バーンズ・コテージ&バーンズ・ナショナルヘリテージ公園 (アロウェー)
1759年1月25日、スコットランドを代表するエアシャーの大詩人、ロバート・バーンズは、スコットランド南西部のアロウェ−(エアー郊外)で、貧しい小作農家の家に親ウィリアムと母アグネスの間に、7人兄弟の長男として生まれた。
アロウェ−には、現在もバーンズの生家「バーンズ・コテージ」が残されている。この家は庭師でもあった父のウィリアムが建てたもので、一つ屋根の下に家畜小屋、作業場、居間、寝室が造られている。当時の貧しい農家の暮らしぶりが伺える建物だ。
(写真左:バーンズの生家 © Burns National Heritage Park)
その貧しさからバーンズは学校へ行くことはできなかったが、両親が教育熱心だったこともあり、ここで両親や家庭教師から基本的な教育を受けていたと伝えている。後に紹介するダンフリーズの「バーンズ・ハウス」には、その時の様子を描いた絵画が残されている。
この一帯はバーンズ・ナショナルヘリテージ公園として管理されており、付近には「バーンズ・モニュメント」、物語詩『タム・オ・シャンター』の舞台になったドゥーン川にかかる旧橋や「タム・オ・シャンター・エキスペリエンス」、バーンズの父ウィリアムが眠る墓のある「旧教会」などがある。
また、生家のすぐ横は『蛍の光』の自筆の原稿などが収められた博物館が設置されている。ここでは夏の間(6〜9月)ティー・ルームが営業されているので、バーンズの詩集を片手にティー・タイムを楽しんでみてはどうだろうか。
(写真右:『タム・オ・シャンター』のモデルになった橋 © Visit Scotland / Scottish Viewpoint)
アロウェーでは、2010年の完成をめざし「ロバート・バーンズ・バースプレイス博物館」の建設が進められており、ナショナル・トラスト・スコットランドではその建設のための寄付を募っている。詳細はナショナル・トラスト・スコットランドのウェブサイトを参照。
エリースランド農場 (ダンフリーズ)
バーンズがアロウェーから移り住んだ最初の家が、ダンフリーズにある「エリースランド農場」だ。
この時、家の候補に3つの建物があったが、バーンズはよりにもよって一番悪い家を選んでしまったそうだ。だがその後、バーンズは領主に借金をして、農場内に新たな家を建てたという。
バーンズがここに住んだのはわずか3年半(1788-1791)に過ぎなかったが、作品全体の実に4分の1がこの農場時代に書き上げられた。
『タム・オ・シャンター』もその一つ。この話は生家のあるアロウェーのドゥーン川にかかる旧橋が舞台となっているが、ストーリーそのものは農場の裏を流れる川沿いの道を歩いている時にひらめいたという。現在、その小道は「タム・オー・シャンター・ウォーク」と呼ばれている。
この農場は現在博物館として一般に公開されており、館内には収税吏の仕事についていた頃の品々や、フランス革命の助けをしたとして物議をかもしたためボランティア兵士になった時に使用していたサーベル、愛用の釣竿、楽器、100曲が収められた楽譜やバーンズがお気に入だったヘンリー・マッケンジー著の「The Man of Feeling」、ハイランドを旅行した時に使用した自作のトランクなどバーンズゆかりの品々が展示されている。こうした展示物を一つ一つじっくり見ていくと、バーンズは詩人としてだけでなく、非常に器用で才能にあふれた人物であったことがわかる。
こうした展示物の中でも特に興味深いのが、バーンズの詩が刻まれた一枚のガラス板だ。
これはバーンズがマリア・リードとの密会に使用していた農場近くのハーミテージ(隠れ家)の窓に、領主からプレゼントされたダイヤモンド・チップの入ったペンで刻んだものだという。
この他にも狩人が禁猟期間を守らずウサギを殺した事を知って書いた「抗議文」など公開されている。
農場の周辺には、昔と変わらないのどかな風景が広がっている。ここで放牧された羊たちのいる風景をじっと見ていると、バーンズの存在がより身近に感じられてくるのはなぜだろうか・・・。
農場裏には川が流れている |
バーンズ愛用の品々 |
バーンズの胸像 |
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