鉄道で巡るドナウ世界遺産の旅



ウィーンを起点に楽しむ世界遺産
〜 メルク修道院 〜


写真:10万冊に及ぶ本を有するメルク修道院 図書室
 

前回紹介したメルク修道院の一部は現在、博物館として一般に公開されている。夏期のみ自由見学が許可されているが、11〜3月は英語、もしくはドイツ語でのガイドツアーでのみ見学が可能となる。 そこで外国語のツアーでもより理解を深めて頂けるよう、修道院の見どころを簡単に紹介しよう。
 


 ◆ 皇帝階段

 庭の南西角にあるアーチ門をくぐって最初に案内されるのが、教会へと続く回廊にある「皇帝階段」だ。
これは皇帝一家が専用階段として使用していたもので、正面の踊り場にある壁にはカール5世のスローガンである“誠実さと勇気を持って”を意味する「Constantia et Fortitudine」という碑文が記されている。
また、その先の踊り場の左壁には「千恵の神」が、右壁には「栄誉の神」が描かれている。
(写真:皇帝一家が専用で使用していた館への階段)
 


 ◆ 皇帝の館

 皇帝階段を上りきった右側に見えるのが「皇帝回廊」だ。
修道院の南面を占めるこの回廊の長さは196メートル。
壁にはバーベンベルグ家とハプスブルク家のオーストリアを統治した歴代の皇帝が、最後のカール1世まで描かれているという。これらの多くは、専属画家であったフランツ・ヨーゼフ・クレーマーによって描かれた。

 正面の壁に掲げられているのが、マルク伯としてメルクを占領し、城塞としたバーベンベルグ家の初代レオポルド1世の肖像画だ。
宮廷と客人の宿泊を目的としていたこの建物の西側には皇帝の間があり、その更に奥には上流階級の客人をもてなした広間がある。そして、反対側となる東側には使用人たちの部屋があった。
(写真:歴代の皇帝の肖像が飾られた回廊)
 


 ◆ 展示室

 皇帝回廊の反対側には、各テーマに基づいた11の展示室が設けられている。
「聞け、そして汝の心の耳を傾けよ」と題された第一室では、信仰、労働、学習、共同生活を基本とした修道院での戒律を書き記した聖ベネディクトに焦点が当てられている。
中央に置かれたテーブルは修道院での共同生活を象徴し、テーブルの中央には中世に写本された修道院の戒律が置かれている。バロック様式の聖ベネディクトの彫像が置かれていて、時代に則したシンボルとともに聖ベネディクトの生涯や伝説が展示されている。

 修道院博物館の中でも、特に重要な物が納められているのが「神と修道僧のための家」と題した第二室だ。
この部屋には美術史においてもきわめて貴重とされる、バーベンベルク家の家宝である携帯用の祭壇が展示され、またウィーン近くで殉教した聖コロマンの「聖体顕示台」と「メルクの十字架」がビデオで紹介されている。

 キリストが磔にされた木片を含んだ「メルクの十字架」の前面には、十字架にかけられてキリストと、その周囲を囲む4人の福音伝道者が彫られていて、裏面には宝石がちりばめられている。この「メルクの十字架」は特別な場合にのみ展示される。

 第三室は教会や町の歴史にスポットが当てられた部屋で、オーストリアの修道院に改革をもたらした15世紀の「メルクの改革」について紹介している。
「命の木」と題した第四室には、1799年にメルク修道院に寄贈された「ローマン十字架」が展示されている。12世紀の終盤のものと観られるこの十字架は、ウィーン最古の教会にあったものと伝えられている。

 第五室は「鏡の間」になっていて、現在も特別礼拝で使用される礼拝調度品が展示され、次の第六室では「真珠の司教冠(ミトラ)」や修道院長の祭服などが展示されている。
(写真:第二展示室)

(写真:左から第四室にあるローマン十字架/第五室の礼拝調度品/第六室のミトラ)


 「理性の名において」と題した第七室では、革製の式服や底が抜ける仕掛けを施した使い回しができるタイプの棺など、18世紀の啓蒙主義と呼ばれる「ヨゼフィニズム」を象徴する品々が展示されている。

 第八室では「全面的な人間」と題し、学校、魂、文化、経済など、あらゆる分野におけるベネディクト派修道僧の使命と活動をビデオで紹介している。また、第九室では修道院の900年の歩みについて紹介されている他、ハンス・エッゲルの祭壇画が展示されている。

 第十室では「丘の上の都市」をテーマに、建築史にスポットが与えられている。
ロマネスク時代に建てられた修道院は、その後ゴシック様式に、そして1700年から1739年のベルトルト・ディートマイア修道院の時代、ヤーコプ・プランタウアーとその後引き継いだヨーゼフ・ムンゲナストらにより、現在のような壮麗なバロック様式の修道院に建て替えられた。
この部屋には、バロック教会の起工式に用いられたハンマーやコテ、南側から見た修道院の模型が展示されている。

