V ツアーポイント
◆ 郷土史博物館
まずはここに寄ろう
ペトロパブロフスクカムチャツキー市の中心街の港を見おろす小高い位置に、郷土史博物館はある。建物は1930年に完成した木造建築で、市長の公邸であった。
展示は、地下1階には自然生態系について、先住民族(イテルメニ、コリヤキ、ズレニなど)の文化と歴史、そしてベーリング海峡の名の由来となったノルウェーの探検家バイダス=ベーリングをはじめとする探検家の活動等、近代の歴史に関する展示があった。
自然生態系の展示は、哺乳類を中心とした陸域生態系、海獣と海鳥の剥製を並べた海域生態系等がジオラマ形式で作られており、興味を引く工夫がなされている。また、オットセイやステラカイギュウなど乱獲により種の減少や絶滅が起こった例を取り上げた環境問題に配慮したものが見られた。1階は、ごく小さな博物館の沿革をパネルで説明した展示が行われている。2階のほとんどが、海獣の毛皮や牙や骨を利用して作った先住民の民族衣装でしめられていた。一部はロシア正教教会で使われるイコンや衣装の展示に当てられていた。
博物館員が1人ついて、全ての展示物をまんべんなく説明してくれた。説明には慣れている様子であったが、ヒグマの研究や研究者について質問しても全く知らなかったことから、この博物館は研究機関の役割は果たしていないようであった。残念なことに館員による説明、そして表示とも全てロシア語のみであった。また販売している出版物も94年に発行されたロシア語と英語の「KAMCHATKA THE BEAUTIFUL」のみで、内容も基本的には写真集であり、情報源としてはいささか心許ない。(東梅)
◆ 火山学研究所
火山の半島
カムチャツカ半島は、日本を含む環太平洋火山帯の一部であり、活発な火山活動の行なわれている地域として知られている。29の活火山、160を越える火山を数えている。私たちが帰国したのち、3週間後に、カムチャッカ半島最高峰のクリチェフスカヤ火山が大爆発を起こしたことは、日本のマスコミも報じたところだ。
私たちが登ったアバチンスカヤ(アバチャ火山)も、3年前に大噴火を起こしたばかりである。こうした活発な火山活動とカムチャツカの人々は、比較的に人的被害を持たずに付き合ってきた。この秘密として「火山学研究所」の活動があげられる。
「頭脳流出」
ソ連崩壊(1991年)以前には500人の職員が、「火山学研究所」に籍を置き、各地の火山の測候所に詰めていた。
その後スタッフは、ペレストロイカを経て急速に減り、現在は100人を数えるのみとなっている。最近の急激なインフレにより、頭脳流出も起きており、「火山学研究所」の優秀なスタッフもカムチャツカを離れているときく。
私(広瀬)は、11月にカナリア諸島で開かれた【国際火山洞窟シンポジウム】に出席した折り、カムチャツカの「火山学研究所」から出席したスレージン・ユーリー博士と日程を共にすることが出来た。親しく交わらせてもらった折々に博士から聞きえた情報は、貴重なものだった。
ロシア科学アカデミーの極東最大の研究機関である「火山学研究所」は、質・量共に充実した体制を誇っていたが、現在の急激な経済悪化の煽りを受けて、研究もままならない状態であると聞く。職員数が減ったばかりでなく、研究部門も制限を受けてきており、観測体制も影響を蒙っているようだ。私の専門である火山洞窟についても、博士個人が精力を傾けて研究しているのみで、研究所からのバックアップ体制はないという。
展示室へ
旅行者は、「火山学研究所」に展示されているさまざまな鉱物や火山性噴出物を見学できるほか、頼めば、火山噴火の貴重なビデオも映写室で見ることが出来る。今回私たちはアポイントメントをあらかじめ取らなかったため、一般旅行者と同じように見られ、詳しい説明を受けることは出来なかった。しかし、事前のアポをきちんと行なえば、相当突っ込んだ話も出来るようだ。次回からはユーリー博士が窓口となってくれるだろう。
いずれにしても、カムチャツカ半島を訪れるものは、火山を見ないわけには行かない。半島の自然の最も大きなものは、火山であり、火山の生み出す自然現象が私たちを魅了している。そのためにも、ぜひ「火山学研究所」は立ち寄りたいところである。(広瀬)
空港からホテルに向かうまでの間、山麓の白樺の林の中に一軒家が何件も建っていた。ダーチャと呼ばれる夏の間の別荘。自分で建てるか友人の手を借りて建てる。カムチャツカの人々の夏休みは通常45日で、教員は60日もあるそうだ。冬の厳しい分、たっぷりと夏の自然をたのしむのだろう。土地は100万ルーブル程度で購入できるとのこと。日本円にすると4万5千円。本当だろうか(聞きまちがいかもしれないと心配になる)。貨幣の価値が日本とは大きく異なることもあるが、いずれにしろ、カムチャツカの人々にとっても、そう手の届かぬ金額ではないようだ。(三好)
デパート
デパートの中は、薬屋があるかと思うとその横がじゅうたん売り場であり、ぬいぐるみばかり山のように置いてある店もあれば、靴屋もある。雑多なかんじだ。しかし、活気はない。閑散としている。靴屋には同じサイズの靴は数種類しかなく、どれも野暮ったいもの。街を歩く人は、豪華ではないがこざっぱりとお洒落なので、いったいどこで手に入れるのだろうと思った。
建物と車
