Part 5: オマハ海岸

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丘の上の破壊された教会(左)とドイツ軍のトーチカの跡(右)



BAYUEX駅前から12:10のバスでオマハビーチに向かう。バスはバイユーの市内を巡回したあと、コルヴイル、サン・ローレンを経て20分程でヴィエヴィルに着いた。

客は私を入れてたったの2名、途中2名ほど乗ってきたが、目的地に着くまでに皆降りてしまった。さすがに冬場の乗客は少ない。もっとも、バスの便が極端に少なく、帰りのバスは明日の朝まで無いのだから無理もない。

この時期のヴィエヴィルの村は人通りもなく寂しい村である。時折車が通っていくが、往来は少ない。海岸へ降りて行くに従って、ホテルやレストランなどがポツンポツンと見え始めた。しかし、冬場のことでどこも開いていない。

海岸に沿って道路がまっすぐに走っている。道路の後ろにはわずかな平地と小高い丘(海岸段丘)が連なり、道路と丘の間に夏場のペンションや別荘がまばらに建っている。丘にはかつて、ドイツ軍の要塞が連なり、至る所に砲台やトーチカが据えられていたのだろうが、今は薮の茂る変哲のない丘に過ぎず、丘の後方へ小高い農地・牧草地が広がっている。

上陸作戦の時は干潮で、兵士達は岸から200mも離れた水際で上陸用艦艇を降りたという。浜辺には、鉄条網の柵と敷設された地雷があり、銃弾を遮るものは何もない。連合軍兵士達を迎えたのは、高さ20mほどの丘の上からのすさまじい砲撃と機銃掃射で、第一陣部隊の70%が死ぬか重傷を負った。
要塞を守るドイツ軍の兵士にとっても、海を埋め尽くす連合軍の艦船と、撃てども撃てども沸いてくる敵兵士の群は、戦慄を越えて絶望と恐怖を感じさせたという。

米陸軍第1師団上陸記念碑

もっと西のユタ海岸では、比較的早く雌雄が決したが、ここオマハでは明け方から午後遅くまで凄惨な戦いが展開された。
工兵隊の決死の爆破作業によって防御線を突破した米軍第24師団と第1師団の兵士達がついに激戦の攻防を制し、ようやく「一番長い日」は終わる。

ヴィエルヴィルから海岸を2kmほど歩くと、サン・ローレンの村。やっと見つけたカフェで昼食を取り、さらに3.5kmほど歩いて米軍の共同墓地に着く。ここにはノルマンディーで戦闘に倒れた9385名の米軍兵士(上陸作戦だけでなく、その後のサン・ローの戦いやカンの攻防などの死者も含む)が眠っている。

果てしなく続く墓標の十字架

共同墓地は激戦の海岸を見おろす段丘の上にあり、墓地を取りまく壁はない。緑の芝生に整然と並ぶ白い墓標が印象的である。高さ90cm、幅50cmくらいの十字架がほとんどだが、中にはユダヤ教徒の墓標もある。墓標には一人一人の名前、生年月日、没年月日、出身地が刻まれている。

米軍兵士だけで1万名に近い死者を出す戦争の悲惨さ、すさまじさが重く胸に迫ってくる。ノルマンディーにはイギリス軍やカナダ軍の共同墓地の他に、2万名以上のドイツ軍兵士の墓地があるそうである。

墓地から2kmほど歩くとコルヴィルの村、開いているカフェを見つけてひと休み。ここからバイユーまで20km、バイユーまでのタクシー料金は約160フランだった。


【ミニ・メモ】  Omaha Beach (オマハ・ビーチ)


1940年5月ドイツ軍機甲部隊による電撃的な攻撃でダンケルクへ追いつめられた英仏軍はイギリスへ向けて劇的な撤退をする。それから4年間、フランスはドイツの完全な占領下に置かれる。
1944年6月6日(D-DAY)、アイゼンハワーを司令長官とする米英仏加の連合軍は、ノルマンディー海岸へ上陸作戦を敢行する。作戦が展開された海岸はオマハ、ゴールド、ソード、ジュノーなどの暗号名で呼ばれたが、オマハはその中でも最激戦地で、戦後も暗号名がそのまま地名(呼称)として残った。

この日1日だけで、連合軍の消耗人員(死者・負傷者・行方不明・捕虜の人員で負傷者や行方不明にはその後の死亡・発見も含む)は1万~1万2千名、最も被害の多かった米軍の死者は1456名、行方不明は1928名、負傷者3184名。上陸作戦はコーネリアス・ライアン著の The Longest Day(邦題:史上最大の作戦)で有名で、映画化もされている。映画でロバート・ミッチャム扮するノーマン・コータ准将が活躍する舞台である。

この地域の海岸にはドイツ軍のロンメル元帥の命令で海岸を見おろす丘づたいに堅固な要塞が築かれており、上陸用艦艇から降り立つ米兵に猛烈な砲撃を加えられた。現在は静かな浜辺に道路が整備されて別荘やホテルも並び、夏場は海浜リゾートとして賑わうという。


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