ここではレーゲンスブルクから日帰りで楽しめるドナウ沿いの国境の町、パッサウをご紹介しよう。
◆ 三つの川に囲まれた国境の町
パッサウは、中世の面影を今に残すオーストリア、チェコと国境を接する小さな町だ。
この町でドナウ、イン、イルツの3つの河川が合流することから「ドライ・フリュッセ・シュタット(三つの河川の街)」とも呼ばれ、旧市街は船の舳先の様な形をしたこれらの川の合流点にある。
町の歴史はとても古く、ケルト人が住んでいた形跡が残される紀元前にまで遡り、ローマ時代にはボイオドルム、ボイオトロ、バタビスといった要塞が築かれていた。
パッサウという名前は、中世初期にバイエルン人が築いた「パッツァウエ」に由来している。
5世紀頃に現在のザンクト・ゼヴェリーンの近くに修道院が建てられ、739年にパッサウは司教管区首都となった。
1217年には皇帝であったフリードリッヒ2世の命により領主司教国の首都となり、この支配はバイエルン選帝侯国に編入される1803年まで続いた。また、1219年には司教の館としてオーバーハウス城の建設が始められている。この城砦は現在、歴史博物館になっている
1552年にはアウクスブルクの和議へと至る流れを決定付けた「パッサウ条約」が、カール5世と新教徒諸侯との間で締結されるなど、歴史的の重要な舞台にも登場している。
17世紀後半になって町は2度の大火に見舞われたが、領主司教の働きかけにより再建され、現在のようなバロック様式の町並みが形成された。また、1805年にはナポレオンがこの町を訪れている。
ドナウ川の前にある後期ゴシック様式の市庁舎の壁には、ドナウ川の氾濫の記録が残されていて、近年ではドイツ東部を襲った2002年の洪水も記録されている。扉を挟んだ左隣には、バイエルン公女であるエリザベートが、ここでドイツに別れを告げハプスブルグ家へ嫁いでいった事を示す記念のレリーフが飾られている。
チェコとも国境を接するパッサウでは、ボヘミアの影響を強く受けたことからガラス工芸が盛んである。市庁舎の通り向かいには、3万点にもおよぶボヘミアングラスを有するガラス博物館がある。
この他にも旧市街には、ニーデルンブルク修道院、ミヒャエル教会、新司教館といった見どころがある。
(写真左上:旧市街に残る中世の町並み/写真右下:市庁舎の壁に残された洪水の記録とエリザベートのレリーフ)
(写真:左から後期ゴシック様式の市庁舎/市庁舎ホール/ガラス博物館)
◆ 世界一大きなパイプオルガンのある大聖堂
パッサウの一番の見どころと言えば、旧市街の小高い丘の上にそびえるザンクト・シュテファン大聖堂だろう。
この聖堂の基礎が置かれたのは1407年のこと。1668年に現在のようなイタリア風の内装が施されたバロック様式の聖堂が建てられ、ここを中心に宗教関連の施設が配置されている。大聖堂前の広場には、エリザベート皇妃の祖父にあたるバイエルン王マクシミリアン1世の像が立っている。
教会の塔の上にある「族長十字」は、枢機卿がいる教会であることを表している。ウィーンにも同じ聖人の名を冠した大聖堂があるが、こちらの方が上に位置づけられている。
この聖堂は1676年にレオポルド1世が挙式を行った場所としても知られ、またウィーンがトルコ軍に包囲されていた1683年には、レオポルド2世はここを住まいとしていた。
この聖堂内部の大きさは長さ102メートル、幅33.5メートル、高さ30メートルで、キリストの教えの一つ「愛」をテーマにしたフレスコ画が天井に描かれている。
また、17,974本ものパイプを有する教会用のオルガンとしては世界最大のパイプオルガンがあり、5月から10月までの日曜を除く毎日、正午からこのパイプオルガンによる演奏が行われている。
アドヴェントの季節には聖堂内にキリスト生誕の物語を描いたクリッペが展示されているほか、すぐ前の広場でもクリスマスマーケットが開催されている。
旧市街へは中央駅から徒歩で10分ほどで、20分足らずで一周できてしまう大きさだ。
旧市街をざっと見るだけなら2時間程度でも十分だが、じっくり観光をしたいのであればその倍位の時間を見積もっておくと良いだろう。オフシーズンは観光客もまばらで、しっとりとした気分で散歩を楽しむにはうってつけの町だ。(写真:ザンクト・ステファン大聖堂とバイエルン王マクシミリアン1世像)
(写真:左から世界一大きなパイプオルガン/大聖堂に飾られてるクリッペ/大聖堂内部)
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