「占いのメッカ香港」?

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 1964年に海外旅行が自由化になるや否や、日本から距離的に近く、安く行ける香港が団体旅行の人気観光地として真っ先にデビューした。それから20数年にわたり、ショッピングと中国料理は香港観光の目玉として観光客を引き付け続けてきたのである。

 その、いわば使い古されたショッピングと中国料理の2本の柱(時に夜景も加えて3本の柱)以外に、何かもう1つ強力な観光誘致力をもつものはないかと私は真剣に探し回っていたことがある。
 話はかなり前にさかのぼる。1987、8年頃のことである。

 自然的観光資源ではない、客観的な環境の異変、つまり為替の変動とかインフレとかいうような経済事情の変化や何かのハプニングで影響を受けやすいショッピングや中国料理、いわば「土産物」とか「名物」のようなものが、何時までも香港の強力な観光誘致力であり続ける保証はなかった。

 その2つが売れ続けている間はいいが、将来何らかの理由で魅力に陰りがでてきたら、香港観光は一体何を目玉にして売っていったらいいのだろう、という不安が何時もつきまとっていたのである。万一の保証のために、出来るだけ早く、少なくとももう1つ、他にはない香港専有の、環境の変化にも強い新しい誘致材を見つけ、その2つが観光誘致力として機能している間に、予備の柱として少しずつでも力を蓄えさせ太らせておきたかったのである。

 その頃一生懸命に売っていた、一味違ったランタオ島観光を始めとする離島めぐりやディナー・クルーズ、それにウインドサーフィンやゴルフ場めぐりなどのスポーツも目先を変える持ち札にはなりえても、その力は到底2本の柱の足元にも及ぶものではなかった。いうまでもなく、万一の場合にとって代われるようなものではなかったのである。

 その新しい売り物の開発には余り金をかけるわけにはいかなかった。ショッピング、中国料理で十分やっている時、将来のためにもう1つ大きな売り物が必要だといってみたところで、短期決戦型の香港の投資家の気を引くことは難しかったし、香港の旅行業界にしても、日銭を稼ぐことには熱心だが、長期的展望にもとづく、さしあたりその必要性があるとも思えないような「売り物作り」には興味を示してくれそうになかった。

 という訳で、その新しい売り物の開発は、香港観光協会が独自で、頭と手と足だけを使って創りだし、軌道に乗せられるものでなければならなかったのである。その売り物は又、開発する以上は香港という土地柄にも馴染むものでなければならなかったし、さらに、その期待される必要誘致力を考えると、老若男女すべての市場を対象にでき、しかも将来にわたりニーズは落ち込むこともなく、理想的には半永久的に魅力であり続け、その上、幅広い企画による商品化が可能で、おまけに、中国への返還のも余り影響されず、また、もちろん、経済情勢の変動などにも強いものでなければならなかった。

 しかし、正直のところ、そんなものが今時香港に埋もれているとは思えなかったのは事実である。
あれこれ思いめぐらしていたら、ふと「占い」が頭にひらめいた。多分、香港の風水師の話をどこかで耳にした時だと思う。「これだ!」と思わず手を叩く。これなら必要条件をどうにかカバーできるし、効果的なマーケティング戦略により、日ならずして香港を「占いのメッカ」として売り込み、定着させることはそれほど難しいことではないように思えた。私の回りには直ちに使える「占いのメッカ」を裏書きするようなPR材料も豊富だったし、すぐにも開始できる対マスコミ活動も次から次へと頭に浮かんできた。




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