◆ ユダヤ遺跡が発掘されたノイファープラッツ
ヴァーレン通りを歩いて行くと、突き当たりに見えてくる広場がノイファープラッツだ。
中世にはこの広場にシナゴーグ(ユダヤ教会)が建っていて、ここを中心にユダヤ人地区(ゲットー)が広がっていた。
レーゲンスブルクに移り住んだユダヤ人は、商取引に関与して町の発展に力を尽くし、また当時は皇帝の保護下にあったことからうまい具合に共存していて、周辺の都市のようにレーゲンスブルク市民とユダヤ人の関係は決して悪くなかったそうだ。
しかし、徐々に町が衰退するにつれユダヤ人に不穏な噂話が飛び交うようになり、1519年レーゲンスブルクでユダヤ人排出主義が広がった。この流れを受けカトリック教徒がゲットーを破壊、ユダヤ人を追放した。そして、廃墟となったシナゴーグがあった場所には、巡礼教会が建てられた。
「美しいマリア」と呼ばれるこのノイファー教会は1542年、レーゲンスブルク最初のプロテスタント教会となった。
2005年、この広場には破壊されたユダヤ教会跡の平面に沿って白い石のレリーフが置かれ、現在は“出会いの広場”として市民に親しまれている。
1990年代になってこの広場の下にユダヤの遺跡があることが発見され、1995年から1997年にかけて考古学調査が行わた。その際、ユダヤ人にまつわる金貨やダビデの星が刻まれた指輪などが発掘されている。
また、第二次世界大戦の際には、防空壕として使われていたことが判明した。
この遺跡は現在ドキュメント・ノイファープラッツと呼ばれ、ガイドツアーでのみ見学が可能となっている。(写真左上:「美しいマリア」と呼ばれるノイファー教会/写真右下:ドキュメント博物館入口/写真下:ドキュメント博物館内部
◆ ホロコーストとレーゲンスブルク
ドイツとユダヤの関係と言えば、やはり第二次世界大戦でのホロコーストを思い浮かべる人が多いだろう。
残念なことにナチス・ドイツの支配下にあったレーゲンスブルクでも、ユダヤ人を再び排出する動きが見られた。だが、ユダヤ人に対する他の都市で起こったような残虐行為は行われなかったそうだ。
むしろ、それまでユダヤ人とは友好関係にあったことから、彼らを町から追い出す行為そのものに苦悩し、心を痛めたレーゲンスブルク市民も少なくなかったのだと言う。
かつてユダヤ人が住んでいた場所に、彼らの死を悼み居住者の名前を刻んだ金のプレートが道に埋め込まれるという動きが近年ベルリンで広がっているが、レーゲンスブルクでも数年前からこうした動きが見られるようになった。
特にユダヤ人地区のあった、市庁舎からノイファープラッツへと延びるヴァーレン通りに多く見受けられる。
この町にはもう一つ、ユダヤ人つながりの場所が残されている。
それは映画「シンドラーのリスト」で一躍有名になった人物、オスカー・シンドラーが住んでいた家だ。
ホロコーストから多くのユダヤ人を救い出したという美談で語られるシンドラーだが、戦後は事業がことごとく失敗し失意の連続だったそうだ。そして、晩年はドイツに戻るものの人々の心ない噂話に傷つき、また金策に困る生活で、助けたユダヤ人を頼ってはイスラエル、そしてアメリカを転々としていたと言う。
シンドラーがこの町にいたのは、1945年11月から1950年5月までのこと。アルテ・ニュルンベルガー通りにある彼が住んでいた家の壁には、シンドラーの功績をたたえた記念のプレートが掲げられている。
また、シュタットパルク(市立公園)に沿ってユダヤ人墓地が残されている。
この町の長い歴史を見ているとレーゲンスブルク市民は暴力を嫌い、異文化に対していかに寛容でまた柔軟に対応していたのかが分かる。
レーゲンスブルクの旧市街が第二次世界大戦の戦火を免れたのにはいくつかの理由が挙げられるが、ひょっとしたら人としての心を忘れず、常に公平な立場にたって物事を見定めようと努めてきた市民への神様からのご褒美だったのではないか・・・と思えてならない。
(写真左上:オスカー・シンドラーが住んでいた家/写真右:シンドラーの功績を称えて掲げられた記念プレート)
◆ レーゲンスブルクのクリスマス
さて、ここで少しレーゲンスブルクでの冬の楽しみについて紹介しよう。
この町に限らず、ドイツで冬の楽しみと言えばやはりクリスマスマーケットは外せない。
レーゲンスブルクでは5ヶ所でクリスマスマーケットが開催されているので、周辺の町からも日帰りでやって来てマーケット巡りも楽しめる。
旧市街で一番で賑わうクリスマスマーケットと言えば、このページでも紹介しているノイファープラッツのクリスマスマーケットだ。日中を問わず、多くの人々で賑わっているマーケットだ。
次いでハイドプラッツや、旧市庁舎近くのコーレンマルクトのクリスマスマーケット。
この2ヶ所では、アートやクラフトを主に扱っている「ルクレツィア・クラフトマーケット」が開かれている。
ハイドプラッツの屋台には、フレーバーティーなどを扱う店が多く見られ、辺りにはフルーティーな香りが漂っている。 店には日本でも定番のフレーバーから、レーゲンスブルクのオリジナル・フレーバーまで種類も豊富だ。
あらかじめ袋詰めされたものもあるが、ほとんどのお茶は量り売りをしてもらえる。このシーズンはクリスマス用にブレンドされた紅茶などもあるので、ちょっとしたお土産にも良いだろう。
町で一番ロマンティックなクリスマスマーケットと言えば、やはりトゥルン・ウント・タクシス城だ。
城の中庭で開催されているこのマーケットは洗練されていて、他のクリスマスマーケットとは趣の異なる屋台も数多く出店している。また、テラスでは生演奏などのイベントも催される。
マーケット開催期間中、中庭は正午から開場されるが、闇夜に浮かび上がる美しい城を眺めながらのマーケット散策は格別だ。
入場は有料(2010年は月〜金が5ユーロ、土・日は6ユーロ)だが、その価値は十分ありだ。このマーケットでは深夜料金も設定されていて、20時(土・日は21時)以降なら2ユーロで入ることができる。
ちなみにヴァフナーガッセ側の入口からみてマーケット会場の裏手奥には“オルフェウスの窓”ある。ファンにとっては近くで窓が見られる絶好のチャンスとなりそうだ。
その他、対岸のシュタタンホーフにあるドナウ川沿いのシュピタルガルテン(ビアガーデン)でも小さなクリスマスマーケットが開催されている。ここからはシュタイナーネ・ブリュッケとレーゲンスブルクの旧市街を眺めながら、クリスマスマーケットが楽しめる。
もちろん、チャンスがあればレーゲンズブルガー・ドームシュパッツェンのクリスマスコンサートもお忘れなく!(写真左上:夜でも大勢の人で賑わうクリスマスマーケット/写真右上:クラフトを扱うマーケットの屋台/写真左下:トゥルン・ウント・タクシス城のクリスマスツリー)
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