◆ ドイツ初となる議会が開かれた旧市庁舎(帝国議会博物館)
10世紀から14世紀にかけて政治・経済・文化の前期を迎えたレーゲンスブルク。
交易により栄えたこの町は、1245年に帝国自由都市となり自治権を獲得した。しかし、15世紀になってバイエルンの諸侯領域から孤立し、権力争いによって経済も衰退。こうしてレーゲンスブルクは表舞台から姿を消すこととなった。
そのレーゲンスブルクが第一線に返り咲いたのは、「永続的帝国議会」の所在地となった1663年から1806年のことだった。
ドイツで最初の議会となる「永続的帝国議会」の議会上が置かれたのが、現在のレーゲンスブルク旧市庁舎。現在ここは帝国議会博物館として公開されており、内部は観光局によるガイドツアーでのみ見学することができる。
この市庁舎が建てられたのは13世紀のこと。まず最初建てられたのが、塔のある中央の部分だ。その後18世紀にかけて徐々に拡張され、現在は広範囲に渡るグループ建築となっている。旧市庁舎の右にあるのは新市庁舎で、この建物が建設された頃はすでにレーゲンスブルクの経済は低迷状態にあったため、豪華な装飾は施されず壁面は“だまし絵”で描かれた。
旧市庁舎には選帝侯の部屋や、舞踏会や祝祭用のホールとして造られた帝国ホールがある。婚礼式場にもなっている選帝侯の部屋は、館内で一番豪華な場所と言われている。帝国ホールは後に、永続的帝国議会の議会会場として使用されていた。
議会の後に行われた茶会では、ドイツ最古のケーキ屋さん、カフェ・プリンツェスの菓子が長いテーブルにずらりと並べられたのだという。その何とも贅沢な場面を思い浮かべただけで、当時のレーゲンスブルクが華やぎが想像できる。
興味深いのはそれだけではない。議会には掛けられない秘密会議は、別室の緑のクロスの掛かったテーブルで諸侯たちによって話し合われたことから、ドイツの「緑のテーブル」という諺が生まれたのだと言う。また、同じくドイツの諺「長いバンク」というのもこの場所に由来しているそうだ。
博物館のガイドツアーに参加すると、もう一つ案内される場所がある。それが地下にある拷問室や牢獄だ。暗くてジメジメした場所に、実際に使われていた拷問器具などが当時のまま保存されている。
見ているだけで体中が痛くなってくるような物ばかりなのだが、実際にこれらの器具が使用される事はほとんど無かったという。
では、中世のレーゲンスブルクでは一体どのようにして罪が裁かれていたのか、と疑問を抱く人も少なくないだろう。
それは“見せしめ”。つまり、肉体に課せられる拷問という刑ではなく、辱めを受けることで自らの反省を促すという精神的な刑罰が優先させていたのだとう。それでも反省をしなかった者たちだけが拷問室へ、そして牢獄へと段階を経て送られたそうだ。
こうした点から見てもレーゲンスブルクは単に経済や文化の面だけ発展していたのではではなく、精神的にも世の中をリードする社会が培われていた事が理解できるのではないだろうか。(写真左上:議会が開かれた帝国ホール/写真中央:ドイツ最古のケーキ屋カフェ・プリンツェス/写真左下:ドイツの諺にもなった緑のテーブル)
◆ カール5世と町娘のロマンスが生まれたホテル、ゴルデネン・クロイツ
市庁舎の近くに、16世紀から19世紀にかけて皇帝や上流階級の宿だったゴルデネン・クロイツがある。
1546年にカール5世(カルロス1世)と市民の娘、バーバラ・フロンベルクとのロマンスが生まれたホテルだ。
二人の間に生まれたドンファン・デ・アウストリアはレファントの会戦で勝利を治めた英雄で、市庁舎横のツィーロルド広場にはそのドンファンの像が立っている。
ここは現在もホテル&カフェとして営業している。パリのアパルトマンを彷彿とさせるホテルの客室は全9室。天蓋付きのベッドがある部屋からシンプル・スタイリッシュな部屋まで内装は全室異なる。
また、宿泊客の朝食は下のカフェで、朝食メニューの中から好きなものを午後2時まで取ることができる。宿泊は1泊から可能だが、特に長期滞在にお勧めのホテルだ。
(写真:ロマンスが生まれたゴルデネン・クロイツ)
◆ レーゲンスブルクは「1番」が好き?!