 最後となる第十一室では、バロックの総合芸術を生み出した偉大なる二人の父の肖像画や、西側と東側からみた修道院の模型が展示されている。
(写真:第九室にあるハンス・エッゲルの祭壇画)
 

(写真:左から第七室にあるリサイクル用の棺/西側と東側からみた修道院の模型)


 ◆ 大理石の間

 展示室から続く広い部屋が、皇帝の館の一番奥にある「大理石の間」だ。この部屋は、主に宮廷のための祝祭の間として使用されていた。
「大理石の間」と呼ばれているが、実際にザルツブルクの大理石が使用されているのは扉の鏡板と上部の飾りのみで、壁は大理石に見せかけた漆喰で描かれている。

 天井のフレスコ画は、ハプスブルク統治時時代にパウル・トローガーによって描かれたもので、その中心には「知恵」を象徴する獅子車にのったアテナと、「権威」を象徴するヘラクレスが地獄の犬をこん棒で突き殺す場面が描かれている。また、床の中央にある格子の下には、温風ヒーターが収められている。

 この天井画の解釈については諸説あるが、ハプスブルク家、ことにカール5世が好んでヘラクレスに自らの姿を重ねたと言われていることから、フレスコ画にある二人の人物は国家権力の権化するもの、つまり「理性的な節度(アテナ)と必要に応じた権威(ヘラクレス)をもって国を治める君主への敬意として描かれた」との解釈が有力とされている。
(写真:大きな窓から光が差し込む「大理石の間」)
 

◆ バルコニー

 大理石の間を出ると、図書室へと続くバルコニーにでる。
眼下にはメルクの町並みが広がり、すぐ横にはドナウ川が流れている。天候の良い日には、ここから西にゲソイゼ山連、東にリリエンフェルドの山々とジュネーベルク、そして北にはヤウエリングが望める。

 かつては、ここには見事なドナウの水郷地帯が広がっていたが、1978年から1982年にかけて建設された発電所により、その景観は損なわれてしまった。

 ここにはロココ様式を想像させる二つの塔があり、ファサートの上には教会の守護聖人であるペテロとパウロの像が、塔と塔の間には二人の天使に挟まれた復活したキリスト像がある。
(写真:キリストと二人の聖人の像がある修道院教会の塔)
 

◆ 図書室

 さて、この先はベネディクト派の修道院にとって、特に重要な場所とされる図書室へと続いている。
この図書室には1800冊もの写本が収納されている。
その三分の二は15世紀の改革時代の書であるが、最も古いのが9世紀にかかれたベダ・ベネラビリス。同じく9世紀には、訓戒書(ホミラリウム)も書かれた。10〜11世紀の物では、ウエルギリウスの写本が保管されている。

 また、この修道院の全盛期であった1140年から1250年にはヒロエニズムの解説書の他にも、ベネディクト戒律解説書や聖書、そして公式集や法律文献も写本されていたという。

 この修道院には古版本も所蔵されており、16世紀のものが1700点、17世紀のものが4500点、18世紀のものが18000点、これに新しい書籍をたすと合計で約10万冊に及ぶ。
寄せ木細工で造られた本棚には、これらの本が床から天井まで本がびっしりと収納されている。

 1997年には、中世後期の写本に挟まっていた1300年頃の『ニーベルンゲンの叙事詩』写本の片鱗が、クリスティーネ・グラスナー博士によって発見され、図書室の新たな宝に加わった。
また、メルクは神学文献だけではなく、中高ドイツ文学の中心であったことも分かっている。 (写真右上:展示されている写本)
 

(写真:左から図書室に展示されている望遠鏡/天球儀/読書室へと続く鉄製ロココ式格子)


  図書室の天井フレスコ画もパウル・トローガーによって描かれたものだが、統治者である一家が賛美されている「大理石の間」とは対照的に、この部屋では信仰がテーマとなっている。

 信心のアレゴリー(封印された七つの本と、聖書の「黙示録」の羊を手にした女性、そして霊鳩のついた盾を手にする人物群)の周りを、天使と天使の頭部が群を成して取り囲むこのフレスコ画は、賢さ、正義、勇気、節度の基本道徳を象徴している。

 扉の脇にある四体の木像は、「神学」「哲学」「医学」「法学」の四つの学問を表しているという。
また、この部屋には旧図書室から持ち込まれた、1690年頃のもの観られるヴェンツェンツォ・コロネリの二つの天体儀(地球儀と天球儀)が展示されている。

 奥の小部屋には二つの線条細工が施された鉄製ロココ式格子があり、そこにある螺旋階段を上っていくとヨハン・ベルグルのフレスコ画が描かれた二つの読書室がある(一般非公開)。この部屋の天井にも「学問」をテーマにしたトローガーのフレスコ画が描かれている。
(写真:信仰をテーマにしたトローガー作の天井フレスコ画)
 

