日本人のイタリア観は十中八九でたらめ

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滝谷節雄 イラストレーター
元日本旅行作家協会常任理事

故・滝谷 節雄さん

イラストレーターにしてエッセイスト、ゴルフ評論に強く、鯨に関しては日本でも有数の研究家のひとりとして、それぞれに健筆を振う。ペンと絵筆を持つ「行動」の人だ。還暦を迎えてなおかつ瑞々しい好奇心がインターネットに向けられ、「旅コム」のために何枚かのカット画を描いていただくことになった。

 「紅麗路会」。
 クレージー会と呼ぶ。滝谷さんがホスト役を続けるゴルフの会だが、スタートして25年というから中途半端ではない。個人が主催して続けるゴルフ・コンペでは、最も永いもののひとつであろう。参加者は異種歳々。ホスト役である滝谷さんのネットワークの広さが売りだ。

 「35年間、身過ぎ世過ぎでマンガを書き続けていれば、いろんな出会いがあります」と本人はあくまで謙虚だが、ゴルフにかける情熱は中途半端ではない。
 「ゴルフ・マガジン」にイラストとエッセイで全国ゴルフ場めぐりを続けて5年。月1から最近は2回に増えて、連載をこなすだけでも取材から執筆まで、毎月3分の1はゴルフとのつき合いとなった。

 その2は、鯨とのつき合い。
 目下、日刊「水産経済新聞」に週3回、これも毎回イラスト入りで「捕鯨民俗史」を連載中で、既に107回を数える。250回にわたる長編が終わったら、水産大学での講座開講が待っているというから、鯨とのつき合いは、寧ろこれからが本番だ。
 日本人の食生活の原点でもある鯨の商業捕鯨が禁止されて、クジラ料理は庶民の口に殆ど入らなくなった。そのためもあって、横山隆一さんなどマンガ家6人が発起人となって商業捕鯨禁止の不当さを訴える「くじら料理」の会を仕掛けたら、500人予定のところ700人もの鯨肉ファンが押しかけることになった。

 「ミンククジラに限っていえば、一定の量を捕鯨するのは全く問題ない量になっているどころか、むしろ、ある程度の捕獲を認めて行かないと海の生態系のバランスさえ崩すことになるんです」
 生活のため南氷洋への捕鯨船に乗ってイラスト入りのルポルタージュを書いたのが鯨との付き合いはじめというから、そもそも学問としての鯨研究ではない。

 国際漫画賞のグランプリ賞をはじめサイン・デザイン協会賞、新興美術院賞などマンガ家でありイラストレーターとしての数々の受賞に輝くが、「生活のためなら何でもと夢中になって生きてきたら、ゴルフがあり鯨の世界があったというだけです」と、気負わず飾らずどこまでも滝谷式自然流である。

 学生時代に書いたマンガがイタリア人の目にとまり就職難の日本を去って1年間ローマに留学したのが、イラストレーターとしてのデビューに繋がり、その後頻繁にイタリアやヨーロッパの各地を旅することになった。
 「日本の貯蓄率の高さは有名だが、ナンバーワンはイタリア、2位が日本で、3位がドイツ。奇しくも旧枢軸国がベスト3です」「?」

 「長寿世界一は日本だが、2位はイタリア。すぐ口論がはじまるが暴力沙汰は少なく、犯罪は多いが殺人は少ない。確かに窃盗は多いが、イスラムの影響で富めるものが貧しい者に施しをするのは当然と思っているので、こちらが思うほど罪の意識はない」

 「世界で最もお国自慢のないのがイタリア。出身はどこかと聞くと、ディ・ミラノ(ミラノ出身)、ディ・ローマと言ってまずイタリアとは答えない。その癖、イタリア語に妙なコンプレックスを持っているから、外国人に対しては無理してでも英語を喋ろうとする。愛すべき国民です」
 ETC、ETC。

 イタリアのこととなると、平均的日本人には驚きに満ちた、しかし愛すべき「未知のイタリア」が機関銃のように飛び出してくる。日本旅行作家協会のイタリア部会の世話人をつとめるイタリア通だ。
 「ひとりの男に賞賛をおくるブラボーという言葉が、女性にもまた複数の相手にも皆ブラボーで通している。女性ひとりはブラバー、複数はブラーリ。日本人のイタリア観はこんな風に十中八九、デタラメです」
 ウィットにとんだイタリアの小話やコトワザを語りだしたら、千万語を費やしても終わらないという。「旅コム」に滝谷さんの「イタリア・フォーラム」が誕生する日を楽しみにしたい。

 「インターネットはもっともっと簡単になって家庭の中に入らないとダメ。レジャーの一部として楽しまれるようにならないとなかなか定着しないでしょうね。しかし、今の勢いからみるとそれも一年半位で一家に1台の時代にあっと言う間になってしまうでしょうね」

 画家として個展を開くことになった二番目のお嬢さんが気になる、よき父親でもある。1933年生まれの63歳だが、軽快な身の裁きはまだ50歳半ばだ。

(構成:高梨 洋一郎)


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