◆ 旧市街巡りコース 後半
大聖堂→霊廟→神学校→グロッケンシュピール広場→メール広場&フェルバー広場→
シュテファンプファー通り→市教区教会→オペラハウス→州立武器博物館
さて、公園の散策が終わったところで、再びブルクトアをくぐり王宮へと戻ってこよう。
この王宮の通りを挟んだ向かい側にあるのが「大聖堂」だ。
これは12世紀に建てられた教会の跡に、皇帝フリードリッヒ3世が王宮礼拝堂として1438年から1462年にかけて建造させたもので、後期ゴシック様式の堂内には豪華絢爛なルネッサンス様式のチェストや、ピエトロ・デ・ポミスによる祭壇画などが飾られている。
大聖堂の南側左手、小さな張り出し屋根の下にあるフレスコ画は、1480年にシュタイヤマルクを次々に襲った3つの苦難を描いた『国三重苦画』。1485年に描かれたこの後期ゴシックのフレスコ画は、グラーツに現存する最古の街図と言われている。この聖堂は、1786年から司教座聖堂となっている。
大聖堂のすぐ横にあるのが、初期バロックの傑作に数えられるハプスブルク家最大の「霊廟」。
オーストリアの覇者としてグラーツに滞在した皇帝フェルディナンド2世が、1614年から1638年にかけて造らせた霊廟で、設計はイタリアの宮廷画家であったジョバンニ・ピエトロ・デ・ポミスが手がけた。霊廟はカタリーナ教会と地下礼拝堂で構成されており、霊廟の丸天井には十字架と帝国の表章が見られる。
霊廟の斜め向かいにあるファサードの裏手にあるのが、イエズス会の集会所だった場所。ここにはルネッサンス様式のパティオがある。現在は「神学校」になっていて、その隣には1585年に創立された「旧大学」がある。
神学校の中庭を出て、右にあるアブラハム・ア・サンタ・クララ・ガッセを抜けると、グロッケンシュピール広場にでる。
この広場には、当時の館主であったゴットフリード・シモン・マウラーが1903年から1905年にかけて作らせた大きな仕掛け時計があり、11時、15時、18時の毎日3回塔の扉が開き、民族衣装を着た木彫りの人形が鐘の音を合図に現れる。
この近くにあるメール広場やフェルバー広場周辺には、レストランやカフェ、バーがあり多くの人で賑わっている。このエリアは、楽しさのあまり一度足を踏み入れると何時間も姿を消してしまう人がいることから「グラーツのバーミューダ三角形」と呼ばれている。ここからは、ルネッサンス様式の建物と近代的な建物「M1」が見える。
グロッケンシュピール広場から続く小道エンゲガッセを抜けると、シュテファンプファー通りに出る。
この通りにはモダンなブティックや有名なブランドショップが軒を連ね、グラーツのショッピングの中心となっている。
再びヘレンガッセに出てオーパーリングの方面に行くと、左手に「市教区教会」がある。
ユダヤ地区の小さなゴシック礼拝堂として始まった教会で、ドミニコ会の修道院だった時代にバロック、そして新ゴシック様式へと改装された。教会のガラス窓には、暗い過去を思い出させるヒットラーとムッソリーニの絵が描かれている。
その先のオーパーリング通りには、1899年にウィーンの有名な劇場建築家であるフェルディナンド・フェルナーとヘルマン・ヘルマーによって造られた「オペラハウス」がある。オーストリア国内の歌劇場として、ウィーン国立歌劇場に次ぐ規模を誇る。
建物はグラーツ出身のフィッシャー・フォン・エアラッハにヒントに設計されたもので、バロックとロココ調の装飾を施したホールは、美しく調和の取れたホールの一つと言える。オペラハウスの前には、1992年芸術祭「シュタイマルクの秋」の際に建てられた「光の剣」と呼ばれる巨大なオブジェがある。
また、オペラ座の裏手にあるカイザー・ヨーゼフ広場には、グラーツで一番大きな農産物のマーケットが立つ。
ヘレンガッセへと戻り、中央広場に向かってあるいて行くと、ツーリストインフォメーションのすぐ近くに「州立武器博物館」がある。
アントニオ・ソラールによって1643年から1645年に建てられたこの建物は、トルコの襲撃に対する武器の常備庫として造られたもので、4つのフロアーに16世紀から19世紀まで約3万2,000点の武器や軍需品が納められている。
展示されている武器は、現在も定期的に手入れが行われていて、建設当時あから途切れなく保ち続けられている世界唯一の武器庫と言われている。館内はガイドツアーでのみの見学となっているので、最初に立ち寄ってツアー催行時間を確認してから町の散策に出かけると良いだろう。
(写真右上:大聖堂内部/写真左上:ハプスブルク家の霊廟/写真右下:オペラハウス/写真左下:州立武器博物館)
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