ドナウの真珠、ブダペスト 1
写真:ドナウ川から見た王宮
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世界屈指の美しさを誇るブダペスト。「ドナウの真珠」とも称えられるこの街には、ローマ時代の遺跡からトルコ統治時代の温泉、欧州最大の国会議事堂や欧州大陸初の地下鉄まで、ありとあらゆる見どころが詰まっている。足取りも軽やかに千年王国の都を歩いてみよう!
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◆ 華麗なる文化が息づく王宮地区
ウィーンからオーストリアが世界に誇る高速鉄道レイルジェットで2時間45分ほどすると、ブダペストの玄関口の一つ東駅に到着する。
ここから地下鉄2号線に乗り、ドナウ沿いにある国会議事堂へとやってくる。議事堂横のコシュート広場に立ち、対岸を眺める。小高い丘の上に建つ華麗な王宮とくさり橋。その美しさに思わずため息がこぼれる。今日はここから街歩きを始めてみよう。
緑溢れる丘陵地帯が続くブダ地区と平地のペスト地区を結ぶ「くさり橋」は、セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の依頼により造られた橋だ。設計を手がけたのは、ウィリアム・ディルニー・クラーシュ氏で、1839年から1849年にかけてアダム・クラークが建設した。首都の橋としては世界で初めて世界遺産に登録されたこのくさり橋は、見るものを引きつけて止まない。
くさり橋は徒歩で渡ることができる。「王宮」のあるブダの丘へはバスで行く方法もあるが、今回はこの橋を渡ったところにあるケーブルカーを使って上がることにしよう。
世界遺産の一部にもなっているこの王宮地区の歴史は、蒙古軍の撃退の後にベーラ4世の命で城が建てられ都が移された13世紀にまで遡る。海抜は180メートル。全長1.5キロで部分的に最大幅は500メートルある。このエリアには3つの教会、6つの博物館の他、複数の文化遺産に指定されている教会や記念碑といった見どころの他、ホテル、レストラン、カフェ、アートギャラリーが軒を連ねている。
ハンガリーを象徴する建物の一つである「王宮」は、13世紀に建てられたものだ。15世紀にマーチャーシュ1世の命によりルネッサンス様式の宮殿へと改装され栄華を極めたが、16世紀にトルコ軍侵略により破壊。ハプスブルク家の統治下にあった17世紀に、バロック様式の宮殿として再建されるものの、再び第二次世界大戦により大きな打撃を受けた。こうした戦争による破壊は3度にも及んだ。
1950年代になり再び城の修復が行われ、現在のような姿を止めている。城内にはナショナルギャラリー、歴史博物館、セーチェニ図書館として一般に公開されている。
(写真右上:ブダペスト東駅に乗り入れるレイルジェット/写真左上:ライトアップされたくさり橋)
(写真:左から王宮の中庭/王宮広場から眺めたドナウ川/王宮地区へ上がるケーブルカー)
ケーブルカー乗り場を挟んだ反対側にあるのが、王立教会の一つ「マーチャーシュ教会」だ。
モザイクの屋根がひときわ目を引くこの教会は、ベーラ4世により1255年から1269年にかけて造られたゴシック様式の教会が原型で、高さ88メートルの尖塔は1470年にマーチャーシュ王(1458〜1490年在位)の命により増設されたものである。
教会の正式名称は聖母マリア教会と言うが、その頃から王の名を冠した「マーチャーシュ教会」の名で親しまれるようになった。1896年にはシュレク・フリジェシュにより、現在のようなネオゴシック様式の姿に改築された。
トルコ統治時代にはモスクとして使用されるなど、数々の受難を経験したマーチャーシュ教会は、ヨーゼフ1世とエリザベート皇妃の戴冠式が行われた場所でもある。
また、その時にはリストが「ハンガリー戴冠ミサ曲」を作曲し、指揮したと伝えられている。
南側に鮮やかなステンドグラスが飾られた、教会の主祭壇に祀られているのは聖母マリア。その頭上にあるのは王冠。これはハンガリー国民が、神の御母に国を捧げたこと表しているのだという。
現在は修復のため休館中だが、付属の教会博物館には石像、礼拝道具、戴冠式用の宝物や宗教装飾品といった貴重な品々が展示されている。
教会の横にあるのは、ハンガリ−初代国王である「聖イシュトヴァーンの騎馬像」だ。王が手にしている二重の十字架は、この国をキリスト教国として発展させたこと、そして国内の大司教を決める権限をローマ法王から与えられたことを表している。
この聖イシュトヴァンの騎馬像の横には、このネオロマネスク様式の三角に尖った丸塔「漁夫の砦」がある。この名前は、1895年に魚市と漁師のギルド又は漁師組合があった場所に建てられたことに由来している。また、教会前のマーチャーシュ広場には神とキリスト、そして精霊たちを表した「聖三位一体柱」がある。
(写真左上:主祭壇にある王冠が捧げられた聖母マリア像/写真右上:聖三位一体柱
(写真:左からマーチャーシュ教会外観と内部/聖イシュトヴァーンの騎馬像と漁夫の砦)
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