フラウエン教会クリスマス・コンサート
2007年12月8日に開催されたクリスマス・コンサートの様子
この日はバッハの「クリスマス・オラトリオ」が上演された
歓びの歌声がこだまするフラウエン教会
「フラウエン教会」全景
ドレスデンのシンボル。
市民の心のよりどころ。

その最たるものは、やはりドイツ最大のプロテスタント寺院、フラウエン教会(聖母教会)だろう。ドレスデンの街並みを写した遠景写真に必ずと言っていいほど登場する、丸い大きなドーム姿の建物がフラウエン教会だ。

特徴的な屋根の大きなドームは「石の釣り鐘」と呼ばれている。
直径25メートルの巨大な砂岩のドームはイタリア人建築家、ゲオルゲ・ベアによるもので、彼が当時の「屋根は銅張り」の常識と戦い、頑なにこだわり続けた部分だという。そうした設計者の“こだわり”や財政難、困難な大工事などもあり、教会の再建には17年近くが費やされた。

この教会が建設された18世紀、当時の選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世は隣国ポーランド国王を務めていたこともあり、王家自体はカトリックであった。
だが、王はこのような大掛かりなプロテスタント教会建設を黙認していたという。

フラウエン教会の前身である「慈母たちの教会」には、毎日大勢の市民が通い続けていた。宮廷はカトリックでも、市民の宗教はプロテスタントであり、それが一般市民の心のよりどころであったことを深く理解していたのだろう。

「慈母たちの教会」の老朽化に伴い、長い年月をかけて建設されたフラウエン教会だが、やはり1945年の空襲により、たった一夜にして瓦礫の山と化した。

社会主義時代は瓦礫散らばる廃墟として放置され、幾度となくその跡地に社会主義風の市民ホール建設や新都市計画が興ったが、瓦礫の廃墟は守られた。
「宗教は麻薬」とされた時代にあっても、「いつか復興を」と願う市民の“無言の”意思表示だろうか。

「フラウエン教会」祭壇 そして、その「いつか」は現実となる。

自由化、ドイツ統合とともに、フラウエン教会の再建が始まったのは1994年。
完成したのは2005年のことだ。

瓦礫の欠片一つひとつをもとの場所に組み込むという“考古学的再建”が行われ、完成には11年の歳月を費やした。「世界最大のジグゾーパズル」と呼ばれる大復旧作業だったという。

再び姿を現したフラウエン教会のまろやかで優しい曲線のフォルムからは、慈愛という言葉がひしひしと伝わってくる。
内部は、真新しいバロック様式の祭壇(写真左)も当時の姿に復元され、それを取り囲むように円く座席が並ぶ。

内陣右翼には焼けただれた十字架。
空襲後、瓦礫の中から掘り出されたものだ。

真黒で、ところどころ熱で曲がりながらも激しく自己主張するわけでもなく、しかし存在感を持って静かに、見守るように真新しい教会内部に鎮座する姿がとても印象的だ。

復活した教会では、ミサなどの教会行事の他にもコンサートも行われており、市民は再び教会で悦び・愉しみをかみしめている。

フラウエン教会には建設者の意思、落成時に感動をもってその教会を眺めた人々、そして瓦礫の山を見守りながら復興の日を迎えた人々の思いや波瀾万丈の歴史が詰まっている。
ドレスデンの人々と一緒に、大きな丸いドームにこだまする弦楽やトランペット、合唱の歌声にぜひ耳を傾けてほしい。

戦争の惨さと平和の祈りを未来へと語りつぐ石壁

ドレスデン市民に愛され続けているフラウエン教会。2005年10月30日に行われた完成式典には6万もの人々が訪れ、教会前の広場を埋め尽くした。再建された教会の塔の上には、「和解の印」として英国から贈られた十字架が掲げられている。

優美で慈愛に満ち溢れたフラウエン教会の西側には、石壁がモニュメントとして残されている。これは空爆で瓦礫と化した教会の一部で、壁には教会が崩れ落ちた当時の状況が記された一枚のプレートが掛けられている。

教会内部に安置されている「焼け爛れた十字架」同様、戦争の惨さと平和への祈りを道行く人々に静かに語りかけている。
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