍車をかけている。
流出する人口
すでに1991年、カムチャツカは住民移動において初めて人口の減少を記録した地域のひとつとなっている。流出人口の90%は労働可能年齢の人々で、その半分以上は高等教育を受けており、医師、教師、熟練建築労働者などである。
社会学的な調査によれば、カムチャツカ州はこの2~3年のうちにさらに31,000人が流出する見込みであるが、現状はもっと大きい数字であることは言うまでもない。(広瀬)