Ⅳ アバチャ火山へ

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キャンプサイトへトラックに乗って

アバチャ山の勇姿 キャンプサイトから

アバチャ山の勇姿 キャンプサイトから

早朝、まだ薄暗いうちにホテルの前に軍用?トラックが止まった。6輪駆動の移動用トラックである。山の支度をした私たち一行は荷物とともにそのトラックに乗り込んだ。途中、朝市で食料や飲み物を仕入れる。ロシアの人たちはたいへん人なつこい。誰とでも二声三声かけるとすぐに友達になれる。車は西に向かい、途中から地図には載っていないが、アバチャ火山方面への道に入る。

しばらくはダ-チャ(セカンドハウス。都市住民が休暇をここで過ごす。手作りの別荘)が両側に立ち並ぶなかを走る。

アバチャ山の勇姿 キャンプサイトから

次第に道は狭くなり、白樺の枝が車の両脇をこするようになる。さらに進むと道が開ける。だが、道と思ったのは火山泥流によってできた枯れ沢であった。固く締まった枯れ沢は、案外と走りやすい。道幅は20~100メ-トルの幅で広くなったり狭くなったりする。両側を白樺の原生林がおおっている。途中の休憩地点で、ミ-シャがトリカブトを見せてくれる。『これは毒があります。』もちろん、日本でもおなじみのものだ。3時間程でべ-スキャンプに着いた。広々と開けた丘陵地帯である。

アバチャ火山(アバチンスカヤ)

2,741m。首都に最も近い火山で活動的な活火山である。1991年に噴火を起こし、火山泥流がペトロパブロフスクの近くまできている。アバチャ火山はなだらかな導線の女性的な山だが、向かい合うコリヤクスカヤ(3,450m)はキリッとそびえたった、男性的な成層火山である。私たちはアバチャ火山に登山した。

目の前には、右にアバチャ火山、左にコリヤクスカヤ火山がそびえたっている。その中央は鞍部になっていて、小さな山がちょこんと見えている。後ろを振り返ると、今朝発ってきたペトロパブロフスクの町が、遠くに霞んで見える。さらにその向こうには富士山のような火山も見える。

このべ-スキャンプ地は、8月の15日頃までは、山岳スキ-や軽登山の基地として賑わっているようだ。今はキャンパ-もなく、2ヶ所の大きなキャンプサイトには、コンテナ型のキャンプハウスが並べられているのみである。それらは、教育委員会の所有であったり、カムチャツカインツ-ル(最大の旅行社)のキャンプ場であるため、私たちは西側の雪渓の端に幕営した。ミ-シャたちが、てきぱきと幕営準備をすすめる。私たちは日本から持参したド-ム型テント2張りを建てる。これが数日間の我が家である。

ミ-シャたちの建てたロシア型テントは、中央アジアのパオのような形をした赤いテントで、中央にかまどと煙突がついていて15人程が入れる。それをかさのような状態に開いて張り、また、たたむときはそれを閉じる仕組みになっている。

ラクダ山ラクダ山トレッキング

べ-スキャンプを設営し終わった私たちは、足慣らしに、鞍部の山へと向かった。
ハンノキが背丈ほどの高さに生い茂る森林限界をすぎると、火山礫のうえにへばりつくようなわずかな植物群落をすぎて氷河を渡る。氷河の雪解け水は、茶色く濁って勢いも良い。石を飛び越えながら渡っていく。さらに登るとラクダ山の名前どおり、ふたこぶの安山岩質の岩山が近ずいてきた。その山の直下に辿り着くと今にも崩れ落ちるような岩がそそり立っている。これは、雲仙普賢岳にみられる溶岩ド-ムと同じで、粘性の高い溶岩がド-ムを作り、それが風化して鋭くそびえた岩となっている。

大小の岩が崩れ落ちた中を、我々は登っていき氷河におりる。氷河の上を進むとなんと、大型のトンボが氷に閉ざされていた。氷河のうえはアバチャ火山の噴煙による黒いテフラ(火山灰)が所々覆っていて少し薄汚れたように見える。

