Part 2: サン・マロ

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シャトーから見たサン・マロの城壁と旧市街




サン・マロの内港と停泊する客船

レンヌから1時間ほどで列車はサン・マロ駅に着いた。駅から旧市街の城壁の入口までは約1KM。
約15KGほどのリュックをかついで旧市街の城壁まで歩く。内港の大きな岸壁には、イギリスからの大きな客船が横付けされている。

城門の前の大きな駐車場の横に観光案内所がある。明朝のモン・サン・ミッシェル行きのバスは11時に一本あるとのこと。案内所では切符は取り扱っておらず、すぐ横の旅行会社がでバスの切符を買う。

城門をくぐって、旧市街へ。旧市街の建物は、屋根裏部屋を入れて5~6階建て。
1階の高さはかなり高く、道も狭いので、城門の中に入ってしまうとなかなか見通しが利かない。

城壁の内側の旧市街(上)と旧市街の中にあるサン・ヴァンセント教会(下)

何はともあれ,まずは宿探し。通りの奥の手頃そうなホテルに飛び込みで部屋を取る。ホテルは家族経営のこぢんまりした宿で1階はBARになっている。カウンターの他には,古いビリヤード台が1つに、テーブルが4つほど。

部屋からの電話がうまく繋がらないのでホテルの人に見て貰うが、やっぱり不調。仕方がないので1階の電話を借りてリコンファームを済ませる。やれやれこれで一安心。1階のBARで軽くビールを引っかけてから、小雨の煙る旧市街の観光へ。

城壁の上に登る。雨は時折り止むが、総じて霧雨に煙っているような状態。城壁の基本的な形は12世紀に既にできあがっていたという古いもの。旧市街を完璧に一周しており、長さは2km強ほどある。

高さは低いところで5m、外海に直接に面した所では10m以上。幅は3~12mくらいで5m程の所が多く、格好の散歩道になっている。所々に設けてある小高い突き出した砲台からは、特に外の海の眺めがよい。

城壁を降りて、今度は旧市街の散策。本屋を見つけて入ったところ、サン・マロの第2次大戦時の戦災の資料が眼にとまる。昨夏以来、ノルマンディー上陸作戦50周年や戦後50周年の記念行事が目白押しだったこともあり、ノルマンディーの各地でこの種の資料をよく見かける。

サン・マロの町はドイツ軍との戦闘と爆撃で町の大部分が破壊されたが、特に北側の破壊がひどく、ほとんど瓦礫の山である。町の南側は建物の外壁だけは残ったものの、裏側は瓦礫の山。まるで映画の書き割りセットのようである。

現在の町並みは戦前の姿を忠実に復元したものだが、残った部分の煉瓦に番号を振って解体して丁寧に復元した様子が写真に残っている。戦災からほぼ現在の町の姿に復興したのは、戦後25年もたった1970年頃という。

さて、明日は待望のモン・サン・ミッシェルである。


【ミニ・メモ】 サン・マロ (St.Malo)


サン・マロはレンヌと同様、ノルマンディーではなくブリターニュ地方にあたる。
レンヌがブリターニュの陸路の玄関口なら、サン・マロはいわば海の玄関口。牡蠣とミュスカデ(ブリターニュ産の白ワイン)とクレープが名物である。モン・サン・ミッシェルとセットになった観光地の感が強いが、日本人の数はまだ少ない。

テリア犬の頭部を横から見た形、もしくは手斧の先端部のように海に突き出した旧市街は、周りを完璧な城壁で囲まれており、城壁の中には綺麗に高さの揃った古い石造りの家並みがひしめいている。その保存ぶりはみごとで「化石都市」と呼ばれる由縁である。

こうした景観から、完全に中世を保存した町と思われがちであるが、実は第二次大戦時にドイツ軍の空爆で完全に破壊つくされているのである。現在の町は、本当にそんな破壊があったとは信じられないくらい、古い町並みを忠実に再現している。

レンヌからは、ほぼ1時間に1本くらいの列車が走っているので交通の便も良く、イギリスからのフェリーの定期航路もある。夏場には近くの島や対岸のリゾートを巡る観光船も何コースか運行している。
モン・サン・ミッシェルへは1日1~2本バスが直行しており、パリからのモン・サン・ミッシェル観光の宿泊地として是非お勧めしたい町である。


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