市内の建物は鉄筋コンクリートが主流。メンバーの誰かが、ここは演歌が似合う街だといったが、本当にそんなかんじだ。いくつも並ぶアバート群の間に、洗濯物がはためいている。かなり間隔のある棟と棟の間にロープがかかっているのだから、どうやってロープをわたしていくのだろうか。
道路にはかなり多くの日本車走っている。「大手自動車教習所」「赤松商店」といったネーム入の車を、ロシアの人が澄まして運転しているのは愉快だ。
公共バスは無料。住んだり(ハバロスクやウラジオストックで1ヵ月の家賃が500円程度と聞いた)、移動したりという、最低限の生活には、本当にお金のかからない仕組になっているようだ。しかしあと数ヵ月で有料になるのとのこと。(三好)
青空市場
一方、青空市場はにぎやかだ。衣類や雑貨、流行歌手のカセットテープ、果物・野菜、イクラにサーモン、肉やペット、花や毛皮・・・なんでもかんでもそろっている。街の人々は今ひとつ覇気のないデパートには足を運ばず、ここで日用品を調達するのだろう。
ロシアのあの毛皮の帽子は、あちこちで売られ、買いもしないのにかぶって写真をとっていても、お店の人はニコニコと見ていてくれた。外国からの輸入品も多い。アロハシャツなどもアメリカものが飾ってあった。思ったよりうんと豊かな印象。
物資が不足していると旅行前の先入観からはずいぶんと違ったものだった。一番魅惑的だったのが、アジア系の若者が大きな鍋でがグルグルいためている焼飯だったが、そのあとすぐに昼食だったので断念した。本当にうまそうだった。
ロシア正教会
街の中のロシア正教会はトルコの建物のような外観。中に入ると鮮やかな彩色の十二使徒とキリストが描かれている。脇の燭台にローソクをともして人々は祈っている。教会を出たところで、メンバーの一人が若い兵士から十字架を渡された。
彼は今日カムチャツカをたって、タジキスタンに向かうのだそうだ。タジキスタンはパキスタンやアフガニスタンと国境を接し、常に戦争の危険にさらされているところだ。彼はニコリともせずその場を去り、わたしたちも無言で彼を見送った。カムチャツカのもう一つの現実だ。
温泉
カムチャツカは温泉の宝庫。なにはともあれ入らなくてはならない。白樺の間の林をどんどん行くと、公共の温泉があった。風呂というより大きなプールの中に35度程度のぬるいお湯と42度ほどの熱いお湯がはいっている。近くの川ベりからこんこんを湧いているのを引いてくるのだ。雪が降るときは、熱い湯と雪の上を交互に行き来して、それが最高なのだそうだ。子供たちが泳ぎの練習をしていたり、自分自身も平泳ぎをしたくなったりして、しんみり湯船につかるという日本的な情緒とはずいぶん違うが、男も女も大人も子供もいっしょに伸び伸びとあったまる。いろんなタイプの温泉があるようだ。これぞ「カムチャツカの温泉」と感嘆するような秘湯を見つけたいものだ。
海
私たちが立ち寄った夕刻近くの海はとても静かで、大きな漁船がいくつも漂い、軍艦が悠々と横切っていった。浜の近くの小屋をのぞくと、漁を終えた男たちが一抱えもあるサーモンの収穫をみせてくれた。メンバー二人で抱えて見ると、ずっしり重かった。漁師のひとりが1匹抱えて外に出ると、海水でパッパッと洗ってビニール袋にほうり込み、私たちに分けてくれた。これは、登山のベースキャンプでたいらげた。
夕日に照らされる海と街が眺められる岬にいると、スッと止まった1台の車の中から頭にブーケをかぶった花嫁と花婿が出てきた。岬に立ち、その友人たちが彼らをもりたてていた。とてもほのぼのとしたいい光景だった。(三好)
野生生物
カムチャツカ半島を世界的な野生生物の分布という視点から見るとは、動物地理区分上では日本と同じ旧北区に属し、植物においても動物の旧北区とほぼ重なる全北植物区系界に属す。植生からみた気候帯では、北海道東部都北部と同じ亜寒帯ー冷帯に当たる。このように環境条件が共通しているため、本州の高山帯や北海道の景観とあまり大きくは違わない印象を受ける。平地の植生はシラカバが中心で、キャンプ地であった標高700メートル付近では高さ1メートル未満のミヤマハンノキ(?)の潅木となる。千メートルを越すと木は見られず森林限界はこの付近となっていると思われる。
野生生物、特に哺乳類はなかなか簡単には見ることができない。今回の旅行で見ることができた哺乳類は2種だった。一つは体長15cm程度の齧歯類一匹をアバチャ山山頂(2741m)で見た。
比較的丸い頭、3cm程度の尾などレミングに似た印象があるが、性格にはまだ分からない。またマーモットは、ベースキャンプ地となった標高800mの高原で多く見られた。
野生生物の取引が観光業と結びついていることが多い。カムチャツカでも1991年に海外からの観光客を受け入れ始め、その中でもクマ、ヘラジカ等の狩猟を目的とした需要はこれからますます伸びると考えられる。
市場で売られていたクマの毛皮
狩猟は政府による許可制度になっており、特に外国人に対する制度が設けられており、申請料が異なる。どんな野生生物が狩猟の対象になっているのか、年間何頭取られているか等詳しいことは調べていない。
ヒグマ等野生生物の毛皮が市場などで売られていた参考までにカムチャツカへの経由地として立ち寄ったハバロフスクではヒグマの毛皮がUS$1,500、オオカミの毛皮がUS$850で売られていた。どのぐらい売れているか尋ねたところ、あまり売れていないとのことだった。(東梅)