ラクダ山へは裏からまわりこんで登っていく。急な傾斜を登っていくと、わずかな距離で山頂についた。すばらしいパノラマである。ラクダのふたこぶのちょうど谷の部分に我々は腰をおろし、遠くの首都の方角を眺めた。私たちが作ったべ-スキャンプも遥か彼方に見える。このラクダ山は1,170メ-トル。ベ-スキャンプは800メ-トル。そこからの下りは、ずいぶん興味深いものであった。

ミ-シャを先頭に数珠つなぎに間を縮めて列をつくり、一見ビビるような急斜面を下りはじめる。こうすれば、たとえ落石を起こしても人的な被害は軽くてすむ。これはケ-ビングでも同じような方法を取る。
ジグザグにゆっくりと進む。はじめのうちは、傾斜になれていないため、体のバランスがつい崩れやすくなる。そこをミ-シャたちが巧みにリ-ドしていく。みんなで助け合いながら急傾斜のエリアをすぎると、あとは緩傾斜となる。

先頭のミ-シャがここから走るといいだすとまもなく、彼はみんなをおいて大股で駈け下りていく。つづいて私たちも一斉に駈け下りる。まるで強盗団のような気分が巻き起こり、子供のような楽しさが体中に充満する。大小な岩を避けながらもの凄いスピ-ドでピョンピョンと飛び降りていく。途中一名が跳ねすぎて転んでしまったがこれは愛敬だ。あっという間に下山が終了。私たちは腹から笑いあった。

極楽な食事と焚火

べ-スキャンプに帰りつくと、マクシムたちが夕飯の支度をしてくれている。メインディッシュとなったのは、アバチャ湾の漁師小屋でもらった大きな鮭をフライにしたものである。冷たい氷河の雪解け水のなかでレ-ナが解体調理していたものだ。腹の中のイクラがおいしい味付けでいくらでも食べてしまう。薄い塩味で通すだけだとのこと。

極楽な食事風景

極楽な食事風景

食事を終えると、みんなで枯れ枝を拾い集め焚火を作る。焚火のまわりに小さな椅子を並べ夕飯の残りやウォッカなどを持ち寄って夜のひとときを過ごす。パ-シャが、遠くのキャンプ場の管理人からギタ-を借りてきた。ロシア人はギタ-がとても好きだ。パ-シャのギタ-を囲んでミ-シャが唱和し、我々もリズムをとる。焚火やウォッカととてもあうギタ-の調べである。

早めに終えるつもりだったが、いつしか辺りは真っ暗となり、頭上には満天の星が輝きはじめた。焚火の火を消し、それぞれがテントにもどる。

極楽な食事風景

しかし、松橋と広瀬は星が見たくなってテントを出、マットを地面に敷き、その上にシュラフカバ-とシュラフを置いて潜り込んだ痺Vュラフの口を閉じると目だけが外に出ている。決して寒くはない。深夜になるまで星を見たが、松橋は、流れ星を58個、人工衛星を13個数えた。私(広瀬)は、頭上を埋め尽くす星の間に、黒い部分があるのに見惚れていた。

今まで最も星がよく見えたのが、八丈富士の山頂でのビバ-クだったが、ここの空はそれとは桁違いだ、星と星の間に無数の黒い模様が見える。あれはなんなのだろう。日本では見たことがないものである。松橋が『暗黒星雲でしょう』という。結局、二人はこのままテントに入らず朝を迎えたが、一度も寒さは感じなかった。

標高差2千メ-トルを登る

いよいよアバチャ火山(2,741m)のアタック開始だ。昨日のトレッキングでは、体調を崩していて参加しなかった三好さんも『今日は頑張る』といって用意をしている。それぞれに、スキ-のストックが渡される。これはリズムをとって歩くのにとても役に立ち、体の疲れも少なくてすむ。昨日と同じく氷河を越えて進む。なだらかな尾根に近づきどんどんと高度をあげていく。先頭のミ-シャは、小さい歩幅でゆっくりと、まるで計っているような正確なリズムで歩き始める。上を見ると圧倒されそうな高い山だが、ミ-シャの歩調を見ていると安心してしまう。