◆ 修道院教会

 図書室の次に案内されるのが、要とも言える修道院教会だ。
金、オレンジ、オークル、灰色、そして緑と暖かな色調でまとめられたこの教会は、当初ゴシック様式であったが、18世紀に現在みられるようなバロック様式の教会へと改装された。

 内装にはイタリアの建築家であるアントニオ・ベドゥッチの大きな影響が見られ、天井にあるフレスコ画はベドゥッチのデザインを元にザルツブルクの画家ヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤが描いた。
円蓋は1716年から1717年にかけて完成し、1722年には堂内すべてのフレスコ画が描き上げられた。

 正面にある主祭壇は、ガリ=ビビエナのデザインに基づいて制作されたもので、資材にはザルツブルクの大理石と金箔を施した木材が主に使用されている。
主祭壇のテーマになっているのが「闘争と勝利」。祭壇の中央にあるのが聖ペテロと聖パウロの像。聖櫃の上の台に乗せられた三重冠はキリストを象徴し、この修道院の守護聖人となっている二人の聖人ペテロとパウロを示している。

 この二人の聖人は、同じ日にマメルトの牢獄から引き出され同じ日にペテロは逆さ磔に、そしてパウロは斬首され殉教した。
この主祭壇の像では、「死」という最後の戦いに挑む二人が、互いに手を取り合って別れを惜しんでいる場面が表現されている。そして、その二人を左右の預言者であるダニエル、エレミア、ダビデ、イザヤ、エゼキエル、ギデオンの像が見ている。

 今まさに死を迎えようとする彼らを迎えようとしているのが、その上にある「勝利」を象徴する冠である。
その冠の左右には、二人を象徴する「逆さ十字架」と「剣」を手にした天使の姿がある。そして、その冠の上には父なる神が鎮座し、勝利の十字架がすべての上に聳えている。

 主祭壇の父なる神の左右にあるのが、モーゼとアロンの像だ。
主祭壇設計の最後の段階で加えられたこの二つの人物像の解釈については明らかにされていないが、左側のモーゼは神の民の「世俗的統率者」として地上世界を象徴し、右側の「宗教的な統率者」であるアロンは、天上世界を象徴しているのではないかと考えられている。
(写真右上:修道院教会内部/写真左上:「勝利」を象徴する冠)
 

(写真:左からバーベンベルグ家の墓所/別れを惜しむペテロとパウロ/聖コロマンの祭壇)
 

 さて、「戦い凱旋する」という教会の思想は、主祭壇の上へと続くフレスコ画にも表現されている。
左手のアレゴリーは深紅のマントをまとった女性像で、頭に棘の冠をかぶり、足下には拷問器具が散らばっている。
この拷問器具は横断アーチのコルニス付近にも見られ、そこから円蓋支柱の対角線上に続く円蓋フィールングの大理石を擬した、漆喰壁の絵のテーマ「戦う教会」へと続いている。

 ロットマイヤは、天井のフレスコ画の円蓋へ続く部分にも、「信仰(十字架)」「希望(錨)」「愛(母と子供たち)」という神の三つの徳を表現した。
昔の祭壇に当たる天井左側には、竜の頭を踏み砕く黙示録の女性、その反対となる右側に、戦い凱旋する教会を象徴する月桂樹の冠をかぶった、もう一人の女性が描かれてており、祭壇全体が「神の民の歩み」という一つのコンセプトで統一されている。

 こうした「勝利に導く闘争」は、聖コロマンの信仰の中の「死」にもつながってゆくが、聖ベネディクトの姿ににも表現されている。聖櫃に納められた聖コロマンの祭壇は円蓋下の左側に、そしてその向かい側に聖ベネディクト祭壇がある。また、バーベンベルグ家の墓所は、主祭壇の左側にある司教座の後ろにある。

 ガイドツアーはこの修道院教会で終了となるが、ツアー後も教会内に残って見学を続けることができるので、時間のゆるす限りじっくりと見学して帰って頂きたい。なお、教会を出た先の左地下では、遺跡の一部を見ることもできる。
(写真:円蓋に描かれたフレスコ画)


 参考資料:「メルク修道院」
 


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Useful Links

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www.raileurope.jp
 
オーストリア国鉄
www.oebb.at
 
オーストリア政府観光局
www.austria.info/jp
 
メルク修道院
Stift Melk
www.stiftmelk.at
 

 
Access

鉄道:ウィーン西駅から約1時間20分。

 
Contact

メルク修道院
Stift Melk

Add:Abt-Berthold-Dietmayr-Strasse 1
3390 Melk

E-mail:
tours@stiftmelk.at

 
 
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