◆ 町のシンボル「ザンクト・ペーター大聖堂」
その昔、ライン川を中心とした交易で栄えたケルンと肩を並べ「西のケルン、東のレーゲンスブルク」と謳われた建造物がこの町にある。
それがレーゲンスブルクの守護聖人であるペテロの名を冠した町のシンボル、ザンクト・ペーター大聖堂(ドーム)だ。
現在は中世建築を代表するゴシック様式の大聖堂となっているドームだが、その前身はロマネスク様式の聖堂だった。
ドームは1273年にフランスのカテドラル様式を元に着工し、その後250年かけて建造さられた。19世紀にバイエルンの王であったルードヴィッヒ1世により、塔の上部が10年の月日をかけて付け足された。
ロマネスク様式の部分は現在、北側のエーゼルの塔にだけ残されている。
ドームには3つの扉があり、礼拝や観光で訪れた人は通常ドーム正面に向かって右側の扉から出入りする。中央の大きな扉が開けられたのは、ドーム史上においてわずかに2回だけ。そのうちの1回は、2006年のローマ法王ベネディクト16世来訪によるものだった。
このドームで最も有名なのが、同部内部の前方左側の柱にある「微笑みの天使」と呼ばれるガブリエルの彫刻だ。
向かい側の柱には聖母マリアの彫刻が施されており、受胎告知をするガブリエルとマリアが向かい合った状態になっている。色鮮やかなステンドグラスや、地下にある司祭たちのクリプトも必見だ。
また、出入口となっている扉横の壁に刻まれた小さな彫刻にも目をやって頂きたい。これはなんと悪魔。聖堂の外から邪悪なものが侵入してこないための「魔除け」だそうだ。
余談だが、ドーム内はもちろんレーゲンスブルクの町中には、こうした遊び心が感じられる細工が至るところに施されているので、お宝探し感覚で是非探してみてほしい。
レーゲンスブルク市議会は宗教改革によりルター派、つまりプロテスタントを承認したが、大聖堂は司教区としりて独立したまま現在に至っている。そのため、ここは市の手も及ばない特別な区域となっており、ミサなどの典礼ではミトラをかぶり、左手にバクルスという杖を持った司教が執り行う。
また、ここではドーム内のガイドツアーも、ドーム専属のスタッフが行っている。外部の人間が内部でガイドをする場合には事前に申請が必要で、教会から指定された時間帯のみガイド活動が許されるという徹底ぶりだ。
ザンクト・ペーター大聖堂と言って忘れてはならないのが、“大聖堂の雀たち”と呼ばれる聖歌隊、レーゲンズブルガー・ドームシュパッツェン(レーゲンスブルク少年合唱団)だ。
ローマ法王、ベネディクト16世の兄であるドクトル・ゲオルグ・ラッツィンガーも、かつてこの合唱団の学長を務めた。
この合唱団の歌声は日曜日に行われるミサの時に聴くことができるが、クリスマスのシーズンには大学のホールでコンサートが行われる。ただし、非常に人気が高く売切れ必至。チケットの手配は早めが望ましい。
ドームに付属の宝物館やドーム東側にある司教区博物館には、金細工芸品、十字架や燭台といった祭式用具、そして聖書といった貴重な品々がコレクションされ展示されている。時間に余裕があれば、こちらにも足を運びたい。
また、ドームの東側には1923年に建てられた石像に囲まれた小さな家があり、ドームの修復にあたる石膏師の作業場として使用されている。
(写真左上:色鮮やかなステンドグラス/写真中央右:「微笑みの天使」と呼ばれるガブリエル/写真左上:大学のホールで行われるドームシュパッツェンのクリスマス・コンサートの様子)
◆ 古代ローマの高度な建築技術が見られる「ポルタ・プレトリア」
戦火を免れ、また2000年という気が遠くなりそうな長い歴史を誇るレーゲンスブルクには、多くの遺跡が埋まっているという。一体どれ程なのか、その数は計り知れない。
古くなった家の修復をしようと少し地面を掘っただけで、地中に眠っていた遺跡が顔を出すのは日常茶飯事のこと。
そうやって遺跡が見つかる度に家主は工事を中断し、遺跡の発掘調査に協力するのだという。
この町にある多くの史跡や文化財が守られているのは、こうした歴史や文化に対する市民の深い理解や高い意識があるからこそと言えるだろう。
さて、ここレーゲンスブルクで遺跡散策をするなら、やはりポルタ・プレトリアと、そのすぐ横にある見張り用の塔は外せない。ドームの北側にあるポルタ・プレトリアは179年に築かれた城門の北門で、これを見れば古代ローマ人の持つ高度な土木建築技術が良くわかる。
また、1809年にナポレオンによって破壊された後、20世紀に拡張されたマキシミリアン通りに沿って駅の近くまで行くと、左側にも二層になった遺跡が顔をのぞかせている。
二重になった壁の内側は古代ローマ時代のもので、外側は中世に築かれた。石の組み方を見ればその違いがわかる。
こうして町に残された遺跡を見れば「それまであった古いものに新たなものを重ねる」という理念に基づいて、この町が築かれてきたことが良く理解できるのではないだろうか。
(写真左:179年に築かれた城門の北門ポルタ・プレトリア/写真右:二層になった中央駅近くの城門跡)
◆ レーゲンスブルクで一番古い教会「アルテ・カペレ」
駅近くにある城門の遺跡からドームに向かって歩いて行くと、途中のアルター・コンマルクトという広場にあるアルテ・カペレが見えてくる。現在はロココ様式の教会となっているが、その歴史はカロリング朝時代にまで遡る、レーゲンスブルクで一番古い由緒ある教会だ。
レーゲンスブルクはかつて、バイエルンの侯爵(東フランク王国)が築いたバイエルン最初の首都でもあった。国王であったルードヴィッヒ2世は当時、司教座であったレーゲンスブルクを定期的に訪問し、アルター・コンマルクトにある宮殿に滞在。宮殿の横に建つこのアルテ・カペレは、ルードヴィッヒ2世専用の礼拝堂として使用されていた。
その後、神聖ローマ帝国の皇帝となったハインリッヒ2世が、広場の宮殿に滞在したのを期にアルテ・カペレを再建し、内部をバロック様式のフレスコ画で飾った。化粧漆喰や浮き彫りを取り入れた、現在のようなロココ調の教会になったのは18世紀のことだ。
教会内は柵で仕切られ、そこから先は関係者以外は立ち入ることはできないが、外観からは想像できない豪華絢爛な装飾に、誰もが思わず目を奪われることだろう。
また、このアルテ・カペレには、2006年にローマ法王の来訪した際、法王から祝福を受けたオルガンが納められている。このオルガンは、人以外で唯一法王から祝福が与えられた、何ともありがた〜い楽器なのだ!
(写真:法王が祝したオルガンが納められたアルテ・カペレ)
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