アバチャ火山トレッキング 1時間に1回の割合で休憩をとる。2回目の休憩の時に、朝日がアバチャ火山の山頂から顔をのぞかせた。シャッタ-チャンスである。日があたると急に気温が上がってきた。私たちはゆっくりと、しかし確実に高度を稼ぎ、大パノラマの中を歩き続ける。背中にはコリヤクスカヤの雄大な姿が見えている。左を見ると写真で見るような非現実的な氷河のクレパスがたくさん見える。

昼になって、火山観測所に辿り着いた。ここは標高2,000mである。残りは800m。この火山観測所で、私たちは小さな避難小屋に入れてもらい、昼食を取った。ミ-シャとパ-シャのザックからは、パンと暖かい飲み物、そして、コンビ-フのカンや鮭のフライなどがつぎつぎと出てきて私たちを驚かせる。彼らはすべての食材を運んでくれていた。十分にお腹を膨らませてさらに先に進む。

急な氷河は、ミ-シャがピッケルでステップを刻み、我々のル-トを作ってくれる。下方には氷河のうえに火山灰が積もりそれが解けてでこぼこの地面を作っている。目の前にそそり立つアバチャ火山の山頂は巨大な赤く焼けた禿頭である。つるんとした火山礫に覆われたその山頂部分にアタックを開始する。傾斜はさらに増し、ステップを刻みながらも足元は火山礫が流れ落ち、つい、四つんばいになってしまう。

山頂 ぜいぜい息を切らしながらついに私たちは山頂にたった、標高差2千メ-トルを全員が登った。体調をこわし、ろくに食べていない三好さんもここまで登ってきた。すごいガッツに脱帽。さながらマラソンを走ったような気分だ。

山頂の生き物

山頂は溶岩ド-ムを真ん中に作ったカルデラ式火山の形をしており、そこから吹き上げる噴煙であたり一面は深い霧に中にいるようだ。さすがに冷える。しかし地面に手をつくと暖かい!試しに、50度迄の温度計を地面にあててみると一気に50度を越えてしまった。

山頂の大岩の壁に、レ-ニンのレリ-フがはめこまれている。猛烈な硫化ガスのため、そのレリ-フは赤く錆びて痛々しい。その大岩の影から、鼠ほどの齧歯類(げっしるい)が出てきた。私たちを怖れない。誰かがウエハウスのかけらをあげるとポリポリと食べはじめる。手の上にも肩の上にも乗る。尻尾は鼠とはことなり、ナキウサギのようだ。風が吹いてきた。今まで噴煙のなかに隠れていた溶岩ド-ムが姿を現わした。黒く噴気を吹き上げる未踏の原。不思議な光景である。その溶岩ド-ムと私たちの立つ外輪との間に下りていくことにした。緩い傾斜を下っていくと、猛烈にガスを吹き出す硫黄華の筒がいく本もならび、そこから有毒の硫化ガスが吹き出している。

口を押さえながら写真を撮っていたが、一瞬吸い込んでしまい、とたんに呼吸ができなくなってしまった。視界の両側が真っ暗になってきた。やられた!と感じながらもなんとかガスから逃れようとしゃがんだが、息はできない。しかし幸い、風が吹いてきて新鮮な空気を送ってくれた。おかげで呼吸ができるようになった私はすぐにそこを離れたが、傍にいた他のメンバ-は、まったく異常を感じなかったとのことだ。山頂はもうすでに17時を回っている、私たちはこれからべ-スキャンプまで戻らなければならない。いそいで下山を開始する。

山頂の火口

噴煙を上げる山頂の火口 硫黄臭い



噴煙を上げる山頂の火口

山頂直下は富士山の須走のような下りで一歩が1メ-トル以上の歩幅になり、滑るように下りていく。誰もが充実感を胸に感じていた。背中にしたアバチャ火山を飽きることなく振り返り下山を急ぐ。トワイライト(薄明)のなかで私たちは記念写真をとり、強い疲労感を上回る満ち足りた気持ちで下り続ける。

