聖マリーエン大聖堂と鉱山博物館

フライベルグにある聖マリーエン大聖堂と鉱山博物館
ザクセン文化の“心臓” 「鉱山の町・フライベルク」
ドレスデンの南、エルツ山地がドイツとチェコとの国境を分かつ山岳地帯は「ザクセンスイス」と言われる地域だ。かつてこの地に移り住んだ芸術家が、見渡す風景が故郷のスイスに似ていると言ったことから、この「ザクセンスイス」という名で呼ばれるようになったという。
15世紀頃の町並みが残るフライベルグ
平均標高は約700メートル、最高峰のフィヒテルベルク山は1240メートル。
四季を通じてピクニックやハイキング、クロスカントリーなどが楽しめるリゾート地で、特に冬場はボブスレーやジャンプのオリンピック級の選手も訪れるという。
この山岳地帯こそが、実はザクセンの華麗な文化・財力の源であり、“ザクセンの心臓(ハート)”と言われた地である。

約6000年前に地殻変動で隆起したといわれる山岳の大地は銀、錫、コバルト、鉛、塩など豊富な鉱物資源に恵まれ、それがザクセンを潤し、華麗なバロック文化を生み出す貴重な財源となった。
エルツ山地の町の一つ、フライベルク(写真左)はその採掘拠点として発展した、この辺一体の中心地である。

現在は人口約4万3000人ほどの小さな町だが、かつては鉱山労働者が住み、また鉱山関係の政府機関なども置かれていた。1765年には欧州初の鉱物学・鉱山技術の学校が建てられ、ザクセン工科大学の前身となっている。
町の周辺には所々に城壁が残り、この地が堅固に守られていた往時を偲ばせる。

町自体は2時間もあれば主なところは十分に見尽くせるほどの規模だが、見どころはなかなか多く、そして濃い。
15世紀頃の町並みは雪深い山地の知恵か、屋根は鋭い傾斜があり、また窓が埋まらないように曲線型の雪除け屋根を持つ独特のスタイルになっている。
まるで家に目がついていて、こちらをじっと見ているような不思議な感覚が浮かび、ぶらぶらと眺め歩くだけでもなかなか楽しい。
聖マリーエン大聖堂「黄金の門」
最大の見どころは聖マリーエン大聖堂(写真中央上)で、ここはフライベルクを代表する芸術作品の宝庫でもある。

建立は1180年。
ロマネスク様式の建物が年を経るにつれゴシック、ルネサンスとさまざまな様式を加えて改築され、結果的に折衷様式となった。

教会の西側にある「黄金の門」(写真右)は、中心に聖母マリアを戴いた見事なフランボワイヤン様式のものだ。
聖人像の表情や柱、唐草文様の細かな彫刻が見事に残されている。
建築当初は金と一緒に緑、赤、黄色の色彩が施されていたというが、その色さえ残っていればほぼ完璧と言えるほど状態がいい。

祭壇画の一つに、ザクセン侯宮廷画家・クラナッハによって1560年頃描かれた「フライベルクのセレブレーション」がある。
最後の晩餐をテーマに、上部にはキリストと13人の弟子が、下部には当時の街の有力者がずらりと描かれているものだ。

内陣奥にはアウグスト強王の母の墓がある。
天井は「最後の審判」の鮮やかかつあでやかな立体彫刻で飾られ、天使が奏でる楽器は全て種類が違うという見事な手の込み具合だ。
聖マリーエン大聖堂「シルバーマン製パイプオルガン」
教会のパイプオルガン(写真左)は、世界きっての名匠といわれるオルガン製作者、ゴッドフリート・シルバーマンによるもの。
シルバーマン製のオルガンは、例えばヴァイオリンならストラディヴァリウス、ピアノで言えばベーゼンドルファーやスタンウェイという、名器中の名器だ。

「オルガン製作のマイスター、シルバーマン」という名をここで初めて知るにせよ、大事なのはこうした巨匠や当時の売れっ子画家のクラナッハといった数々の芸術・文化が、この小さな山の町にあるという事実だ。
フライベルクがいかに富を供給し、またザクセンにとって重要な街であったかを理解する一端と言える。

教会の他にも是非見ておきたいのが、鉱山と町の歴史がわかる鉱山博物館(写真中央上)だ。その他にも、16世紀の市庁舎「ミニ・ゼンパー」と言われる劇場なども、全て徒歩でゆるりと回れる。また、ペトリ教会の塔からは町が見渡せる。

