Part 8: ガイヤール城趾

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ガイヤール城趾全景とセーヌ河



ルーアンから電車で30分強、10:50にガイヨンの駅に着いた。日祝日には1日に上下数本の列車しか停まらないこの駅は、5~6名ほどの観光客を除いて閑散としている。駅前にバスの時刻表の掲示もなければTAXIも停まっていない。ガイドブックにはバスがあると書いてあるし、途中の道筋にもバス停はあったから、夏場はバスの便があるのかも知れない。
ここからガイヤール城へは約12km。同じ電車を降りた客がTAXIを呼ぼうと電話しているようだが、元日のせいか、繋がりそうな気配もない。仕方がないのでゆっくりと風景を楽しみながら歩いて行くことにする。

レザンドリーに向かうは2つのルートがある。一つは D65 – D176 とセーヌ川沿いの道を行くコース。もう一つは、セーヌを渡り N316 – N313 とレザンドリーまでまっすぐにショートカットするコースである。
セーヌ沿いに歩く方が景色は良さそうだが、徒歩で行くので距離の短いコースを選ぶ。

歩き始めてから、2時間強でやっとレザンドリーの町に入った。元日早々、ちょっとした距離のハイキングになった。町の入口は、右手に丘が迫り、左手にはセーヌがゆったりと流れている。丘を見上げると、ガイヤール城趾の白い城壁がすぐそこに見えている。

城趾に登る前に近くのカフェで喉を癒す。こんなローカルな場所で元日にカフェが開いているのは珍しいが、ここは公認の馬券売場を兼ねており、内部は新聞を広げ競馬中継を見ながら買うべき馬券を試案中の人でごった返していた。本日の営業は14時までということだから、元日の特別レースはそれまでに終わるのだろう。

  

セーヌ河岸から望むガイヤール城趾(左)、わずかに残る壁と井戸(中央)と外壁と天守の残跡(右)


城への道を示す標識に沿って登り始める。城の土台は道路から高さ30mほどの小高い丘であるが、結構勾配がきつい。樹々の間の道を登っていくと、やがて道の右手に水無し川のような浅い谷が現れる。

落城後、一方の谷が埋められたというから、雄姿を誇っていた往時はこの道もなく、深い谷が刻まれていたのだろう。埋められた谷に降る雨が流れとなって現在の浅い谷を刻み、その堤を利用して現在の観光用の小道ができたものと思われる。

やがて、城壁跡が現れる。小道から水のない小谷を超えて、残り10mほど斜面につけられた道を一気に登る。登り切った所には城の外壁の残骸と丸い井戸跡があり、少し離れて天守があったと見られる中心部が残っている。

川に面した断崖側には、外壁がかなり明白な形で残り、そこからセーヌの蛇行を望むことが出来る。かつては、中心部の城と内壁を丸く囲むように外壁がめぐらされ、城には高い尖塔や弓を射る狭間などがあったと思われる。

セーヌ河と中州のオートキャンプ場


城の真下には20mほどの短い鉄とコンクリートの吊り橋が掛かる。
半島状に突き出した中州がオートキャンプ場で、芝生の緑が鮮やか。

中心部の内壁の周りにはさらに半円形に堀が巡らされ、城の正門にはハネ橋が架かっていたものと思われる。現在は正門まで木の橋が架かっている。
城の内部は残念ながら冬季は閉鎖され、春~秋の間しか観光客を入れていなかった。折角ここまで来たのに残念である。

書き留めてきた案内では、3/15~11/15の9時~12時と、14時~18時しか開いていない(火曜休み、水曜は14時~18時のみ)。
城の中心部はそんなに広くもないし、内壁や城の上に登れるような代物ではないので、歴史的な由来を示した展示がある程度だと思う。

ガイヤール城はセーヌを見おろす丘に所々白い城壁の跡が残るだけの廃墟に過ぎないと言えばその通りである。しかし、ここからのセーヌの眺めはさすがに流域随一と言われるだけあって素晴らしい。車で立ち寄ってセーヌの眺めを見ながら、しばしの間、遠い昔の英仏両国の争いに思いを馳せてみるのもいいかも知れない。

セーヌ河とレザンドリーの町


橋の右手には、レザンドリーの町。町の家屋は多くが2階建てで、白からベージュ色の壁と、
赤煉瓦の瓦や黒いスレートの屋根が教会の周りに密集している。

しばらく景色を堪能してから、城趾の方に向かって斜面を一気に下り降りる。のぼりに10分近くもかかったのが、ものの2分と掛からない。

レザンドリーからガイヨンの駅までは、結局は往路と同じく歩きとなった。新年早々、約25kmを歩き通したわけだが、幸いマメや靴ズレは免れた。
駅でさらに1時間ほど列車を待ち、ルーアンへ戻る。


【ミニ・メモ】  Chateau Gaillard (ガイヤール城趾)


ガイヤール城は、イングランド王リチャード一世(獅子心王)が、1196年にノルマンディー公国の都ルーアンの出城として、レザンドリーのセーヌ河を見下ろす丘に築いたものである。

リチャード一世は十字軍でも名を馳せた勇猛果敢の誉れ高い王で、当時はイングランド王がノルマンディー公を兼ねており、フランス王フィリップ二世との対立を深めていた。
ガイヤール城はパリに対する備えとしてわずか1年で建てられたとはいうものの、川と二方を囲む谷に守られたなかなかの堅城で、リチャード一世は、城の完成をすこぶる喜んだという。

フランス王フィリップ二世はフランス王権の基盤を揺るぎないものにした名君であるが、さすがに騎士中の騎士である勇猛な英王の城には攻撃をかけられなかった。
ところが、生涯を戦いに明け暮れたリチャード一世は1197 年に戦死してしまう。跡を継いだ英国王がマグナカルタで有名なジョン王である。

ノルマンディー攻略の機会を坦々と狙っていたフィリップ二世は、 1203年にこの城を攻め落とす。難攻の城を落とすために、トイレ用の穴から仏兵が潜入したというエピソードが残っている。
かくして築城7年で城は落ち、3ヶ月後にルーアンも陥落してノルマンディーはフランス王国の領地になる。イングランドはノルマンディーを含め、広大なフランスの領土を失い、英王ジョンは「失地王」という不名誉な呼称を持つに至るのである。

英仏両国のその後の争いで、ノルマンディーはその帰趨を二転三転させるが、ガイヤール城は1203年の陥落以来ずっと廃墟のままで、リチャード一世が愛した美しい姿は残った城壁や塔の跡から想像するしかない。しかしながら、城跡から眺めるセーヌの流れは流域一の美景を誇っている。


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