活気あふれる生きざまの魅力
香港の、広い意味での観光的魅力ともなっている猛烈な生活エネルギーは「植民地香港」の厳しい生活環境の中から生まれることは確かなのだが、私はここで、沢山あるエネルギー発信源の中から、特に、香港で幸多く生きるためには絶対に必要な「情報」を、広く早く収集しようとする欲望、つまり、情報収集欲と、手に入れた情報を自分だけ握っていないで早く人にも伝えて自分の情報収集力を自慢したいという情報伝達欲、いわば香港の人達の「うわさ好き」を取り上げたい。
何故ならば、香港のエネルギーあふれる活気を見る時、どうしてもこれを無視できないからである。
香港の人達は無類の「うわさ好き」である。
香港という小さな『るつぼ』の中は、うわさやゴシップまでも含めた「情報」が、封じ込められた花火のように飛び交っている。これが凄まじい生活エネルギーを発生させている原因の一つだと思う。
情報にもいろいろある。「どこそこの誰それがどうした」というような、ごく些細な噂話から、「どの店の何が安い」「こんな店がどこそこにできた」というような生活情報、それに、金儲け情報、金融・為替情報、ビジネス情報、求人情報、さらには中国への返還がらみの政治情報から国際情報まで、ありとあらゆるジャンルの情報が、時にデマも交えながら、46時中熱っぽく飛び交っているのである。
香港の人達の、耳寄りな情報を追い求める欲望は凄まじいものがあるが、これは、先にも触れたが、植民地香港という厳しい競走社会から生まれた必然的なものである。人より少しでも早く有利な情報をつかみ、人より一歩でも先を歩かねば置いて行かれるという環境の中にあって、自然と身につけた生きる術ともいえるのである。
それが日常的には無類の「うわさ好き」となり、噂話に生きがいを感じるようになっている。
新しい情報に対する収集欲は、同時に、入った情報を出来るだけ早く人に伝えたいという伝達欲を掻き立てる。面白い情報は1人で黙って握っておれないのである。人から人へと二重三重に飛び交いながら広がっていく。その拡散スピードはまた物凄く早い。私など、ついさっき聞いたばかりのうわさを誰かに話してみても、相手は既に先刻承知している場合が多く、間が抜けて白けてしまうのである。
彼等は、入った途端に瞬時に人に流すことに快感を覚えるようで、そのスピードは、のんびりとした私など到底太刀打ちできるものではない。あの携帯電話も、香港での普及率は世界一だというが、これは香港の人達の桁外れの情報欲と伝達欲に負うところが大きいといえる。
価値あるニュースは勿論のこと、ふとしたことで耳にしたうわさ、行きづりで拾った珍しい情報、実際に目にした新しい発見や思いがけない動きなどは、直ちにその場で人に話してしまわなければ気が済まないのが香港の人達である。狭い香港で、何分か後に合うことになっていても、それまで待てないのである。携帯電話は彼等にピッタリの道具で、今や歩きながら声高にしゃべりまくる彼等の声が香港の活気のシンボルの一つともなっている。
というわけで、昼食の飲茶で顔を合わせた時など、あるいは何処でもよるとさわるとワイワイガヤガヤ、すでにお互いに交換済みのゴシップを再び繰り返しながら楽しむことになるのだが、彼等の生きがいでもあるこんなうわさ好きは、何が起っても変わるものではない。
ここで言論の自由という少々角張った話をしなければならない。
返還前の香港では、植民地でありながら言論、報道、出版、集会などの自由が認められ、結社やデモまでも自由で全く規制されなかった。これらの自由は「基本法」により返還後50年間は保証されている。しかし、どこまで民主的に保証されるかということになると不安がないわけではない。
気になるところは、『保証する』という条文に対応するかのように『禁止する』という条文があるということである。
「基本法」で同時に禁止されているものには、国家に対する反逆はもちろん、反乱や扇動、国家機密の漏洩などがある。これらを根拠にした理由づけのもとに、先に認めた自由を規制することは容易であろう。
例えば、今まで毎年6月4日に行なっていた『香港市民支援愛国民主運動連合会』の集会などは返還後は何らかの禁止条項をあてはめて認められそうにない。しかし、万一そうなったら、集会の自由の「基本法」による保証は有名無実となる。
これは一つの例にすぎないが、英国植民地時代に認められていた言論、報道、出版集会などの自由が、中国の政治的イニシアティブにより規制され始めると、今までの、政庁に対する自由な批判、自由奔放な噂話、ゴシップなど、好き勝手に情報を流すことに慣れてきた香港の人達の精神的仰圧感はかなりのものとなる。『親中派』がのさばる中で、『反中国的』という烙印を怖がり、ストレスがたまることになる。
私は、ひたすら「基本法」に保証された自由は少なくとも50年間は阻害されないことを祈るのみである。香港の「活気あふれる生きざまの魅力」を失いたくないのである。