第一部で紹介したレーゲンスブルクからウィーンへは高速鉄道(ICE)で4時間ほどで到着するが、その途中で下車して2009年の欧州文化都市に選ばれたリンツに立ち寄ってみることにしよう。
◆ オーバーエステライヒの州都リンツ
オーバーエステライヒの州都であるリンツは、ウィーン、グラーツに次ぐオーストリア第三の都市。オーストリア最大の工業都市であると同時に、数多くの文化遺産が残された町でもある。
町の歴史は古く、ローマ人が来る前にはすでにケルト人の集落があったとされている。現在の町の礎ともなったのが砦が築かれたローマ帝国時代のことで、その頃呼ばれていた「レンティア」という名前が、現在のリンツという町の名に由来している。
神聖ローマ帝国時代には、ボヘミア地方などへの交易の拠点として栄えた。また、15世紀に皇帝フリードリヒ3世がリンツ城を居城とした際には、一時的に首都が置かれた。丘の上にある城からは、リンツのパノラマを楽しむこともできる。
リンツは音楽の分野においても有名な町で、モーツァルトやベートーヴェンなどが滞在した。市内にはモーツァルト住まいとしていた建物が残されている。
リンツで音楽を語る上で忘れてはならないのが、アントン・ブルックナー(1824-1896)だろう。
リンツ南部のアンスフェルデンに生まれたヨーゼフ・アントン・ブルックナーはリンツ最大バロック教会、旧大聖堂(アルター・ドーム)で、1855年から1868年までの13年間オルガニストを務めていた。1896年10月11日、ウィーンで72年の生涯を閉じたブルックナーの遺骸は、リンツ郊外の聖フローリアン修道院のパイプオルガンの下に埋葬されている。
1974年にはモダンなコンサートホールとしてブルックナーハウスが建築され、ここで毎年秋に「ブルックナー・フェスティバル」が開催されている。その他、リンツにはオーストリアを代表する作家アーダルベルト・シュティフターも居を構え、晩年の大作である『晩夏』や『ヴィティコ』を執筆している。
リンツの主な史跡や見どころは旧市街に集まっているので、比較的観光がしやすいのが特徴だ。そのほとんどが徒歩圏内にあるので散策にちょうど良い。
旧市街の中央広場には「三位一体記念柱」がある。町のシンボルにもなっているこの塔は、1723年に平和が戻ったことを記念して建てられたものだ。また、この広場にあるリンツ市庁舎のバルコニーは、1938年3月12日にヒトラーがオストマルクのドイツ帝国への併合を宣言した場所でもある。
小高い丘の上にあるリンツ城にあるオーバーエスタライヒ州立博物館や、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなどの作品を集めたレントス美術館なども訪れてみると良いだろう。
アドヴェントの時期にリンツを訪れるのあれば、是非立ち寄りたいのが新大聖堂(マリーエン・ドーム)だ。
枢機卿であったフランツ・ヨーゼフ・ルディジェの命により、1862年から1924年にかけて建てられたこのフレンチ・ゴシック様式の聖堂の高さは、オーストリアで2番目に高い134メートル。当初はオーストリア一の高さになる予定だったが、ウィーンにある聖シュテファン大聖堂の反対され、3メートル低くしたのだという。
この聖堂の地下には、1907年から1909年にかけてミュンヘンの職人セバスチャン・オスターリーデル(Sebastian Osterrieder)が製作した目にも鮮やかなクリッペがある。壁一面に広がるキリスト生誕の場面はまさに圧巻だ。
リンツにはギネスブックにも登録された、ペストリンクベルク登山電車がある。1898年に開通した軌道式のこの登山電車の勾配は、ヨーロッパ最大となる537メートル。山上には巡礼教会や洞窟鉄道などがある。好天気に恵まれば、山頂からボヘミアの森やアルプスが見渡せる。
リンツはRJ、もしくはICEでを利用すればウィーンから約1時間半アクセス可能。ウィーンからのエクスカーションとして訪れることもできる。
(写真右上:シュトラーセ/写真中央:リンツ城からの眺め/写真右下:大きなクリッペのある新大聖堂)
(写真:左から中央広場の三位一体記念柱/市庁舎のバルコニー/新大聖堂の巨大クリッペ)
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