ドイツ少数民族の町、バウツェンへ
私が食事をしていたのは、町の中心部にある「Mönchshof zu Bautzen」という、バウツェンの伝統料理が食べられるレストランです。通りから少し奥まった店の扉の前に、ちょっと不気味なお方がおいででしたが、店内はちょっと薄暗くてこんな感じ。なかなかムード満点で、中世マニアにはたまらない空間です。
この日は爽やかな晴天に恵まれたので、テラス席をチョイス。そこで、このお店だけでしか味わえないというオリジナルビールを飲んでいたら、突然目前にこんなお姿をした方が・・・。
この出で立ちからすると、中世の修道士さんのようです。
名前はエウセビオス。お尋ねしたところ、12世紀頃ここで暮らしていらっしゃったそうです。タイムスリップされたようなのですが、もしかしたら時空を越えたのは私の方だったのかも知れません。
お腹も満たされ外へできると、なんとこの修道士さんが、道案内して下さるというのでありがたくお受けして、一緒に町を散策することにしました。
中世の修道士と日本人、なかなか「珍」な組み合わせです。ヨーロッパの色んな町を取材していますが、修道士さんが道案内を買って出てくれたのは初めての経験。なんだかスゴイです、バウツェン!
ですが、この日はイースター・サンデー。
このイースターで有名なバウツェンには、この日たくさんの観光客がやってくるので、中心部の飲食店や一部のお店は営業していますが、観光施設などは閉まってしまいます。
町の一番奥にあるのが、このこのオルテンブルグ城です。
およそ千年もの間、バウツェンの中心となっていた城館です。ハンガリー王マーチャーシュによって建てられた当初はネオ・ゴシック様式でしたが、17世紀にネオ・ルネサンス様式に改築され、現在に至っています。そして、この中庭の一角に、ソルブ人の歴史を紹介する「ソルブ博物館」があります。
ソルブ博物館となっているこの建物は、ブルク城の塩の倉庫として18世紀後半に建てられたもので、19世紀にはザクセン王国の役所として、そして第3帝国の時代には「ゲシュタポ」が利用していました。
この博物館の正面に、「ブルク劇場」があります。現在はモダンな建物に改装されていますが、中庭に面した部分がガラス張りになっていて、古い建物の外壁にあるモニュメントが見られるようになっています。
バウツェンには、本当にたくさんの塔がありますが、その一つが、16世紀に城壁の一部として建てられたこの「ニコライ塔」です。シュロス通りには、15世紀に建造された「マティアス塔」も見られます。
そのすぐ近くにあるのが、ニコライ教会の墓地です。ここには15世紀に、後期ゴシック様式のニコライ教会が建てられましたが、17世紀に起きた30年戦争で破壊され、現在は廃墟となっています。破壊された翌年から、墓地として利用されているそうです。
さらに足を進めると、大聖堂の宝物を集めた「大聖堂参事会」があります。位置的には、ちょうど大聖堂の裏手側に当たります。
バウツェンのシンボルである「聖ペトリ大聖堂」ですが、町が文献に登場する1000年頃には、この場所にすでにその前身となる教会が建っていたそうです。
大聖堂が創建されたのは13世紀になってから。15世紀の終わりに現在見られる後期ゴシック様式の姿となりました。宗教改革後は、カトリックとプロテスタントの双方の教会となっています。
2014年4月現在、内部の改修工事が進められていて、身廊に入ることはできません。入口を入った翼廊のみ見学できます。
大聖堂のあるフライッシュ・マルクトには、ザクセン選帝侯のヨハン・ゲオルク1世の像があります。
旧市街の中心を歩いた後は、城壁に沿って下って歩いてみましょう。中心部とはまた一味異なった、長閑なバウツェンの風景に出逢うことができます。
バウツェンを流れるシュプレー川の畔は、のんびりとリラックスするにもお勧めです。この写真に写っている橋の上から、バウツェンの全景を撮影することができます。
チェコとの国境は目の前。ボヘミアが薫るバウツェンは、スラブ系のドイツ少数民族が暮らす町。
ドイツであってドイツでない、そんな不思議なひと時が体験できてしまう町なのです。