東洋・西洋 共存の魅力
このように、数多くある英国の主導(中国の従属)を示す植民地時代の遺物はどんどん消されることになろうが、消される側には当然、戸惑いや混乱が起る。しかし、これは仕方がないとしても、消す側の中国にとっても、厄介な大仕事となるものもある。
最も頭の痛い課題は「左側通行」であろう。植民地香港では、本国の英国同様、左側通行(中国は右側通行)である。この、手のつけようもない大きな植民地時代の名残りはどうするのだろうか?
返還後はますます車による中国~香港間の往来が頻繁になることは目にみえている。この中には観光客を乗せたバスも数多く含まれよう。右側通行になれた中国の車が香港に来て事故を起こし、逆に、香港の車が中国に入って事故を起こすことになり、その件数は想像をはるかに越えたものになるかもしれない。しかし、香港を右側通行に変えることは容易なことではない。その莫大な経費のことを考えれば、先ず不可能といえよう。
「基本法」に基づき、50年間か変えなくても中国のメンツが保てるのは、考えようによっては幸いであるが、この、中国にとって迷惑千万な、巨大な英国植民地時代の足跡は消すに消せないものとして、何時までも引きずられるのではなかろうか?
中国への返還により『中華人民共和国香港特別行政区』が誕生しても、今までの自由経済システムは残る。現在の「経済特区」深は返還と共に香港と一体化し、さらに、中国の沿岸部ではむしろ、どんどん「香港化」が進むと思われる。 しかし、一方、香港内部では、前述のように中国のメンツにかけて、目障りな英国の植民地時代の残滓は徹底的に排除され、『英国的香港』から急速に中国指導の『中国的香港』に脱皮していく。
というわけで、「本物の英国よりも英国らしい」といわれてきた<香港的英国>が東洋の一角、香港でかもし出してきた独特な雰囲気は消滅することになる。香港観光協会がしばしば使ってきた、「わざわざ遠くヨーロッパまで足をのばさなくても、すぐ近くの香港で英国の雰囲気が楽しめる」・・・などという魅力的なセリフはもう使えなくなるであろう。
香港のナショナル・キャリアともいえる「キャセイ・パシフィック航空」も機体に描いてあった英国国旗をもう既に消している。