3合目辺りまで下った頃、冷たいヤマセ(山から吹き降ろしてくる風)が吹きはじめた。強い風に体のバランスを崩しそうになるが、ジャケットを着込みながら寒さをしのぐ。ようやく下山し終わると、今朝渡った川が増水していて、どこにも渡れる箇所はない。
みんなで渡れそうなところを探して岸伝いを歩く。いよいよ水につかって徒渉(流れを渡る)する覚悟を決めたとたん、隼人が向こう岸にわたって我々を呼んでいる。全員でそこに行くとなんとか渡れそうな場所が見つかった。隼人の身軽さには呆れてしまう。

増水した川を慎重に岩を飛び越して渡っていく。パ-シャが、先に渡って我々の徒渉を助けてくれようとしたが、バランスを崩して膝までドブンと入ってしまった。身をきるような冷たい水だが、パ-シャは『No Problem!』と笑って答えるのみ。
薄暗いべ-スキャンプに辿り着くと、レ-ナやマクシム、ナタ-リヤなどが出迎えてくれて、頬のキスをして抱きしめてくれる。ロシア式のこの歓迎は、慣れないうちは戸惑ったが、いまはとてもうれしい。しかし隼人は照れて逃げてしまった。大人になれば、勿体無いことをしたと気が付くだろう。

食堂テントのなかで遅いディナ-をとる。ナタ-リヤの手作りのボルシチはとても旨い。この味は、たぶん一生忘れることはないだろう。酒も入り満ち足りた気持ちでみんなくつろぐ。レ-ナが登山証明書を作って一人一人に渡してくれた。本当に充実したすばらしい一日、標高差2千メ-トルの登り下りであった。

【ロシア側ガイド】

山岳ガイド

ロマネンコ・ミハイル(ミ-シャ) 37歳
パベル(パ-シャ) 28歳

調理担当

マクシム 17歳
ナタ-リア 17歳

通訳

ルキャノバ レ-ナ(レ-ナ) 29歳

撤収

食堂テントのなかで、私たちは眠りに就いてしまい、目が醒めると、強風の吹き荒ぶ嵐が昨夜来つづいていた。その中での撤収作業である。カッパを着込んで手際よく荷物をまとめていく。全員で共同作業である。この雨の中をやってこれるか心配した6輪駆動車は、ちゃんと予定どおりきてくれた。最後にアバチンスカヤ(アバチャ火山)、そして、我々を見守り続けてくれたコリヤクスカヤに心を込めて別れを告げる。でこぼこ道の帰路は疲れも加わり、みんな寝込んでしまう。しかし、でこぼこ道のため頭をぶつけてこぶも出来るような帰りであった。

その他

カムチャツカの自然体験型旅行のインタープリテーションは、とても印象的なものであった。ことばは十分ではないことも加わって、かえって自然の奥深さがよく伝わる気持ちの良い自然体験を得られた。ミーシャ、パーシャを始めとしたスタッフたちの技量は、予想を上回る優れたものであった。また、心遣いもとても深いものを感じた。

◎ キャンプや登山をする資材、器材、食事などは、すべて現地で調達できる。

私たちは情報が少ないため、日本からテント・食料を持参したが、こうしたものもすべて不要だった。使わなかった食料はミーシャたちにあげてきた。ただし、寝袋などの個人装備はやはり携行したほうが良いだろう。なぜならば、ロシアの山岳装備は、旧式なものが多く、それで由としない人には苦痛となるかもしれない。山での食事も、充分満ち足りたものだった。口に合うか心配する向きには、「心配無用」といっておきたい。

◎ 問題点としては、キャンプ場でのトイレの問題

あらかじめ、10人を越える人間がキャンプするのであるから、排泄物はかなりの量だ。男女、場所を決めて穴を掘っておくべきだったと悔やまれる。キャンプの最終日、小さな木立の中は、あちこちに人糞が残ってしまった。

◎ ロシア人のスタミナと日本人とはずいぶん開きがあるようだ

標高差2,000mの登山を一日で行って帰ってくるというのは、国内でも結構な強行軍だ。それを一般の旅行者に薦めるのは酷に感じる。 やはり、行程をもう少し緩やかにアレンジする必要があるだろう。ちなみに、この登山終了後に、発熱者が2人出た。(広瀬)


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