ヨーロッパ巡礼の旅

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作家たちに舞台を提供したパリのカフェ


前回では島崎藤村のゆかりの地について書きましたが、作家といえばサンチャゴへの道を急ぐ前に、永井荷風や遠藤周作などが愛したパリのカフェについても、ひと言触れてきたいと思います。

この巡礼の旅は、世界で最も魅力的な街をスタート地点に選んだために、街を抜け出すのに時間がかかります。

先ずセーヌの両岸に拡がるカフェに目を奪われます。
右岸で先ず目を引くのは、オペラ座に近いカフェ・ド・ラ・ペです。オスカー・ワイルドは「神秘を失ったスフィンクスの物語」の中で、「ある日、わたしは〈カフェ・ド・ラ・ペ〉に出掛けて、パリ生活の光輝とみじめさを観察し、驚きに打たれていた!」と書いています。

あのピカソが足げく通ったサン=ジェルマン・ド・プレ教会近くの
カフェ「ル・フロール」の昼下がりの賑わい
写真:櫻井朝雄「パリの背なか」(創知社)より



島崎藤村の「エトランゼ」第59節には、パリで客死したこの詩人のお墓をベエル・ラセエズの墓地に訪れるくだりがあります。
そしてセーヌを渡れば、カルティエ・ラタンに入ります。森有正の「カルティエ・ラタンの周辺にて」には、次のような描写があります。

「・・・・カルティエ・ラタンの一端は、永井荷風が、その『フランス物語』の「おもかげ」の中で、巧みに描写しているが、半世紀を経た今日、この巨匠の筆は、かんどころを実によくつかんでいる点で、そのまま通用するといってよい。荷風の描写がどんなに的確であるか、またそこに描かれているフランスの社会が、その根底において、どんなに堅固で安定しているかを、それは語っている。しかしもとよりそれは一面に過ぎない。」

荷風はそのカフェの名を記していません。

「自分は此の書生町に入り込んだ其の日の夜。一人傾ける晩餐の葡萄酒に陶然として其の邊を散歩した帰り道、中では音楽のたけなはとも見える唯あるカッフェエに這入って見た。」

菊盛英夫氏は「文学カフェ」の中で、「カルチェ・ラタンで最も有名な文学カフェは、現存する「デパール」(旅立ち)であろう。ブールバール・サン・ミシェルのセーヌ寄りの東角にあって、もとは「ソレーユ・ドール」(黄金の太陽)と呼ばれていた。」と述べ、19世紀末から20世紀初めにかけてアポリネールを初めとする多くの作家が夜の集まりを持ったと書いています。

リップについては、アーネスト・ヘミングウエーが『移動祝祭日』の「飢えは良い修業だった」の中で、その思い出を懐かしく語っています。この店はアルザスのビールを飲ませるブラセリイで、今ではレストランになったモンパルナスの外れにあるクロズリ・デ・リラもその当時はやはりブラスリイであったようで、ヘミングウエーの好みが窺えます。

このサン・ジェルマン界わいについても、時代と共に栄枯盛衰があったようで、藤村は「エトランゼエ」の中で、「・・・・あのモオパッサンの作物などに書いてあるサン・ゼルマンの古い通りは私が好きでよく足の向く道だ。そこはもう割合にさびれた町で、モオパッサン時代の繁華はグラン・ブウルヴァルの方に移ったといふが、私達はそのさびれた町を味はうとして歩いた。・・」と述べています。

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