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フランシスコ修道院
総督官邸を後に再び東広場に戻る。ここから東西にこの街最大の通りが走っている。昔はここから南が島で、北は陸地であったという。西端にも大きな泉があり、これは1991年の砲撃で上部が破壊された。そこから北へは急な登りになっていて、東北端にドミニコ派、東南端にフランシスコ派の修道院が向かい合っている。どちらの修道院でも絵の修復作業と展示があり、主に16世紀つまりルネッサンス後期の絵が並んでいるが、ビザンチンの影響が強いせいか、イタリアでいうと14世紀頃のチマブエの絵を見るような思いである。
この街には1977年、当時の皇太子殿下御夫妻が訪問されたことを「今も光栄に思っている」と神父さんが話してくれた。どちらの修道院も当然のことながら中庭が、きれいである。フランシスコ修道院は薬の製造に熱心な修道会で、なかの売店では91年の紛争勃発まで日本の女性観光客に人気のあった薬用クリームを売っている。昼用と夜用がある。
城壁への入り口は、今はこのフランシスコ修道院から下りた西の広場の上の一カ所だけとなっている。東の港の部分を除き全市をカバーしている。
残念ながら時間がなくて一回りはできず、西から南へ歩いてみた。西南端は入り江をはさんで砦がそびえ立っている。大砲が海に向かって置かれており、両側から敵を挟み撃ちしたものと思う。この辺りも海は急に深くなっており紺碧の色が何ともいえない。

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