ヨーロッパ巡礼の旅
サンチャゴへの道
現代の欧州では、南仏プロヴァンスの旅とか、ドイツのロマンティック街道の旅のような企画が旅行社によって次々と企画され、ツアーに申し込めば飛行機とバスで目的地に案内してくれます。
しかし中世では旅は決して安全なものではなく、一般の人々の旅は信仰と結びついた巡礼の旅に限られていたのではないでしょうか。
聖ヤコブの遺体がコンポステラで再発見されたのは9世紀の終わりから10世紀の初めににかけての時期と推測されています。
この地への巡礼が盛んになるのは”聖ヤコブの書”または”コデックス・カリクティヌス”が世に出る1139年頃で、丁度聖ベルナールが1146年にヴェズレーで十字軍を説き、聖地回復をキリスト教徒に勧告した時期に当たります。同時にスタートした聖地回復とイベリア半島でのレコンキスタはイベリアでは1492年のグラナダの陥落でその目的を達成します。
サンチャゴへの巡礼路はフランスから四つあります。
南から順に出発点はアルル。この道はモアサック、トウールーズを経て、ル・ソンボール峠を越えて、スペインに入り、プエンテ・ラ・レイナでやっと他の三つの道と合流します。次がル・ピュイ。そしてヴェズレイとトウル。この三つの道はフランス国内でロンスボー峠の登り口で合流します。
ロンスボー峠を越えた道は、サン・フェルミンの祭で有名なパンプローナを通って、プエンテ・ラ・レイナでアルルからの道とも合流し、ブルゴス、レオンを経てサンチャゴへと向かいます。
こんな旅をしませんか
93年の聖なる年にサンチャゴにお詣りしての帰りの車中で、ドイツからの巡礼の一行に出会いました。この一行はアーヘンから2400キロの道のりを7年間かけて歩き、その年やっと目的のサンチャゴ詣でを果たしての帰り道でした。
我々も97、98、99年と三年をかけてサンチャゴへお詣りしようではありませんか。出発地点はパリ。四つの道の中で最もポピュラーなトウルの道を選びました。パリを出てオルレアンへ、ロアール川に沿ってお城見物をしながらトウルへ着きます。
ここからポアチエへ。この辺りで732年、いわゆるトウル・ポアチエの戦いがありました。8世紀の前半にはフランスですら半分ほどがイスラム教徒に占領されていました。それからグラナダが陥落する1492年まで、対イスラムの聖戦の象徴的な存在がサンチャゴ(聖ヤコブ)でした。
余談になりますが、この聖戦では敵に向かってときの声を挙げる時に、サンチャゴと叫んで敵陣に突撃したそうです。我が国でも天草四郎の一揆では、キリシタンはサンチャゴとときの声を挙げたそうです。
ポアチエからボルドーへ向かいますが、一山越えてヴェズレーからの道にあるリモージュとペリグーへ寄り道も可能です。
ボルドーの街はワインは勿論ですが、ローランの角笛で有名なロンスボーの戦いのゆかりの地が付近に散在しています。ここから南下すると、スペインとの国境近くにフランスのバスクの街、バイヨンヌがあります。ここまでが最初の年の行程と考えています。
次回はこの道筋についてもう少し詳しくお話したいと思っています。