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3.旧東ドイツの暮らしを垣間見る

更新日 : 2014年12月19日

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DDR Museum Zeitreise

再現された旧東ドイツ時代のオフィス(DDR博物館「ツァイトライゼ」にて撮影)



DDRの時代にタイムトラベル

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DDR博物館「ツァイトライゼ」

エアフルトの政治犯収容所博物館で独房に足を踏み入れた時、耳に違和感を覚えた。壁一面を覆っていた遮音シートの影響だ。日常では耳にしない異様な音の響き、窓もない狭い部屋。トイレは内柵と扉の間にあり、監視員の許可無しに自由に用足しもできない。ここに閉じ込められた人たちの、悲痛な叫び声が聞こえてくるようであった。

彼らは皆、ただ自由に人として生きたかっただけなのに、何故屈辱的な扱いを受け、こんな場所に押し込められなければならなかったのだろうか。そこにわずか数分いただけで胸が苦しくなってきたので、場所を移してさらに話しを聞く。もう何ともいたたまれない気持ちになった。

思わず「イヤなことを思い出させてしまってごめんなさい。」と口にすると、取材に同行してくれていた一人が私を気遣ってこう言ってくれた。「いいのよ。あなたはそれが知りたくて、わざわざドイツまで来たのだから。それに… もちろん当時誰もが自由が欲しかったというのは同じだけれど、私達は生まれた時からそういう環境の中にいたから“特別なこと”という意識もさほどなかったし、あなたが想像するほどそんなに毎日毎日苦しんで暮らしていているばかりではなかったのよ。」と。
これを聞いて、以前ワイマールで知り合った人に統一後の感想を尋ねた時、「旧東ドイツの何もかもが悪いわけではなかったんだよ。」と、その人が言っていたのを思い出した。

では、シュタージのことはさておき、当時の東ドイツ地域の人々はどのような生活を送っていたのだろうか?
ここで一つ、先日行われたドイツ観光局のプレス向けセミナーで発表された興味深いデータをご紹介しよう。これはドイツ統一前、東西それぞれの地域にあった文化施設の数を比較したものである。



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表1:統一前の文化施設比較 (資料作成/提供:ドイツ観光局)
出典: Statistisches Jahrbuch der Deutschen Demokratischen Republik 1990; Statistisches Jahrbuch Deutschland 1991; *Theater, Spielstätten, Spielstätten in privaten Theatern; **öffentliche Theater; Stand: 1989



劇場や博物館の数では圧倒的に旧西ドイツに劣るものの、西側との国土面積や人口の差も考慮すれば、文化的な生活を送っていたようだ。また、楽団の数では西地域を上回ることから、ことに音楽の分野は積極的であったことがわかる。ドレスデンやライプツィヒなどを中心に、東ドイツ地域で現在も広く見られる特徴でもある。

ドレスデン郊外のラーデボイルにあるDDR博物館では、当時の人々の生活の様子やドイツ再統一への道のりを垣間見ることができる。DDRとは、ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik)の略称。英語ではGDR(German Democratic Republic)と表記される。この博物館は「ツァイトライゼ」と呼ばれ、その名の如く現代からDDRの時代にダイムスリップすることができる。

建物は6階建てで、うち4フロアで常設展が行われている。窓口でチケットを購入したら、エレベーターで4階まで上がり、そこから階段で下りてくるのが一般的な見学コース。各階にはテーマが設定され、それに基づいた展示が行われている。単なる陳列展示ではなく、イメージし易いように再現されているのが特徴だ。

ここには駅員室や警察をはじめ、国境検問所の一室、病院や郵便局、学校の教室や食料品店、一般家庭のリビングや書斎、ダイニングルームが再現され、当時のファッション、玩具やベビー用品、オートキャンプなどのレジャー用品の数々も見ることができる。中には、第二次世界大戦中の生活の様子を再現した展示室もあったりする。そこには西側と変わらない、旧東ドイツの人々の日常があったことがわかる。1階に展示されている懐かしいDDR時代の車は、マニアを夢中にさせることだろう。

DDR博物館はベルリンにもあるが、その規模は全く異なる。ドレスデンの中心部からも簡単にトラムでアクセスできるので、機会があったら是非足を運んでみて頂きたい。窓口でフォトチャージを支払えば、館内は自由に撮影できる。


ドレスデンで見る現代史の舞台

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ドレスデン平和デモ記念プレート

「東ドイツ建国40周年」を目前にした1989年9月末、国家指導部はお祝いムードを妨げるものがあってはならないと、プラハの大使館に詰めかけていた6千人に対し、旧東ドイツ領内を経由する特別列車の利用を条件に出国を認めたものの、これが事態のさらなる悪化を招いた。
同年10月4日、プラハにとどまっていた東ドイツ人を乗せて、西ドイツへと向かう4両編成の特別列車がドレスデンを通過すると知り、5千人の出国希望者がその列車へ同乗しようとドレスデン中央駅につめかけ、警官隊と衝突したのだった。

1989年10月7日、旧東ドイツ政府は軍事パレードなどを行い「東ドイツ建国40周年式典」を行ったものの、東ベルリンで起きた民主化要求デモ参加者に人民警察が棍棒をふるって襲いかかり、押さえ込みに失敗。翌10月8日には、今度はドレスデンで2万人規模のデモが行われた。ライプツィヒで7万人規模の平和デモが行われた前日の出来事であった。これは余談ではあるが、実は小規模ながらライプツィヒよりも前にエアフルトで民主化要求のデモは始まっていたという。

いずれにせよ、こうした東ドイツ地域の各都市でのデモを受け、同年10月18日、党の最高指導者であったエーリヒ・ホーネッカーが、ついに全ての職から辞するに至った。ドレスデンでデモが起きたのは中央駅近く、現在はホテルや商業施設が集まるライプツィガー通りであった。この通りにあるホテル「プルマン ドレスデン ネバ」の前には、デモが行われた日付「8 Oktober 1989」が刻まれている。

最近またニュースでも何かと話題になっている現ロシア大統領のウラジーミル・プーチンは、1985年にソ連のKGBドレスデン支部に赴任した。1989年11月9日に東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊してから26日後の12月5日、ドレスデン市民が群衆となってシュタージ(現在は収容所博物館)を占拠。そして、やがて群衆の怒りの矛先は、100メートル先にあるプーチンのいたKGBドレスデン支部(現在のルドルフ・シュタイナー・ハウス)へと向けられた。

後にプーチンは当時を振り返り、彼らの乱入を恐れてその時に諜報員のネットワークなど、すべての機密書類を焼却せざるを得なかったと語っている。最終的にはプーチンの威嚇を受け群衆は立ち去り、侵入は免れたそうだ。
こうした場所もベルリンの壁崩壊、そしてドイツ再統一25周年という記念すべき年に訪れておきたい場所の一つである。


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