2000年の歴史を誇る古都、レーゲンスブルク。旧市街を歩いていると「ドイツ最古の●●」という案内がやたらと目につく。
「ドイツで最初の議会が開かれた旧市役所」、茶会で供されたた「ドイツ最古のケーキ屋さん」はすでに出てきた。
では、この町には一体どれ程のドイツで“1番”があるのか・・・? 町の歴史を見ながら、少し探してみることにしよう。
ザンクト・ペーター大聖堂と肩を並べるレーゲンスブルクのシンボルと言えば、ドナウ川にかかる石橋シュタイナーネ・ブリュッケだ。旧市街と対岸のシュタタンホーフを結ぶこの石橋が造られたのは1135年から1146年のことで、ドイツ最古の石橋と言われている。
橋の長さは330メートル。15のアーチが角石の柱で支えられていて、橋の中央には石橋の建設に携わった建築士ブルックマンデルの像がある。この橋には多くの伝説が残されている。また、石橋の袂にはこの石橋の歴史を展示したブリュックトルム博物館がある。
旧市街と一緒にユネスコ世界文化遺産に登録されたシュタタンホーフは、中世には独立したバイエルンの一都市だった。1809年に起きたオーストリアとナポレオンの戦争に巻き込まれ戦火に見舞われたが、その後町は再建され現在に至っている。レーゲンスブルク市には1924年に併合された。
旧市街側の橋のたもとにあるのが、町の名物である炭火焼ソーセージの店ヒストリーシェ・ヴルストキュッヘだ。 石橋の建設に携わった人たちの飯場としてできた店で、以来ずっと営業を続けてきた。観光客なら必ずと言って良いほど足を運ぶ人気の店だ。
実はこの店もドイツ最古のソーセージ屋と言われているのだが、そこにある日突然ニュルンベルクにある老舗ソーセージ屋から「ドイツ最古はうちだ!!」と横やりが入った。
これを大いに不服としたレーゲンスブルク市民。もちろん、そう易々と引き下がるわけはない。でも、どちらが真のドイツ最古の店なのか・・・?
「ならば徹底的に調べてはっきりさせよう!」ということでレーゲンスブルク市民は、残されている古文書などを集め徹底的に調べたあげたそうだ。すると驚くべき事実が判明した。
なんとこのヒストリーシェ・ヴルストキュッヘは、ドイツ最古のソーセージ屋ではなく「世界最古のソーセージ屋」だったのである。
もちろん、この事実を知った市民の鼻が、更に高くなったのは言うまでもない。
ヒストリーシェ・ヴルストキュッヘのすぐ横にあるのが、17世紀に建てられたザルツシュターデルだ。
ここには取引されていた塩が貯蔵されていた。現在は資料館となっていて、ドナウ川の交易で発達してきた町の歴史を垣間見ることができる。また、通りを挟んだ場所にある黄色い建物は、ゲーテがイタリア旅行の途中に宿泊したホテルと言われている。
最後にもう一つ、町にある老舗の帽子屋さんをご紹介しよう。
ドームの向かいにある「フート・ケーニッヒ」は、ドイツ最古と言われる帽子店。店主は現在5代目で、ドイツ唯一の帽子職人として、また婦人帽子のデザイナーとして伝統を守っている。
店内に取り揃えてある1万種類にもおよび、これらすべて個人経営のアトリエで製作された手作りだそうだ。
聞くところによると、小さなものも含めレーゲンスブルクにある史跡や見どころは3000を下らないという。
まさか!と思う人も多いだろうが、何せここは2000年の歴史を誇る古都、レーゲンスブルク。その年月から想像すれば、その数も決して不思議ではないだろう。
その中にいくつの「ドイツ最古」があるのか、自身の目で確かめながら探してみるのも楽しいだろう。
(写真左上:ドイツ最古の石橋シュタイナーネ・ブリュッケ/写真右上:名物の炭火焼きソーセージを焼くキッチンスタッフ/写真左下:ヒストリーシェ・ヴルストキュッヘとザルツシュターデル、左にはゲーテが宿泊したホテルがある/写真右下:ドイツ最古の帽子屋フート・ケーニッヒ)
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