南極観光3つのコース

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 第3のコースは、逆にニュージーランドかオーストラリアの港から乗り込み、南極大陸に向かって南下。第2番目のコースと同じロス棚氷、ロス島、ビクトリアランドの大規模氷河、さらにはオーストラリアと南極の中間にある(南極50度付近)マックオーリー島に立ち寄る。ここには、オーストラリアの自然と宇宙を研究する科学観察基地がある。

 また、マックオーリー島は、アホウドリの生息地として有名なほかベンギンが大部隊をなして住んでおり、その迫力は満点。しかも、当地は夏でも夜は暗くなるので、運が運がよければ天空に広がるオーロラーを見ることができる。

 これらの3つの一般コースに加え、私が体験した番外編をひとつ。
これは先ほど出てきた同じアルゼンチンのウシワイアを出港して東に進み、大西洋上の南緯50度にあるフォークランド諸島に立ちよるものであった。

 1982年のアルゼンチンと英国が領土問題でミサイルを撃ち合ったところとしても有名なところだが、長年、英国人が住み着いたところだけあってフラットな島はよく手入れが行き届き、夏は緑一色の草原に羊や牛の群が草をはみ、岩場では岩トビペンギンが子育てをしているのどかで平和な島である。これが南極に近い島なのかと一瞬疑いたくなるほど、黄色い花が島一面に咲き乱れ島の印象は鮮烈であった。

 更に、東に進むとサウス・ジョージア島に着く。1775年にキャプテンクックが初上陸した後、欧州各国の探検が行われ、18ー19世紀のはじめにはヨーロッパ列強国の重要地点となった。

 北極海で鯨やアザラシを取り尽くし、新しい獲物を探し求めて南下してきたことものだが、これらの動物から油を搾るために建てられた工場跡が2カ所、そのまま残されており見学することが出来る。

 資料として残されている当時の写真を見ると、工場前にはキャッチャーボートが10艘も並べられ、競って海に乗りだしていったであろうことがよく分かる。続いてやってきた米国勢も南極半島付近を舞台に鯨、アザアシ、ペンギンをとりまくり、油は本国へ毛皮は中国などへ売りつけていたと聞いた。

 近年、世界捕鯨会議や自然保護の看板を掲げ、鯨の肉を食するのは野蛮人だと日本人を批判する欧米人が決して少なくないが、こういった事実を突きつけられると、実に複雑な思いにかられる。他人を批判する前に、自分たちの祖先が何をやってきたのか一度サウスジョージア島に来て、じっくり見て欲しいといったら言い過ぎであろうか。

 南極観光余話である

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