動物達の生態系を乱す「嘘のある一枚」に憤り

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田中光常動物を撮り続けて40年
田中光常さん

親に内緒で飼い続けていた捨て犬が学校から帰ってみたら消えていた。
夢中で探し回っていたら、線路づたいにびっこを引きながら、駆け寄ってくるポチの姿があった。見れば電車にでも轢かれたのだろうか、片足がない。きっと学校への道を追って事故にあったに違いない。光常少年の目から止めどなく涙が流れた。

「考えてみれば後年、写真を手がけ、それもやがて動物写真にのめり込むようになったのも結局その体験が最も大きな理由になったのかも知れない」ファインダーから動物達の一瞬の姿を撮り続けて40年、日本を代表する動物写真家となった田中光常さんの原風景である。

「現在はカメラというハードも何処にどんな動物がいるかという情報も、格段に便利に容易になった。しかし、当時は一眼レフもなく巨大な望遠レンズを抱かえての取材で、折角のシャッター・チャンスを見付けても、決定的な1枚を撮るためには、考えられないような苦労の連続でした。新聞のスクラップ記事の情報を頼りに白地図にプロットして生息地を探し出し、ようやくものにした写真を発表すると、それが新たな情報となって人がどっと押し掛け、動物達の平和を破ってしまう」時にはそういった矛盾との戦いでもあったと来し方を振りかえる。

そんな地を這うような努力を重ねて撮り歩いた写真が、雑誌を飾り子供達の動物図鑑として学校や家庭に入り込んでいった。今では絶滅してしまったコウノトリや朱鷺、カワウソなども、多くは田中光常さんのコツコツと積みあげてきた生き様の結晶である。だから、見る人の心を打つ。

田中光常

撮影:丹下克己

それに比べ確かに現代は恵まれている。それだけに、ともすると過激な競争が写真のウソを生むことになる。

「X社が毎年開催しているコンテストで今回も野生動物が疾走する迫力満点の写真がグランプリを摂った。確かに写真としては良くできた決定的な一枚なんですが、私は感心しませんでした。問題はヘリコプターで動物達を追い回して撮った一枚だったということにある。いい写真が撮れれば何をやってもいいことではない。200m位までの至近距離からせいぜい3回までが限度です。それをシャッター・チャンスだと思えば動物達のことを考えず、ずかずかと入り込んで追い回す」余りにも尊大で身勝手だという。

「トンボが上から数珠つなぎになってとまっている素晴らしい写真をよく見たら足に接着剤が付けられて飛べなくなっていた。タンポポの胞子にアリがぶら下がって空中遊泳をしている写真が新聞の一面に大きく載っていたので感心していたら、これも細工されたものであることが分かった。地に落ちた話です」奇をてらわず穏やかに丁寧に心の底から、一つひとつ言葉を捜すように語りかけるように話す。長い動物達とのつき合いの中ではぐくまれてきた穏やかな人柄がにじむ。それだけに「嘘のある写真」には激しい憤りをおぼえる。

「ここまで彼らの領域に踏み込んでしまっていいのかな、と常に心に問いかけながらシャッターを切る。動物達の習性を研究し、時には逆側に待機して獲物を追いかける猛獣を待つ。だから、はずれることも無駄になることも多い」40数年の動物写真家としての仕事を続けて、出版社等の依頼で写真を撮ったのは、ほんの数例にすぎなかった。あとはすべて自分のテーマを決めての取材である。

1回50万円もするチャーター料を払って試みたソ連でのヘリコプター取材が全て徒労に終わったり、白イルカを求めたカナダの旅が3週間もの長期にわたったり、たった1枚の写真を撮るために投資した金も時間も中途半端ではない。まさに超職人の世界である。

「いい写真を撮ろうと鳥の巣を動かし枝を折る。そのことによって確かに素晴らしい写真はものにできるが、折角、天敵から守るために作った巣がむき出しになり、雛はカラスの餌食になる。そうでなくとも無理矢理細工をして残した人間のニオイは、結局、動物達の生態系を破壊してしまうことになるんです」

田中光常 水産学を志して北大に学び、お魚博士で有名な岡田弥一郎理学博士に師事したが、太平洋戦争の激化とともに横須賀海軍航海学校に入隊、海軍特攻隊として終戦を迎える。

戦後、故郷に帰り小田原の魚市場勤務時代にキャノンコンテストに応募して、特選2回入選6回を獲得、プロのカメラマンとして独立することになる。ペットなどの写真を撮るうちに動物写真家として本格的な活動を開始することになったのは、1958年のことである。今年で満40年である。

爾来、撮影地は地球上全地域に及び、個展108回、100冊以上の著書をもつ。いま活躍中の若き動物写真家達にとっての大御所的存在である。
今年は、フロリダにマナティを追い、東マレーシアで森の住人オランウータンをファイダーに収めてきた。肺結核で肋骨を7本も切ってしまったというが、73歳とは思えぬフットワークの軽さである。

「インターネット? 私はなかなかできませんが、弟子の一人がホームページにアクセスしていろいろな情報を収集してくれているので助かります。昔のように新聞のスクラップ情報を頼りに動物達を追い求めたのが、嘘のようです」
現在日本の代表的な写真家が日本の自然を集大成しようという大写真集「ネイチャー・オブ・ジャパン」の編纂など、まだまだ動物写真にとりつかれた多忙な日々は続きそうである。多くの肩書きに加え今年から日本旅行作家協会の副会長にも推挙された。

歳など数えていられない!?

(構成:高梨 洋一郎)


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