「ドイツで一体何が起きたのか?」1989年11月9日、28年もの間ドイツを東西に分断していたあの「ベルリンの壁」が崩壊。日本で近代ドイツ史上において最も衝撃的なこの出来事を知り、居ても立っても居られなくなった私は、ひとまず情勢が落ち着くのを待ち、一旅行者としてベルリンへと旅立った。それから25年年の月日が流れ、来年10月には、ドイツは再統一から25周年という記念の年を迎える。
そこで今年、ドイツの旧東領を再訪問し、現地を取材。ドイツはどう変わったのか。この25年前の出来事を振りつつ、「観光の国」として生まれ変わった新しいドイツの魅力を探る。(2014年12月)
ベルリンの壁崩壊から感動のドイツ再統一へ
1.「ベルリンの壁崩壊」へと導いた平和革命
「今年は、平和革命から25周年だからね。」ライプツィヒの街中で出会った人たちと立ち話しをしていると、市民たちの口から必ずと言っていいほど発せられた言葉だ。そう、ここライプツィヒは「ベルリンの壁崩壊」へと導いたドイツ現代史の舞台、旧東ドイツ領の都市である。[続きを読む]
2.ソ連にKGBあらば、東ドイツにシュタージあり
ドイツ民主共和国(東ドイツ)政府が国を掌握するための手段として利用し、独裁政治を支えたシュタージ(正式名は国家保安省)。この悪名高きシュタージに囚われた国民の数は25万人を超え、東西ドイツの再統一から25年目を迎えようとする今日でも、当時のシュタージの恐怖に…[続きを読む]
3.旧東ドイツの暮らしを垣間見る
エアフルトの政治犯収容所博物館で独房に足を踏み入れた時、耳に違和感を覚えた。壁一面を覆っていた遮音シートの影響だ。日常では耳にしない異様な音の響き、窓もない狭い部屋。トイレは内柵と扉の間にあり、監視員の許可無しに自由に用足しもできない…[続きを読む]
4.まさかの「ベルリンの壁崩壊」
その日は突然にやって来た。1989年11月9日の20時、テレビで「東ドイツ、国境を開く」のトップニュースが流れると、その3時間後の23時には、2万人近い人々がボルンホルム通りの検問所に押せ寄せた。その勢いに押され国境検問所が国境を開いたのは、日付も変わろう…[続きを読む]
5.感動のドイツ再統一
月並みな質問ではあるが、ベルリンの壁崩壊の瞬間をどのように迎え、その時に何を感じたのか、旧東ドイツの人たちに尋ねてみた。キッチンで洗い物をしながらニュースで知った、友人や知人からの電話で知った、運転中にカーラジオから流れてきたニュースで知ったなど…[続きを読む]
6.壁と統一ゆかりの地を訪れる
ドイツ再統一から25周年に当たる2015年、ドイツ観光局では「感動のドイツ再統一」をメインテーマにしたプロモーションを行う。これを受け行われたプレス懇談会では、ベルリンの壁とドイツ再統一ゆかりの地を訪ねる旅を提案。そこで紹介された主なゆかりの地を…[続きを読む]
7.ドイツ再統一25周年記念企画
2015年は、東西ドイツが再統一されてから25年という記念の年。現在、『ダーリンは外国人 ベルリン暮らし3年め』の著者である小栗左多里さんとトニー・ラズロさんはベルリンに移住している。これを受け、2015年早春より「WEB コミックエッセイ劇場」…[続きを読む]