観光局で配布されているパンフレットと地図を片手に歩いてみると、この地が“ザクセンの心臓”と言われた理由がよくわかるに違いない。郊外にある鉱山の見学ツアーも催行されているので、参加してみるのも一興だろう。

ザクセンに豊かな財源を提供し、国を支えてきた鉱山は現在すべて閉山している。
フライベルクは文字通り「山合の小さな町」となり、“ザクセンの心臓”として血を送り続けた主要な町の住人・鉱夫の歴史も過去のものとなった。
モニュメント
華やかな宮廷文化や芸術を“光”に例えるなら、それを支えた鉱夫はまさに“影”の立役者である。

ぜひ立ち寄って見てほしいのが、オーバーマルクト南側のペーターストラッセ付近にあるモニュメント(写真右)だ。ニンフの台座の根元には鉱石、そのすぐ上に鉱夫など労働者や大聖堂が、さらに上部にはザクセンの華やかな街が彫られている。
街中に突然立っている何気ないブロンズ像だが、この町の過去から未来を実に雄弁に語っている。

“山”や歴史の常のように、ここにも鉱夫の過酷な労働や役人たちとの闘争もあったに違いない。

だが“山”はもうない。
「鉱夫」の歴史は終わった。

そうした現実も歴史もすべて受け入れた上で、「ザクセンを支えてきた」という誇りを伝え、育んでいこう ――。
そんな町への慈愛に満ちた優しさと静かな“力”が、このモニュメントから伝わってくる。

ザクセン伝統の「バウアーハーゼ (Bauerhase)」

アルブレヒト2世の子である、マイセン辺境伯のフリードリヒ1世(1257-1324)は、この美しいフライベルグをこよなく愛していた。銀鉱山で豊かになりつつあったこの町に、立派な城を建てることを考えていたほどだ。

フライベルグでフリードリヒ1世とテーブルを囲むメンバーの中には、話上手なグルメで大酒飲みの聖マリーエン大聖堂の牧師の姿もあった。

ある『懺悔の火曜日』の晩のこと、彼らは再び集まり夜遅くまで杯を交わしながら食事を楽しんでいた。
まもなく日付がかわろうかとするころ、フリードリヒ1世が給仕に次の料理にはウサギのローストを出すようにと指示した。

それを耳にした牧師は、即座に異を唱えた。
そして、程なくして日付が変わば『受難節』となりイースターに備えなければならいないこと、その時期にうさぎのローストを食べることは戒律を破ることになる、ということを説明した。だが、フリードリヒ1世はそれを聞き入れず、言い争いは益々激しく成った。そして、二人とも必要以上の酒を飲んだ。

フリードリヒ1世は再び給仕を呼び、“戒律に触れないような”ウサギのローストを持ってくるよう指示した。
それを聞いたコックは驚いたが、すぐに“牧師が納得するような戒律に触れない”ウサギのローストを用意すると宣言した。

時計の針が0時を少し回った頃、コックは皮がパリパリに焼けたウサギのローストを運んできた。
それを見た牧師は顔を真っ赤にし、運ばれてきた料理やワインごとテーブルクロスをひっくり返してやりたいと思うほど激怒した。

だがテーブルに目をやると、皆ナプキンを付けたまま静かに座り、切り分けられたローストが運ばれてくるの待っていた。
給仕された料理を見てそれが本物のウサギのローストではなく、パンで作られた“ローストもどき”ということに気づいたのだ。

表面の皮に似せたパリパリとした部分は、あめ釉で明るめにコントラストされた、たくさんのアーモンドで作られていた。
皆はその香ばしさを絶賛し、喜んで料理を口にした。もちろん、これには牧師も大満足だった。

ただ一人、フリードリヒ1世だけはこれを「ウサギのロースト」とは認めなかった。
だが、そのウィッティなアイデアを評し、コックが「バウアー」という名であったことから、この“ローストもどき”を「バウアーハーゼ」(写真左)と呼んだ。

以来この「バウアーハーゼ」は、この逸話と共に数世紀に渡り現代に受け継がれている。

フライベル市庁舎近くにある「コンディトライ&カフェ ハートマン」(写真右上)では、そのオリジナル・レシピに基づいた「バウアーハーゼ 」が製造販売されている。

見た目は「プレッツェル」に似ているが、パリパリとした食感に加えほのかな甘みが感じられる。イースターの時期に限らず販売されているので、フライベルグを訪れたらこのザクセン伝統の味をぜひご賞味あれ!
 
 
参考文献:Alfred Melche / Legend's book of the Kingdom of Saxony, Leipzig 1903
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