東洋・西洋 共存の魅力
香港は東洋の中の西洋ともいわれている。
日本から4時間の距離に西洋があり、西洋の雰囲気、習慣を経験することができるかと思えば、同時に、同じ場所で純粋に中国的な文化や、珍しい風俗、伝統に接することもできるのである。
超一流のサービスを誇る世界でも指折りの高級ホテルの豪華な部屋でくつろぎながらラグジュアリーな気分にひたったり、本場ヨーロッパのシェフが腕によりをかけたフランス料理を極上のワインと共に堪能したり、その翌日には、すぐ隣の、きらびやかな有名中国料理店で豪勢な本場の味に舌づつみを打ったりの、食べ比べの醍醐味は香港ならではのものである。
輸入ブティック専門店や高級宝飾店などがウインドを飾り立てているショッピング・モールのすぐ脇の安物専門の露店市、超モダンな高層ビルとその足元の小さな公園で、早朝、太極拳にはげむ老人たち、堤灯節、清明節、長洲島の饅頭節、端午節、天后節、中秋節、などの中国のお祭りや「京劇」などの伝統的な中国演劇と、クリスマスを豪華に飾り立てる華やかなイルミネーションや、毎年、超一流の世界の音楽家、芸術家が演出する『香港芸術祭』の近代的ステージパフォーマンス、香港の中の中国を肌で感じる香港島の下町ワンチャイ(湾仔)、九龍のテンプル・ストリート(廟街)、モンコック(旺角)などのブラブラ歩きと、英国パブや、英国直送の材料を使う正統派英国料理レストランでの英国三昧、ロールスロイスでの市内ドライブと、二階建て路面電車から眺める活気あふれる生活臭紛々の街並み、高級部ブティック街と、女性の物なら何でもそろう女人街、近代的な帆船クルーズによるサンセット・クルーズと、中国ジャンクでのハーバー・クルーズ、クリアーウォーターベイ(清水湾)でのゴルフやスカッシュと、迫力満点のカンフー道場のぞき、伝統的な龍船祭でのドラゴンボート・レースと、サイクン(西貢)でのウインドサーフィンなどなど・・・挙げれば全く切りがない。
これら東洋と西洋、あるいは英国と中国の伝統の共存はこのように他には見られない局面的な組み合わせの妙を生み出し、香港独特の魅力となっている。
しかし、その本当の魅力は単なる対比の面白さのみならず、地理的に見て東洋的なものしかないと思われるところに生きる本物の西洋と、西洋的なものに支配されても仕方がないところに、かたくなに強く生きる本物の東洋とが、お互いの文化を尊重し合いながら干渉することなく、共に純正な姿を保ったまま狭い香港に重なり合って共存していること自体が珍しい魅力となっているのではないだろうか。
このようにユニークな東洋と西洋の共存だが、返還と共に決定的に変わらざるをえないと思われる側面がある。それは「英国」の名残りの抹殺である。
香港には英国人がつけた地名や道路名が多く、そんな英国流の名前の存在が東洋の中の西洋を感じさせてきた。中国は、「返還後といえども50年間は何も変えず今までどうり」とは言っているが、しかし、はたしてクイーンズ・ロード(皇后大道)とか、昔の香港総督の名前をとったネーザン・ロードやジョーダン・ロードを返還後も黙って認めるだろうか?
英国がつけた地名とか道路名は非常に多いが、その主なものをチョット挙げてみる。それらはみな観光客に親しまれてきた名前ばかりなのだが・・・・
先ず、ビクトリア女王の名を冠したビクトリア・ピーク、ビクトリア・ハーバー、ビクトリア公園など、それに、キングス・ロード(英皇道)、プリンス・エドワード・ロード(太子道)、その他レパルズベイ、今は仲直りしているが、かつて中国が「香港の繁栄を妨げる」と非難したことがあるジャーデインの名を冠したジャーデイン街、ヘネシーロード、・・・などなど。それに前出のクイーンズロード、ネーザンロード、ジョーダンロードなどがある。
事実、その数は無数にあるが、総督の名前とか皇后大道、英皇道、太子道、など、どうしても中国にとって我慢できないものだけ変え、あとの英国名はそのまま固有名詞として残すとしても(もっともその時、漢字名は後に触れるように、広東語で音訳するか、北京語で音訳するかによって変わってくるが・・・)、改名した新しい道路名が中国の習慣に従って「xx路」となると、香港の「xx道」の中にあって、ひときわ目立ち、まるでなじみそうにない。
だからといって、中国が選ぶ新しい名前を香港流に最後に「道」をつけるのは中国にとっては、メンツ上、これまた我慢ならないのではなかろうか。
いずれにしても、どんな名前になるか興味があるところである。