多彩な魅力の万華鏡

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 私は先に、万華鏡をクルクル回すように数多い観光素材群が次から次へと千変万化する魅力模様が香港の不思議な観光誘致力を生み出していると言った。
それら観光素材群の大部分は幸いに中国返還後といえども大きな影響を受けないで存続し続けると思われる。
不思議な魅力を生み出す万華鏡は安泰ということになるのだが、しかし、少々の模様替えはどうしても避けられない。

 例えば、ビクトリア・ハーバー、ビクトリア・ピークなどの「ビクトリア」という名前は他の名称に変えられ、またネーザンロードなどのように、昔の総督の名前をとった道路名は勿論、植民地時代に名づけられた英国主導の名称はすべて他の名前に変えられるだろう。 その際、例えば「解放」とか「人民」とか、あるいは南京、上海というような中国の大きな都市の名前を使い、香港の主権は今や中国に移っているということを大いに強調することだろう。ということは、返還と同時に、耳慣れない名前が一度に香港に出現することになる。

 また、シャテインとハッピーバレーの競馬場は有名だが、返還後も競馬そのものは残るかもしれない。しかし、現在競馬を経営しているロイヤル・ジョッキークラブは名前が変わる。「ロイヤル」は英国植民地の名残だからである。同じ理由で、新界のファンリンにあるロイヤル香港ゴルフクラブも改名することになろう。

 日本海軍が特攻魚雷艇「震洋」を格納していたラマ島の洞窟は、現在「神風洞」という立て札まで立てられて保存されているが、そんな立て札は当然引き抜かれ洞窟はなんかの資材置場になるかも。
大陸から逃れた中国国民党の敗残兵たちとその家族が新界の調景嶺に住んでいたが返還前には何処かに移住するはず。かくして新界の片隅に執拗に掲げられていた青天白日旗は消える。

 ビクトリア公園の「ビクトリア」という名前は他の名前に変えられると同時に、はるばるロンドンから運ばれて入り口に据えられているビクトリア女王の銅像は撤去されるだろう。(返還前に英国が自らの手で撤去するらしい)。・・などなど。

 さて次に、このような、いわば群小の観光素材群をどう売っていくか、さらには、どのようにして香港の観光魅力の多様性を市場に徹底させていくか、という問題が残る。
端的に、これらの観光素材群を総称して、『あらゆる市場ニーズを満足させる多彩な魅力』といってみても、あるいは又、それらの尽きない魅力にあふれる香港を『トキメキがとまらないワンダーランド』といってみても、観光客はそれらのキャッチフレーズを通して香港の魅力像をイメージできないのが難しいところである。

 旅行業者にしても、観光目的地を売り出す場合、数ある魅力群の中から最も誘致度の高い、売れる観光素材を具体的に2、3選びだし、それらを目玉にして市場にアピールするのが常道で、魅力の「多様性」そのものを商品化するのは難しいのである。声高に「なんでもある!」といっても、下手をすると「何もない」のと同じ結果になってしまう。つまり、市場の注目を引き付けるべき焦点を欠く可能性があるのである。
今後香港が『多彩な魅力』を売っていくには、それなりのマーケティング戦略が必要となろう。


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